『銭湯のロッカーのカギ』

 せっかくの三連休なので、怠け癖のついた自らに鞭打ち、完全新作に挑戦。
 その昔、立場交換スレに投下されていた「銭湯で主人公♂と小学生女児の立場が入れ替わる」掌編に非常にツボをくすぐられたので、ぜひ自分でも書きたいと思っていた同作をリスペクトした短編をついに書いてみました。
 ちなみに、本作の才人は「俺ガイル」の戸塚彩加、(本物の)柚希は「はがない」の楠幸村を小学生にしたようなイメージ。どっちも可愛いけど、割と方向性が違う感じです。麗都学園初等部の女子制服は、プリズマ某に出てくる穂群原学園のアレを想像してください。



『銭湯のロッカーのカギ』

 4月半ばのとある土曜日の夕方、僕──悠木才人(ゆうき・さいと)は商店街の福引でもらった景品の“入浴利用券(10枚綴り)”を使おうと、近所の“帝悦の湯”に来ていた。
 “帝悦の湯”ってのは──まぁ、予想はつくと思うけど、いわゆる銭湯だ。間違ってもスパなんて小洒落た代物じゃない、昔ながらのお風呂屋さんだね。
 実は、春から親元を離れてこの街にある私立高校に通うことになったんだけど、下宿先の手配が遅れたせいで、あんまりいいアパートを借りられなかったんだよね。
 築20年で、一応「バス・トイレ・キッチン付き」ではあるんだけど、どれも共同という罠……いや、ちゃんと事前説明はされてたし、その分、家賃も安いんだけどさ。
 とくにバスなんてアパートの隣りに建ってる大家さんちのお風呂を貸してもらえるだけで、あまり広くもないし、入る時間とかも気を遣わざるを得ないんだ。
 なので、せっかく無料券をもらったことだし、たまには気兼ねせずに入れる近所の銭湯に来てみたんだ。
 時刻は夕食前の午後6時過ぎで、それなりの数のお客さんで賑わっている。
 「えーっと……SAITOYUKIっと」
 ここの脱衣場のロッカーの鍵はちょっと変わっていて、鍵に金属プレートを刺してから、任意のアルファベット9文字をパスワードとして入れる形式になっている。面倒なんで僕はいつも自分の名前をそのまま入れてるけど。
 備え付けのマッサージチェアとかヘルスメーターとかドライヤーの類いもかなりハイテクっぽい。噂では、この銭湯のオーナーが、ドクター●松的な発明家で、その試作品をここに導入してるんだとか。
 (どうせなら脱衣場じゃなくて風呂場の方を改良してほしかったなぁ)
 『こ●亀』に出てきそうな“下町のお風呂”って感じのオーソドックスなタイル張りの湯船に浸かりながら苦笑する僕。
 今時、風呂場の背景に富士山って……いや、ある意味、今となっては逆に貴重かもしんないけどさ。

 そして、下町の銭湯とくれば風物詩が「お風呂ではしゃぐ子供」だ。

 「こら、柚希(ゆき)! お風呂で騒いだら駄目だぞ」
 「は~い、ごめんなさい、パパ」
 子供用の浅めの浴槽をバタ足で元気に泳ぎ出した女の子が、父親に注意を受けてる。
 ──男湯にいるにしては、けっこう大きい子だなぁ。身長140センチ以上あるんじゃないだろうか。10歳……小学4年生ぐらいかな?
 (ロ)や(貧)な趣味の人にはご褒美なのかもしれないけど、どちらかというと巨乳お姉さん派の僕的には興味なし! まぁ、5、6年後に期待ってトコかな。

 ぼんやりそんなことを考えつつ、身体も充分に温まったので、僕は風呂を上がることにした。
 浴槽の縁をまたいで、タイル貼りの床に足を着いた……その瞬間!
 「うわっ!」
 うっかり見落としてたけど、踏み出した足の先に小さな石鹸──というかそのカケラが落ちてたんだ。
 そこに足を乗せちゃった僕は、ツルンと滑ってそのままうつ伏せに転倒。幸い両手をついて大事には至らなかったけど、何ともバツが悪い感じ。
 僕が他人でこの光景を目にしたら思わず「プフッ」とか笑っちゃうくらい、見事にコントっぽかったしね。

 「お兄さん大丈夫ですか? これ、落としましたよ」
 しかも、転んだ拍子に腕にゴムで留めていたロッカーの鍵(アルミっぽい金属板のことね)を飛ばしてしまったらしい。
 さっきの女の子が拾って渡してくれた。
 「だ、大丈夫だよ。拾ってくれてありがとう」
 僕は恥ずかしさに照れながらも、女の子から鍵を受け取ってお礼を言うと、浴場を後にして脱衣場に向ったんだ。
 (うわぁ~恥ずかしー、あんなちっちゃい子にまで見られるなんて……)
 穴があったら入りたいという言葉の意味を実感しつつ、脱衣場に急ぐ。

 (──そう言えば、ロッカーってどの辺りだったっけ?)
 割と惰性で服を脱いで適当なロッカーにしまったせいか、場所が思い出せない。
 さっき拾ってもらった金属プレートに刻まれた番号を確認すると「61」となっている。
 「?? こんな下の方だったかなぁ」
 この銭湯の脱衣場のロッカーは、縦4段×横8の32個が壁の両面に並んでいる。
 その61番となると当然最下段なので、身を屈めないと、脱いだ衣類をしまった籠を出し入れできない。
 (下から二段目だったような気がするんだけど……)
 とは言え、確信はないし、何より鍵である金属プレートの示す位置はソコだから、仕方なくロックにプレートを挿し込んで、「SAITOYUKI」と入力する。
 ピピッという電子音とともにロッカーの扉が無事に開いたから、確かにここで合ってるんだろう。
 (最後の「I」の字を入力した時、なんか一瞬背筋に悪寒みたいなものを感じたけど、湯冷めでもしたのかなぁ)
 
 けど……。
 中から取り出したプラスチックの籠に入っていたのは──水色の上着とピンク色のミニスカート。その下には白いスリップとショーツが畳まれている。
 (──どう見ても、小学校中~高学年くらいの女児向け衣服です。本当にありがとうござい……じゃない!)

 これは……どうやらさっきの女の子の悪戯に引っかかったのかも。
 きっと鍵を拾った時に、自分のと取り替えたんだろう。
 本人的には無邪気な悪戯のつもりかもしれないけど、高校生になったばかりの男子が全裸で女子小学生の服を手に取っているなんて、犯罪以外のなにものでもないよ!

 (ヤバい。早くなんとかしないと!!)
 そう思って慌てていた矢先に、いきなり背後から声をかけられた。
 「おや、柚希。もう上がって来てたのかい」
 ビクッと背中を震わせておそるおそる振り返ると、そこには見覚えのある30歳くらいの男性の姿があった。確かあの「柚希」と呼ばれていた女の子の父親だったはずだ。
 (ま、マズい。このままじゃ僕は、娘のロッカーを開けて物色している不審者にしか見えないよ!)
 どう考えても通報事案に発展すること必至な状況だ。

 「いえ、あの……これは、違うんです。その、鍵が……」
 しどろもどろになりながら僕は言い訳しようとしたんだけど、目の前の男性は不思議そうな表情で僕を見ている。

 「ん? 何を言っているんだい、柚希?」
 いぶかしげな顔のまま、あの少女の父親は、“僕に向って”そう言った。
 一瞬あの女の子が僕の背後にいるのかとも思ったけど、彼は間違いなく僕の目を見てそう言ったんだ。

 「え? あ、あのぅ、柚希って僕のことですか?」
 恐る恐る尋ねてみる。
 念のために言っておくと、僕の容姿があの子と似ているってわけじゃない。
 確かに、高一男子としては身長158センチ・54キロというのはかなり小柄で華奢なほうかもしれないけど、それでもさっきの女の子とは10センチ近く差があるし、髪の毛だって肩のあたりでオカッパにしてた少女より全然短い。
 顔立ちはあんまりはっきり覚えてないけど、それでも女の子の親が見間違えるほど似てたとは思えない

 「おや、どうしたんだい? 昨日のアニメでやってた記憶喪失の真似かな? それと、自分のことを“ボク”なんて言うとお母さんに怒られちゃうぞ?」
 それなのに、この父親は、にこやかな笑顔を崩さずに穏やかにそう語りかけてくるんだ。

 この時初めてボクは、何か異常な事態が起こっているのではという疑念に襲われたんだ。
 (い、いや、そんなバカな。きっと、あの女の子とグルになってボクをからかおうとしてるんだ!)
 必死で自分にそう言い聞かせる。
 「じょ、冗談は止めて下さい。これ、どっきりとかそう言うのですか?」
 「?? 柚希、ごっこ遊びもいいけど、そういうのは家で友達とやりなさい。さ、お母さんが夕食を用意して待っているんだから、早く着替えないと」
 ダメだ。まったくとりつく島もない。

 「もういいです。ボクは、柚希ちゃんに鍵を返してもらいますから」
 このままでは埒が明かなそうなので、あの女の子のところへ戻って、自分のロッカーの鍵を取り返すことにした。
 鍵を返してしもらえば、さっとさと着替えて、このよく解らない三文芝居から逃げ出せるはずだから。

 「あ! こら待ちなさい」
 まだ、あの子──本物の柚希ちゃんがいるはずの浴場へ戻ろうとすると、父親に肩を掴まれて止められる。
 (う、動けない!?)
 確かにこのお父さんはボクより長身(たぶん170センチ以上ありそう)だし、その分力も強いだろうけど、体格自体は特別筋肉質というわけでもない、むしろ文系肌というか線が細い感じだ。
 それなのに単に肩をつかまれただけでそれを振り払うこともロクにできないなんて……。
 これは、やっぱり何か信じ難いことが起こっているんじゃないか。
 そんな怖れにも似た感情がじわじわ湧き上がってくる。

 「い、いい加減にして下さい! 悪戯にしてもタチが悪いですよ!!」
 そのことを認めたくないボクは、動けないまま文句を言ったんだ。
 けれど……。
 
 「これこれ、お嬢ちゃん。お父さんの言うことはちゃんと聞かないといかんぞ」
 すぐそばにいた老人から、なだめるような言葉をかけられて、思わずボクはもがくのをやめた。
 (え? 「お嬢ちゃん」? このおじいさんにも、ボクが女の子に見えるって言うの?)
 ──いったいどうなってるんだろう。

 よく見ればおじいさんばかりでなく、他にも何人か人がいるにも関わらず、ボクらの方を奇異な目で見ている人はいない──そう、単に「悪ふざけをしている女の子が、その父親に叱られてるだけだ」とでも言うように……。
 もしかして、周囲の人も全員、ボクの事を女の子だと思っているんだろうか?
 
 「お騒がせしてすいません。なんだかこの子、昨日見たテレビ番組の設定のごっこ遊びしちゃってるようでして」
 「ははは、まぁ、女の子というのはちっちゃくてもは感受性が豊かですからな」

 “お父さん”が恐縮したような言葉を返すと、声を掛けてきたおじいさんも「気にすることはない」と笑って、壁際のマッサージチェアの方に歩み去った。

 (──少なくとも、このふたりは本気でボクのことを、柚希って女の子だと思っているみたい……)
 それこそ本当にテレビのどっきり企画とかでもない限り、ふたりや周囲の男の人たちが、ボクを騙すなんて理由が見つからないし。
 
 「ほらほら、ちゃんと身体を拭かないと風邪ひくぞ。春先とは言え、まだ夜は冷えるからな」
 抵抗を止めて無言で考え込んでいるボクに、「ようやっとごっこ遊びをやめたか」と安堵した“お父さん”がバスタオルを渡してくる。
 確かに湯冷めするのはイヤだったから、ボクも不承不承、女児向けアニメのキャラクターがプリントされたタオルで身体を拭き始めた。
 「髪の毛は父さんがやってやろう」
 「いらない」と言う暇もなく、“お父さん”がゴシゴシとちょっと乱暴にボクの短めの髪をバスタオルで拭いてくる。
 このお父さんは、ボクのことを完全に小学生の娘とみなしている感じだ。
 仕方なくされるがままに身を任せているボクの視界の端を、見覚えのある人影が横切った。
 
 「あ! さっきの……」
 思わず声を出してまったけど間違いない。風呂場で会った本物(?)の柚希って子だ!

 「ん? ああ、鍵を拾ってくれたお嬢ちゃんか」
 けれど、ボクの声に振り返った女の子は、さっき風呂場で見た時とは雰囲気がまるで違っていた。
 「さっきはどうもありがとう」
 言葉遣いや仕草も何だかもっと年上の男の人みたいに感じる。
 (しかも女の子がロッカーから取り出して着てるのって──あれ、ボクの服じゃないか!)
 信じられない事実に、慌ててボクは「止めきゃ」と思ったんだけど、何て言えばいいのかわからない。
 (ソレは──その服も、その立場も、ボクのなのに……!!)
 気ばかり焦って、口から言葉が出てこないんだ。

 不思議なことに、ボクより10センチ近く小柄なはずなのに、なぜかボクの服は女の子にぴったりになっていた。
 「じゃあね、柚希ちゃん」
 あれよあれよと言う間に、本物の柚希ちゃんのはずの女の子は、ボクの服を着て銭湯から出て行ってしまった。
 ボクはと言うと、それを追いかける事も出来ずに見送るしかない。
 ──少なくとも、ボク以外の誰も、ボクと女の子の立場が入れ替わっていることに不信感を持っていないことが、これでハッキりした。

 (いったい、どうしたらいいんだろう……)
 「お、悪いな柚希。父さんお前の替えの下着持って来るの忘れたみたいだ。
家に帰ってパジャマに着替える時に新しいのに替えておくれ」
 途方に暮れていたボクは、父親の声で我に返った。
 (ちょ、ちょっと待って。ボクの服はあの女の子が着て行ってしまって、そのボクが“柚希”として扱われてるってことは……)
 もしかして、ボクが柚希ちゃんの服を着ないといけないの!?

 (いやいやいや──流石にそれはイカンでしょう!
 いい歳した男が、小学生の女の子の服を着るとか絶対ヤバいって!!)
 頭の中ではそう考えているはずなのに、なぜかボクの身体は勝手に動いて、さっき取り出した柚希ちゃんの服の中から、女児用のショーツを手にしていた。
 某T〇らぶるなマンガなんかのパンモロシーンで見かけるヒロインたちのパンティ(死語)と違って、形状的にはブルマに近い感じで履き込みが深く、デザインも白無地であんまり色っぽい感じはしないけど、逆にそれが「現役女子小学生の普段履いてるパンツ」感をリアルに醸し出している。

 (これ、履くの? 女の子のパンツ、しかも使用済みだよ? これを履いたら、間違いなく変態さんだよ!)
 そう考えながらも、ボクの身体は勝手にそれを履こうと動き始める。
 (や、やめろー、ショ〇カー、ブッ飛ばすぞー!)
 内心ではそう叫びたい気持ちでいっぱいなのに、なぜか手、そして体の動きは止まらず……そしてついに、ボクはソレを履いてしまった。
 つい半時間程前までは柚希ちゃんが履いていたはずの女児用ショーツが、今はボクの下半身にやさしくフィットして大事なトコロを包んでいる。
 え? 「気持ちよくないか?」──ノーコメントで。
 (うぅ……何か、こう、男として大事なモノを無くした気がするよぉ)

 でも、それはほんの序の口に過ぎなかった。

 ショーツと同じ白一色で上半分がコットン、下半分のスカート部分が化繊でできたスクールシミーズ。
 パフスリーブって言うんだっけ? 肩の部分がふんわり膨らんでいて、ヒップの半ばまで来る長さの水色の半袖チュニック。
 左腰に大きな白いリボンのついたピンク色のフレアミニスカート。
 こういった、どこからどう見ても女子小学生向けの衣類を、ボクの身体は(ボク自身の意に反して)身に着けていく。
 最後に黒白ボーダー柄のハイソックスを履いたところで、ようやく自由に動けるようになった。

 (フゥゥーー初めて……女装しちまったァ~~~~~♪
 でも想像してたよりなんて事はない…………ワケあるかぁ!!)

 某覚醒したマンモーニっぽい台詞を脳内で呟いてみても、事情は変わらない。
 脱衣場の壁に貼られた鏡の方に恐る恐る視線を向けてみる。
 そこには、女子小学生の服を上から下まで着込んだ変態男子高校生の姿が映っている──はずなんだけど。
 (う……意外と似合ってる?)
 い、いや、似合ってるは言い過ぎか。「思ったほどは見苦しくない」というのが正確な表現だよな、うん。
 ──決して、「低身長で童顔なのもたまには役に立つな」とか「もうちょっと髪の毛が長かったら、まるっきり女の子だよね」とか思ってないぞ。

 それに加えて、この服一式はあの娘──本物の柚希ちゃんが今日一日着てたものだから、春先とは言え彼女がかいた汗の匂いや体臭が沁み込んでいる。
 なまじお風呂で身体を洗ってボク自身の体臭が消えている分、まるでボク自身から女の子っぽい匂いがしているようで、どうにも落ち着かない。

 それにしても……おかしい。ボクの服を着てた柚希ちゃんもそうだけど、ボクの方もこの服装があつらえたように体にぴったりだ。ボクらは軽く10センチは身長差があって、しかも男女の体格の違いもあるはずなのに。

 「お、柚希、着替えは済んだな。じゃあ、帰ろうか」
 体が勝手に動いて女の子の服を下着まで着て、しかもそれが身体にぴったりだった事で、これが単なる悪戯の域を超えていることは、もう十分理解できた。
 (こうなったら、なる様にしかならないよね)
 半ばあきらめの気分になっていたボクは、促されるまま銭湯の靴箱から取り出した赤と白の女児用スニーカーを履いて、お父さんに連れられて銭湯を後にした。
 いくら“それなりに見れる”とは言え、この格好のまま外に出るのは正直気が進まなかったけど、いざ外に出てみると誰もボクのことに注目したりしない。
 途中でお父さんの知り合いらしい人にも何人か会ったけど、その人たちもボクをお父さんの娘として接してくる。
 やっぱり他の人にはボクが「10歳になったぱかりの斎藤家の長女の柚希」に見えているみたいだ。

 斎藤家は、商店街の片隅で小さな古本屋を営んでいる──と言っても、お父さんは普通に会社勤めで、古本屋の方はお母さんとバイトの照美さん(お母さんの姪で柚希ちゃんから見ると従姉にあたる女性だ)が交代で店番してる。
 半分趣味みたいなものだから営業時間は月から土の夕方6時までで、お母さんはいつも5時半ごろにあがって夕食の準備をしてるみたい。
 (──あれ? そう言えば、ボク、なんで柚希ちゃんの苗字や家のことを知ってるんだろ?)

 「あら、お帰り、柚希、お父さん」
 微妙な違和感に眉をひそめていたところで、ちょうど家に着き、台所で夕飯の支度をしていたらしい女の人(たぶん柚希ちゃんのお母さん)が出迎えてくれた。
 ──というか、この人にも、ボクが娘の柚希にしか見えないんだね。
 「今日の晩御飯は、柚希の好きなエビフライとハンバーグよ」
 いかにも優しく人のよさそうな女性にニコニコ微笑みながら、そう告げられると、邪険にするのははばかられる。
 「ホント? わーい、うれしーなー」
 空元気ならぬ“空喜び”でちょっぴり棒読みなのは大目に見てほしい。
 「手を洗ってうがいしてきなさいね」
 「はーい」
 ここまできたら、下手に流れに逆らうのも得策じゃないだろう。
 ボクはお母さんの言に従い、洗面所に行ってうがいと手洗いを済ませる。
 そのままダイニングキッチンでテーブルに着き、昨日──いや、つい1時間ほどまではまったく知らなかった斎藤家のひとり娘の小学生・柚希として、“家族”と一緒に夕飯を食べることになった。

 その食卓で気付いたんだけど、どうやらボクも、あの時銭湯の脱衣場で見た「悠木才人として振る舞う少女」と同様、どうやら今の「斎藤柚希」としての立場に影響(というか制限?)を受けているみたい。
 どうも、本来の柚希から掛け離れた行動をしようとしても、それができないんだよね。
 より正確に言うと、金縛りみたく身体が動かなくなるんじゃなくて、どうしていいのかわからなくなる……みたいな。
 たとえば、今日のこの晩ご飯。いくらボクが小柄でも、小学生の女の子向けの量ではさすがにちょっと物足りないから、ご飯のお代わりをしようと思ったんだけど……。
 「あの……」
 「ん、何だい、柚希?」
 「どうかしたの?」
 「……ううん、なんでもないです」 
 もっと食べたいということを、何故か言い出せなかったんだ。
 別に遠慮したワケじゃなくて、頭が真っ白になったって言うか──自分が何をしようとしていたのか、ド忘れしちゃったような感じ。
 後になって落ち着いて思い返すと、何を言いたかったかはわかるんだけどね。
 そのほかにも、ボクは特段食べ物の好き嫌いは無い方なんだけど、ニンジンのグラッセを食べようとした時、何故か微妙に「嫌だな」って感じたんだ。たぶん、本物の柚希ちゃんはニンジンが嫌いなんじゃないかな。
 とは言え、実際に口に入れて食べてみると、特に不味いとは感じなかったのは幸いだった。で、一度口にしたあとは、箸が進まないような感覚も消えて、普通に食べられるようになったんだ。
 残さず全部食べると、父親と母親の両方から褒められて、気恥ずかしいような、ちょっと嬉しいような、何とも言えない気分を味わうことになっちゃったけどね。

 で、お夕飯のあと、居間でお父さんと一緒にテレビを観ていると、洗い物を終えたお母さんが、薄桃色のショーツを持って来て、ボクに着替えるように言ってきたんだ。
 「女の子は清潔にしておかないとダメよ。ついでにパジャマに義替えちゃいなさい」
 同じ女児用下着とは言え、本物の柚希ちゃんが着てちょっと汚れたものより、ちゃんと洗濯されてきれいな方がまだマシだよね。
 「はーい」
 素直に頷いたボクは、トイレを済ませてから2階の柚希の部屋へ行き、服を脱いでショーツを替えて、そのままベッドの枕元置いてあるパジャマに着替えた。
 柚希ちゃんのパジャマは、クリーム色のスモックみたいな上着と膝丈のズボンがセットになったもので、パッと見は男女どちらでもありそうなデザインだった。
 でも、よく見るとスモックには白いレース襟や小さめの赤いリボンがついてるし、ズボンの裾もキュッと絞られフリルで飾られていて、やっぱり女の子用なんだな、とわかった。
 まぁ、それでも、さっきまでのミニスカートに比べればだいぶ気が楽だけどね。

 ようやくひとりになれたので、ボクはベッドに腰掛けて、改めて今の現状を振り返ってみる事にした。
 まずは部屋の中をぐるりと見回してみる。
 柚希ちゃんの部屋は、学習机やベッドカバー、カーテンやカーペットに至るまで(微妙に色合いは違うものの)全部ピンク色で統一された「これぞ、女の子の部屋!」って感じのインテリアで彩られている。
 そのほかにも、あちこちに並べられた可愛いぬいぐるみや女児向けアニメのキャラをモチーフにした小物、部屋の隅に置かれた赤いランドセルや壁にかけられた小学校の制服などが、これでもかというくらい女子小学生の子供部屋であることをアピールしている。
 普通に考えたら、男子高校生にとっては居心地のいい空間じゃないはずなんだけど、その時のボクは、見慣れた落ち着く場所だと自分が感じていることに気付いた。
 (! どうして……)
 気を落ち着けようと深呼吸すると、ちょっと甘いような乳臭いような、この部屋の持ち主の女の子の匂いが鼻をつく。嗅ぎ慣れないはずのソレさえも、どこか馴染み深いものに思えて、目まいがしてきた。
 耐えきれずコテンとベッドに横になり、それでももう一度考え直してみる。

 今の現状については、どういう理屈かわからないけど、推測しうる限りでは、ボクは「華麗都学園初等部4年生の女の子・斎藤柚希」の立場になってるみたいだ。
 このことは、家族も含めた周りの人全てが、ボクのことをこの家のひとり娘の柚希ちゃんとして接してきていることから見て、まず間違いないだろう。
 原因と言うかきっかけは、たぶん、銭湯ですり替え(?)られた、あのロッカーの鍵なんだろうなぁ。
 もっとも、仮にそれが正解だったとしても、「じゃあ、どうしてそんなコトが起こったのか」については、見当もつかないんだけどね。

 解決方法として考えられるのは、あの銭湯に行って、悠木才人(ボク)の立場になっている柚希(あのこ)と、もう一度ロッカーの鍵を交換してみること、くらいかな。
 ただ、「悠木才人」が毎日銭湯に来るとは限らない(大家さんちの風呂を借りれば無料だしね)のと、「彼」が来たタイミングで「斎藤柚希(ボク)」の方も、あの銭湯に居合わせないといけないという点で、かなり難度が高いと思う。
 せめてボクの服を着て銭湯を出て行った本物の柚希ちゃんに会えたらいいんだけど、これも例の“行動制限”のためなのか、本来のボクのアパートの場所や電話番号などが、まったく思い出せないんだ。
 ──それでも、元に戻るためには、何とかやってみるしかないんだろう。ほかに手がかりはないし。

 さて、元に戻るための方策は一応これで立ったとしても、それ以外にも問題は山積みだ。
 今日はもうこのまま寝ちゃえばいいとして……明日からはどうすればいいんだろう?

 ボクは斎藤柚希と言う女の子のことをロクに知らないと言うのに、周囲はボクを柚希とみなして、そのように接してくる。となると、あまり頓珍漢な言動をとって不信感を抱かせるのは、ボクにとっても(本来の)柚希にとっても、あまり好ましくないよね。
 幸い明日は日曜日だから家にいればいいとしても、明後日からは学校──それも小学校に通わないといけないだろう。ボクは小学4年生の女の子、斎藤柚希なのだ──少なくとも他人にはそう見られているのだから仕方ない。
 例の“行動制限”があれば、それほど本来の「斎藤柚希」から外れたことはしない(できない)のかもしれないけど、理屈もわからないものに頼るのは危険な気もするし……。

 不安に感じながらもボクは柚希ちゃんのベッドに潜り込んで布団をかぶった。
 時刻はまだ午後9時半過ぎ。当然、そんなに眠くはないんだけど……どうやら本物の柚希ちゃんが小学生で夜更かししない良い子なせいか、ベッドから起きようという気にもならない。
 何度か寝返りをうった後、つい手持ち無沙汰だったこともあって、枕元にあった大きなペンギンのぬいぐるみを抱きしめてしまった。
 (ちょ……今年16歳になる男がぬいぐるみを抱いて寝るのって、誰得!?)
 脳内でそう思いつつも、相変わらずぬいぐるみを抱いたままなのは、やっぱり本物の柚希が何時もしていることだから“行動制限”がかかってるのかなぁ。

 女の子の部屋で、女の子の下着とパジャマを着て、女の子のベッドでぬいぐるみを抱いて寝ているボク。
 冷静に考えるとのたうち回りたいほど恥ずかしい──はずなのに、なぜかそれが「当然」「当たり前」のように思えてくるから怖い。
 (もう、どうにもならないなら、いっそこのまま斎藤柚希としての立場を受け入れてしまった方が楽になれるのかな?)
 でも、もしそうしてしまったら、才人(ボク)としての存在(アイデンティティ)は確実に無くなってしまう。
 ──いや、本物の柚希が悠木才人の立場になっているのだとしたら、ボクのアイデンティティはあっちに備わっているのかもしれない。

 (はぁ~、てんで真相の解らない事態に、あれこれ推測や想像を巡らせてみても不毛、だよね)
 布団の中で身体を抱えるように縮めて、ギュッと目をつぶる。
 しばらくそのままにしていると、(精神的な意味で)色々あったせいか──それとも柚希がいつも寝ている時間になったからか、徐々に眠気が押し寄せてきて、ボクは眠りに落ちた。

  *  *  *  

 小さい頃は気にしたこともなかったんですけど、最近、いつも考えてることがあります。

──「どうして、わたしは男の子に生まれなかったんだろう」、って。

 ウチの家は、取り立ててお金持ちだとか有名人だとかってわけじゃないですけど、お父さんもお母さんもやさしいし、わたしにもいわゆる愛情をキチンと注いでくれてると思います。
 学校に行くのは楽しいし、勉強も運動も嫌いじゃありません。
 ただ……両親も、学校の先生も、(たぶん無意識なんだろうけど)わたしに、いわゆる「女の子らしくする」ことを期待するのは止めてほしいです。

 もちろん、ぜいたくな悩みなんでしょう。クラスメイトの武林さんなんかは、名門の家柄のせいかしつけがすごくきびしいらしいですし、そういう家に比べたら、ウチなんかはぜんぜん気楽なものです。
 でも、ウチのお母さんはのんきでゆるゆるに見えて、わりと強引です。
 「柚希ちゃんには、絶対これが似合うと思うの」
 いらないって言ってるのに、いつも自分好みのとってもガーリッシュな服を買って来ますし、さりげなくお料理やお裁縫を教えようとしてます。
 「やっぱり、自分でそういうことができた方が断然便利よ~」
 正論です。その背後に「女の子ならば」という前提が見え隠れしなければ。

 じつのところ、わたし自身、パッと見は、とりたててやんちゃだったり、男勝りだったりするタイプではないと思います。むしろ、インドア系で読書好きなおとなしい子と見られているでしょう。
 叱責や排斥を恐れて本音を言わず、本来の嗜好を押し殺して「いい子」を装ってきたわたしにも、まったく非がなかったとは言いません。
 ですが……クラスメイトで比較的親しい(向こうは親友と思っているかもしれません)高城さんが、つい先日初潮を迎え、たまたまその場に居合わせたわたしは、とても恐くなりました。
 小4の春に生理が来るのはかなり早いですが、わたしも高城さん同様体格のよい方なので、いつそうなってもおかしくありません。
 (わたしが、ほんとうの意味で“女”になる?)
 赤ちゃんを産むことへの憧憬も、辛いと言われる生理に耐える覚悟も──それどころか自分が「女である」という自覚すら満足に持っていないのに?

 わたしは焦りました。
 永久には無理でも、なんとかソレ──初潮を迎える日を引き延ばすことはできないでしょうか?
 ──そんな時、お店の売り物の中でもとくに古い本が積まれている一角で、わたしは、ある奇妙な本を発見したのです。

  *  *  *  

 日曜日は家にこもってできるだけ人と顔を合わさずにいて、これからのことについていろいろ考えよう──そう思っていたボクの目論見は、あっさりくつがえされることになった。

 翌朝7時。昨日あんなに早く寝たせいか、セットした時間に目覚まし時計が鳴る前にボクは目を覚ました。ベッドのなかでゴロゴロしているのも落ち着かないので、とりあえずパジャマ姿のまま一階に下りてみる。
 ダイニングにはもうお母さんが起きてきていて、朝ごはんの用意をしている最中だった。

 「まぁ、おはよう柚希、日曜なのに随分早いのね」
 この言い方からすると、柚希って休日はもっと遅く起きるのかな?
 「おはようございます、お母さん。昨日、早めに寝たから、なんだか目が覚めちゃって」
 「ふふっ、早寝早起きはいいことよ。そろそろ朝ごはんの支度ができるから、顔を洗って、お父さんを起こして来てくれる?」
 「はい」
 素直に返事したボクは、洗面所で顔を洗ってから、再び二階に上がり、両親の寝室の扉をコンコンとノックした。
 ──返事なし、と。仕方ない。
 ガチャリとドアを開けて中に入ると、案の定、ダブルベッドの真ん中でお父さんが、ミノムシみたくお布団にくるまっていびきをかいている。
 「お父さん、朝ですよ。そろそろ起きてください!」
 声だけでは効果が薄い気がしたので、思い切って布団越しにゆさゆさと揺さぶってみる。
 「……んー、ゆきかぁ……ふわぁ~~あ、わかった、起きる……」
 眠そうな声でしたが、何とか目は覚ましてくれたみたい。
 「二度寝しちゃダメですからね」
 「あはは、母さんみたいなこと言うなぁ」
 苦笑しつつ、お父さんがベッドの上に身を起こしたのを確認してから、ボクはダイニングに戻りました。
 しばらくすると、お父さんもちゃんと下りてきたので、三人で「いただきます」してから朝ごはんを食べ始めました。
 「むぐむぐ…………ふぅっ。それにしても今日は晴れてよかったなぁ」
 「本当。これなら絶好のおでかけ日和ね、柚希」
 え? え?
 「なんだ、まさか忘れたのか。今日は柚希の誕生日だから、みんなで柚希の好きな水族館に行こうって言ってたじゃないか」
 ええっ!? そうでしたっけ? ……って、ボクが知らないのは当たり前だよね。とは言え、素直にそう言うわけにもいかないので、誤魔化さないと。
 「あ、あはは、ちょっとド忘れしてました」
 右目をつぶって「テヘペロ」って感じに舌を出しつつ、自分の頭を右のこぶしでコツンと軽くつついてみせます。
 正直、男がやると気持ち悪いというかウザい仕草なんだろうけど、女子小学生の立場になってる今のボクなら……。
 「あらあら、柚希はうっかりさんね♪」
 「はっはっはっ、まったくだ♪」
 ホラね? お母さんもお父さんも「可愛くて仕方がない」って感じに目を細めてニコニコしている。柚希って溺愛されてるなぁ。
 そんなワケで、今日は家族みんなでお出かけするんだ。わーーい♪

 ──と浮き浮きした気分に浸っていたボクだけど、朝ごはんの後、お手洗いに入り、パジャマのズボンとショーツをずり下げて、便座に腰を下ろしたところで、視界にナニが入り、はたと我に返った。
 「ハッ! もしかしてボク、「斎藤柚希」になりきってた?」
 もちろん、昨日の晩、部屋でいろいろ考えた結果、両親とかほかの人の目があるところでは当面は柚希のフリをしようとは思っていた。
 (でも、思い返すと、今朝起きてからボク、意識して演技したことってほとんどなかったんじゃあ……)
 それなのに、お父さんもお母さんも、まったくボクを柚希じゃないなんて思ってもみないようだったし、実際、疑われるような言動はしてないとは思う。
 それ自体はこの状況ではいいことなんだろう。でも……。
 (問題は、ソレをボクが無意識にできちゃったってこと、だよね)
 昨日も時々働いていた例の“行動制限”が知らないうちに作用してたとかならいいけど……。
 (ひょっとして、ボク自身が「斎藤柚希」って立場になじみ始めてる?)
 今だって、別に“大”をする気もないのに、“女の子みたいに”当たり前のように便座に座って用を足そうとしてるし。
 こ、これはちゃんと意識を強く持っていないと、知らないうちに完全に心まで柚希になっちゃうかもしれないぞ。
 せっかくの楽しいお出かけ日和だっていうのに、ボクは微妙に憂ウツな気分になってきた。
 あるいは、小学生な本物の柚希ちゃんは、昨日このことに気付かないで、そのまま「悠木才人」の立場に呑み込まれちゃったんじゃないだろうか?

 でも、「悠木才人としての意識を強く持ちながら、斎藤柚希として振る舞う」っていうのは、なかなか難しいものでして……。
 「ささ、柚希、よそゆきのお洋服に着替えましょうね~」
 おトイレから出るや否や、満面の笑顔のお母さんにつかまってしまった。

 お母さんがコーディネートしてくれたのは、フロントに英文字とハートマークが金色にプリントされたライトグレーの長袖Tシャツと、前面に5つの飾りボタンがついた、ちょっとタイトなカーキ色のミニスカート。
 それだけだとちょっと寒いので、生成りっぽい色のロングカーディガンも出してくれた。
 足元は白いラインの入った黒のショートソックスで、カーディガンとよく似た色合いのショルダーポーチも用意されてます。
 シンプルなラインながら、女の子らしさとちょっと背伸びした大人っぽさをうまく兼ね備えた、グッドチョイスって感じ。
 問題は、これがボクに似合うかなんだけど……。
 「大丈夫よ、柚希は私の娘だもの」
 根拠のあるようなないような(確かにお母さん、割と美人だけどさ)言葉を自信たっぷりに言うお母さんに急かされて、着替えるボク。
 膝上5センチくらいだった昨日のフレアスカートよりもさらに10センチ近く短い今日のスカートには、内心ちょっと及び腰だったけど、いざ履いてみたらそれほど違和感がないのが逆に違和感かも。
 (ま、まぁ、体育の時間のショートパンツでも同じくらい生足はさらしてるわけだし……)
 とは言え、ショートパンツと違ってスカートの場合は「まくれる」ことがある点は注意しないといけませんね。
 「髪の毛を梳かしてあげるから、こっちにいらっしゃい」
 「はい」
 学習机の椅子を部屋の真ん中に持って来て座る。その背中側に立って、お母さんが櫛で髪を丁寧に梳いてくれます。
 「柚希の髪は艶々で真っすぐで、とても綺麗ねぇ。お母さんはちょっと癖毛だからうらやましいわ」
 そう、なんでしょうか。
 「ショートボブも悪くないけど、やっぱりもうちょっと伸ばしてみたら? お人形さんみたいで、きっととってもキュートよ」
 「えっと、考えておきます」
 そんな会話をしているうちに髪の手入れ兼セットも終わり、お母さんは仕上げに、左耳の上あたりの髪のひと房にヘアピン2本をバッテンの形に留めてくれた。
 「ショートカットでも、その気になれば色々ヘアアクセは使えるのよ」
 へぇ・へぇ・へぇとミニトリビアに感心するボク。
 「さ、できたわ。どう、柚希、感想は?」
 椅子から立ち上がると、後ろから肩を押されるようにして部屋の隅の鏡の前まで連れてこられました。
 「えっ!?」
 多少は予想はしていましたが、鏡の中に写っている「柚希(じぶん)」の姿は想像以上に女の子らしく、違和感やおかしなところがまったく見当たりません。
 「これが……ボク?」
 思わずマンガなんかの女装シーンでのお約束の台詞を呟いてしまいます。
 「こらこら、自分のことをボクって言うのは少なくとも小学生のうちはやめなさい」
 昨日のお父さんの懸念通り、すかさずお母さんに注意されます。
 「そうねぇ──高校生くらいになって、どうしても「ボク」って自称したいなら“個性”として認めてあげてもいいけど、今のうちから単なる“カッコつけ”でそれを使うのは止めておいたほうがいいわよ」
 あとで死ぬほど恥ずかしくなるから……と苦笑する様子からして、もしかして「経験者は語る」というヤツなんでしょうか。

 「おーい、そろそろ支度できたかぁ?」
 赤と紺のポロシャツを着たお父さんが部屋のドアを開けて中を覗き込んできました。
 「お父さん、いくら娘相手でもレディの部屋に入るなら、ちゃんとノックしないと」
 お母さんが苦言を呈したら、お父さんは頭をかいています。
 「おっ、確かにそうだな。すまないな、柚希」
 謝りながら、部屋に入ると、お父さんはボク──いえ、ワタシの全身にさっと視線を走らせます。
 「ほぅほぅ、なんだかいつもより大人っぽい感じだな。いいじゃないか!」
 「あ、ありがとうございます」
 真正面からの賛辞にちょっと頬が熱くなりつつも、ちゃんとお礼は言います。
 「ふむ……母さんがいつも“押し”たがるフリフリ&ヒラヒラとは違うが、むしろコッチの方が柚希には似合ってるな」
 「ボ…ワタシも、実はそう思います。こういう感じのなら、大歓迎です」
 「お、一人称をちゃんと“わたし”に戻したんだな。やっぱり母さんに怒られたんだろ?」
 「はい。でも、高校生になったら“ボクっ娘”も解禁だそうです」
 昨日までと違って、そんな風にお父さんと気楽に雑談できるのが不思議ですが、悪い気はしませんね。
 「じゃあ、あとは母さんが用意するのを待てば……」
 「呼びましたか?」
 「「フワッ!?」」
 そこには、春物のレディススーツを着て、髪もきちんとセットし、お化粧も濃すぎない程度に整えたお母さんの姿が。
 「ちょ……待って。ねぇ、お母さんがワタシの部屋を出てからまだ3分もたってないと思うんですけど!?」
 「ふふふ、柚希、確かに身支度で男性を待たせるのも女性の特権ではあるけど、それは本気の本番の時だけ。普段はむしろ、手早く、されどちゃんと魅力的に仕上げるのが、デキる女の甲斐性というものよ?」
 わ、わかるようなわからないような……って、ソレ、早着替え&メイクの説明になってませんよね?
 「あきらめろ、柚希。母さんは昔から謎の多い女性(ひと)なんだ。むしろ、結婚して10年以上経つ俺にだって、わからないことがいっぱいあるんだぞ」
 悟りきった表情のお父さんが外人みたく「やれやれ」と肩をすくめています。
 「まぁ、それにこれで出かけられるじゃないか。クルマを駐車場から取って来るよ」

 そんなこんなで出かけた本日の“お出かけ”はとてもステキなひと時でした。
 最初に行った水族館は、とりたてて珍しい施設や出し物もない、ごくオーソドックスなタイプでしたが、それでも初めて来る場所なので見るべき場所はいっぱいあります。
 お昼は水族館内のフードコートのホットドッグとポテトで済まし、午後からのアシカとペンギンのショーを観てから、ワタシたちは水族館をあとにしました。
 その次は、郊外のショッピングモールでお買い物です。
 食器や雑貨小物、文具、そしてもちろんお洋服などを、お母さんといろいろ見て回るのがとても楽しいです──後半、お父さんの顔はちょっと引きつってましたけど、まぁ男の人は仕方ないですね。
 「柚希、こっちのサマーセーターはどうかしら」
 「デザインはいい感じですね。でも色はできたら水色とかのほうが……」
 「お客様、それでしたらこちらの品は如何でしょう?」
 店員さんも交えてあーでもないこーでもないと試行錯誤しているワタシたちから離れて、お店の外で待っててくれてるみたいです。
 最終候補を選び終わった段階で(荷物持ち兼財布係でもある)お父さんを呼んでそれを見せ、「うん、いいんじゃないか」という言質を引き出して買ってもらいました。
 「お父さん、ありがとうございます♪」
 サマーベストとプリーツスカートの入った袋を両手で胸に抱え、ニッコリ微笑みながらお礼を言うと、お父さんの眉のはしっこがちょっぴり下がるのがわかりました。
 「うむ、まぁ、可愛いひとり娘の誕生日なんだから、これくらいはな」
 “父の威厳”を示そうとそんな言葉を口にしつつ、口元が緩んでいるお父さんを見て「ちょろい」と思ってしまうワタシは、悪女の素質大かもしれません。
 「(大丈夫よ、柚希。それくらい女の子なら対男性用に磨くべきむしろ必須スキルだから)」
 ワタシの心の中を見透かしたのか、お母さんがこっそりそんなことを耳元で囁いてくれました。

 お買い物のあと、いつもの晩ごはんよりも少し早いですが、レストランで夕食を食べていくことになりました。
 入ったのは「ロイヤルホステス」。ファミレスチェーンの中では、ちょっとだけ高級感のある(そして実際メニューも少しお高めの)お店ですね。
 このお店ではバースデー限定のサービスもしているとのことで、お父さんがこっそり予約を入れておいてくれたらしく、お食事のあと「Happy Birthday YUKI」と書かれたチョコプレートの乗ったケーキが運ばれてきました。
 「10歳のお誕生日、おめでとう、柚希」
 「おめでとう。柚希が無事にここまで育ってくれてうれしいわ」
 お父さんとお母さんからの暖かい祝福の言葉に、胸がいっぱいになります。
 「ありがとうございます。お父さん、お母さん!」

 ちなみに、料理はともかく、特製ケーキのお味は──すっごく普通でした。まぁ、ココはあまりスイーツ類には力を入れてないらしいですから、仕方ありませんね。こういうお祝いごとは気持ちの問題ですし。

  *  *  *  

 斎藤柚希……の立場になっている、本来は「悠木才人」と呼ばれる少年が我に返ったのは、家族揃っての外出から帰り、タンスに買ってもらったベストとスカートをしまいつつ、今日一日の幸せな記憶を反芻している、まさにその最中だった。
 「──ぐわ……何やってるんですか、ボクは……」
 言い訳できないレベルで「今日10歳になった斎藤家のひとり娘」として感じ、話し、振る舞っていたことを自覚してしまい、羞恥のあまりベッドの上に転がって身悶えする。
 もっとも、言動が女子小学生(にしてはやや大人びてるが)ナイズされていたとは言え、記憶や意思、感情などが操作(コントロール)されていたという感じは皆無だ。
 つまり今日一日、「斎藤柚希はまぎれもなく心から楽しかった」のだ。
 悠木才人の両親は共働きかつ忙しい人で、本当に小さかった小学校入学以前は別として、それ以降はあまり才人を構ってくれたことはない。
 取り立てて虐待とかネグレクトされていたというわけではないのだが、今思うに、両親とも小学生の子供に対するにしては随分と淡泊で距離感のある接し方だったように思う。
 幸いにして、上に兄、下に妹がいたので子供どうしである程度その寂しさは緩和できていたし、中学に入ったころからは、さすがに「あぁ、ウチはこういう家庭なんだな」とあきらめもついた。
 とは言え、子供の頃の心の傷というのは、その後の人生に意外にあとを引く。
 だからこそ、今の立場になって、この斎藤家の“両親”からの、子供に対する(少々暑苦しいくらいに)親密で距離の近い(というかほとんどゼロな)態度がうれしかったのだろう。

 それはともかく、今朝がたあれほど「斎藤柚希としての立場に飲まれまい」と決意したというのに、まったくムダだったことはご覧の通りだ。
 「まぁ、この立場から逃れられない限り、逆に飲まれていたほうが幸せなのかもしれませんけど」
 特に明日からは学校が始まる。小学校に4年生の女子小学生として通わなければいけない以上、むしろ下手に意識しないほうが安全ともいえるだろう。
 「それでも、完全に柚希になりきっちゃうのはどうかと思うんですが……」
 ブツブツ言いながらもランドセルを開け、明日必要な教科書やノートの類いを詰め込んでいく「柚希」な才人。結局のところ、この少年も本物の少女とは多少ベクトルがズレてはいるものの「生真面目で聡明」という点では同類なのだ。
 「話が噛み合わなくて、友達とかにヘンに思われないといいんですけど……」
 その心配はまったく無用──というかむしろ真逆の結果になるのだが、この時点の「彼女」がそれを予想できないのも、無理のない話ではあった。

  *  *  *  

 「では、行ってきます」
 「クルマに気を付けてね。知らない人についていっちゃダメよ」
 「お母さん、ワタシ、もうそんな小さい子供じゃないんですから」
 小学4年生の娘に向かって、幼稚園児に対するような注意をするのは、正直どうかと思います。
 ちょっぴり不満ですけど、親にとってはいくつになっても子供は子供、ということなのかもしれません。
 ワタシは玄関先で制服のベレー帽をかぶってランドセルを背負い、茶色いローファーを履くと、ドアから飛び出しました。
 (美緒ちゃんたちとの待ち合わせは……まだ大丈夫ですよね)
 少し速足で“いつもの集合場所”に向かうと、白いセーラー襟のついたウッドブラウンの長袖ブラウスと黒いプリーツミニスカート、足にはライン入った白のハイソックスを履き、ブラウスと同じ色のベレー帽をかぶった女の子3人がたむろしていました。
 ワタシの──「斎藤柚希」のクラスメイトで、登下校仲間でもある三船美緒(みふね・みお)ちゃん、柳澤史香(やなぎさわ・ふみか)ちゃん、新田伊織(にった・いおり)ちゃんです。お揃いの格好をしているのは華麗都学園初等部の制服だからで、もちろんワタシも同じものを着ています。
 「ごめんなさい、遅くなりましたか?」
 「ううん、大丈夫! まだ時間1分前だよッ」
 美緒ちゃんが笑ってケータイの画面を見せてくれますが、時間ぎりぎりなのには違いありません。
 「じゃあ、ユッキーも来たことだし、行こっか」
 伊織ちゃんの言葉にうなずいて、4人で歩き出しました。

 ここから学園までは歩いて5分ちょっとなので、おしゃべりしながらでも十分余裕はあります。
 昨日のテレビ番組のこと、先週末に出た少女マンガ誌のこと、算数の宿題がちょっと難しかったことなどなど、色々な雑談をしながら学園に向かいます。
 「えーっ、柚希ちゃん、昨日誕生日だったのォ?」
 ワタシの誕生日のことも話題になりました。
 「一足先に十代の扉を開けた斎藤さんにおめでとう」
 「そうだね、おめでとう、ユッキー」
 「アハハ、ありがとうみんな。って言っても、16歳とか18歳ならともかく、10歳になったから何が変わるってワケでもないんだよねー」
 そんなことを話しながら、気が付くとワタシたちは学園の校門近くまで来ていました。

 「──あ!」
 「ん? どしたの、ユッキー」
 「あの人……」
 50メートルほど先の校門をくぐっていく高等部の制服を着た小柄な男性に、なんだか見覚えがあったような気がしたのです。
 それと共に、何か忘れちゃいけないことを忘れているような……。
 「あれあれぇ、もしかして柚希ちゃん、あの人のことが……?」
 「! ち、違う、違いますからね!!」
 「あの人がどうとは言ってない。むしろ語るに落ちた?」
 「だーかーらー、そういうのじゃなくてですね」
 「ほぅほぅ、じゃあ“どういうの”なのか教えてほしいにゃあ」
 けれど一瞬浮かんだ疑念も、3人の友達に冷やかされて頭がフットーしちゃったために、どこかに消えてしまいました。
 「おーい、そこの初等部の生徒4人。あと3分で予鈴が鳴るから、そろそろ急いだほうがいいぞー」
 風紀確認のために校門前に立っている中等部の先生に、そう声をかけられたので、ワタシたちは慌てて駆け出します。
 「昇降口まではともかく校舎内は走るなよー」
 「善処しまーす!」
 幸い、あの先生が声をかけてくれたおかげで、ワタシたち4人とも何とか予鈴の1分前には4-Cの教室に入ることができました。

──ガラッ!
 「ふむ。予鈴前に皆揃っているようだな。大変結構」
 このちょっと古めかしいお侍さんみたい話し方をするのが、我が4年C組の担任の佐々木武蔵(ささき・たけぞう)先生です。
 まだ若くて割とイケメンだと思うのですが、本人的には祖父に付けられた名前がコンプレックスなんだとか。「佐々木小次郎なのか、宮本武蔵なのか、ハッキリしろ!」ってボヤいてました。
 「とは言え、いつも通り出席確認は必要ゆえ、名前を呼ぶので返事をしてくれ」
 ──そのわりにこういう話し方をするのは、自分の名前の元になったお侍さんをリスペクトしてるのかもしれませんね。

 ワタシの席は、窓際の後ろから2番目なので、ちょっと顔を向けるだけで外の様子がよく見えます。
 佐々木先生の点呼の声を聞きながら、ワタシはチラッと視線を窓の向こうの空へと向けました。
 雲ひとつない快晴で風も穏やか。春のうららかな日差しは平和そのものです。
 それなのに……何かが違う、どこか間違っていると感じるのはいったいなぜなんでしょう?

 「斎藤柚希」
 「! はいっ」
 “自分の名前”を呼ばれた“わたし”は、反射的にそれに返事をしました。

 ──その瞬間、大げさに言うと世界が変わったような気がします。
 先ほどまで感じていた根拠のない焦り、微妙にズレたようなスッキリしない感覚が、きれいさっぱり消えてしまったのです。
 (何だったんでしょう、アレ?)
 不思議におもったものの、そのまま授業が始まったので、すぐにわたしはそのことを忘れて黒板と先生の話に集中していくのでした。

-おしまい-
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Author:KCA(嵐山之鬼子)
Pixiv、なろう、カクヨムなど色々書いてます。感想などもらえると大変うれしいです。
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