『ナイショなカンケイ』

 本来、『三姉妹』の続きを書くつもりだったのですが、もう少しで終わるこちらを優先させました。例によって立場交換スレで連載していた、母と娘の立場交換物で、スレの残り容量がピンチなので最終章を加えたものをコチラに掲載します。
 ピクシヴには18禁版を載せてありますので、Hシーンが見たい方はそちらへ。




ナイショなカンケイ

-00-

 「いってきまーす!」
 ごくありふれた住宅街の一角。一軒の和洋折衷建築の玄関のドアを開けて飛び出して来た少女が、家の方に向かって元気な声で挨拶すると、そのまま門を出て通学路へ向かって足早に歩き出した。
 つややかな黒髪を首を覆うほどの長さのオカッパ──いわゆるミディボブの髪型にして、学校の制服だろうか白い丸襟ブラウスにグレーの吊りスカートと黒いハイソックスを履いている。
 赤いランドセルを背負っていることから考えて小学生なのだろうが、160センチ近い身長とどう見てもCカップ未満には見えない胸のふくらみからして、服装を変えれば中学生、いや高校生でも通用するだろう。
 とは言え、最近の子供は前世紀と比して発育が早いので、こういう「大人びた」女子小学生がいても、それほどおかしくはあるまい。

 「はい、いってらっしゃい。クルマに気をつけてね」
 “少女”が飛び出してきた玄関には、彼女の“母親”らしき女性が立って、ニコニコと優しい笑顔を浮かべて“娘”を見送っている。
 クリームベージュのカットソーと焦げ茶色のロングスカートの上にオレンジ色のエプロンを着け、サンダルをつっかけた、いかにも主婦らしい服装だが、小柄で童顔なせいか「オバさん」くささは全く感じない。
 背中まで伸ばした髪をヘーゼルブラウンに染め、後頭部のやや下方でシニョンにまとめた洒落たヘアスタイルと、かなりナチュラルながらキチンとメイクしていることもあって、むしろとても魅力的な女性と言ってもよいだろう。
 “娘”と並んでも下手すれば姉妹に見えかねない、そんな若々しい主婦がアニメやギャルゲーの中以外にも実在したとは驚きだが……。

 ──いや、本当にそうだろうか?
 身長150センチにも達していない小柄で、中学生と言っても十分通用する幼い顔つき・体つきの“母親”から、小学生なのに長身・巨乳・大人顔の三拍子揃った娘が生まれるものだろうか?
 世間は広いようで狭く、狭いようで広いから、もしかしたら日本中を捜せばいるのかもしれないが、このふたり──出雲縁(いずも・ゆかり)と出雲由佳(いずも・ゆか)に関しては“そう”ではない。
 本来は母であるはずの縁が小学6年生の“娘”として学校に通い、娘であるはずの由佳の方が“母”として家のことを切り盛りしているのだ。
 さらに言えば、“その事”に対して、本人達二人以外の誰も──ご近所の人や由佳の学校の友達や先生はおろか、夫であり父であるはずの藍一郎(あいいちろう)ですら違和感を抱いていない。
 いったいどうしてそんなコトになっているのかと言えば……ある意味、降って湧いたような災難であり、またある意味二人の自業自得とも言えた。


-01-

 出雲母娘の立場が入れ替わってしまった経緯は、常識的に考えるとおよそあり得ないと思えるほど馬鹿げたものだった。
 空梅雨と言われつつもそれなりに雨の降る日も多い6月半ばの、とある日曜日の午後。幸いにしてこの日は晴れていたので、縁と由佳は連れだって近所の繁華街までランチを食べに出ていた。
 休日だから家で食べてもよかったのだが、やや本の虫のきらいのあるインドア派の娘を、縁が少しでも外に目を向けさせようと引っ張り出したのだ。

 「いやぁ、楽しかったわねぇ。満足まんぞく♪」
 鼻歌でも歌わんばかりにご機嫌な縁は、某輸入洋品店で購入した「I love NY」のロゴ入りTシャツを着て、その上にショッキングピンクのキャミソールを重ねて着ている。ボトムはデニムのミニスカートだ。
 今年33歳になる既婚女性としては少々若づくり過ぎる感のある服装だが、美人でプロポーション抜群、かつお肌も三十路を越えたとは信じられないほど綺麗な縁は、優に5、6歳は若く見られるので、非常によく似合っている。
 現に道行く男達の2、3人にひとりが見惚れるなり鼻の下を伸ばすなりしているくらいだ。
 「お母さんったら……いい大人なんだから、ちょっとは自重してください」
 一方、由佳も縁の娘だけあってなかなかの美少女ではあるが、縁が“明るく活発で華がある”という印象なのに対して、“物静かでやや地味”な感はぬぐえない。
 白いパフスリーブのブラウスを首元までボタンをきちんと留め、膝下5センチくらいのフレアスカートと三つ折りソックス&黒のストラップシューズという服装にも、その真面目な性格が表れていた。
 由佳が呆れ気味なのは、食後の腹ごなしにふたりでウィンドショッピングしていた際、縁がゲーセンの新作ダンス系音楽ゲームに興味を示し、初挑戦で最後まで踊りきってしまったからだ。
 外見年齢20代半ば過ぎの美人が、88(D)の大きな胸を揺らしつつ懸命に踊る姿に、ギャラリーが多数集まった。
 さすがにパーフェクトにはほど遠く、スコアもたいしたことはなかったが、縁がクリアーした時には、大きな拍手が巻き起こったくらいだ。
 由佳としては「いい歳して、子供みたいにはしゃがないでくださいよ」と言いたいのだろう。
 「もぅ、ユカってば真面目過ぎるわよ。あたしが子供のころはもっとハジケてヤンチャしてたと思うんだけどなぁ」
 「優秀な反面教師が身近にいますので」
 澄まして反論する由佳だが、別段彼女だって縁のことが嫌いなワケではない。むしろ、いつも明るく天真爛漫で誰からも好かれる性格ながらも、大人として、母親としての責任をきっちり果たす縁に憧れている面もあるのだから。
 (でも、私はお母さんみたいにはなれませんよね……)
 ただし、もって生まれた資質や性格の違いというものは、たとえ実の母と娘であっても存在する。
 そのことは由佳も理解しており、「母が太陽なら、私は月のようにひっそりと優しく照らす人になろう」などと考えていたりするのだ──本当にこの子、12歳の小学生なのだろうか?

 「へぇ、こんなトコロに神社なんてあったんだ」
 考え事をしながら歩いていた由佳は、そんな縁(はは)の言葉に我に返って慌てて辺りを見回した。
 「──ここ、どこですか、お母さん?」
 「え? あぁ、ほら、魚善さんからの緩い坂を下る途中の雑木林があるじゃない。その途中に細い脇道があるのに気付いたんで、ちょっと入ってみたら、ここに着いたのよ」
 「いや、脇道があったから入ってみたって、アンタ猫か!?」とツッコミたいのは山々だったが、自分も考えごとに気を取られていたとは言え、無意識にそれについて足を進めたので、由佳は口には出さなかった。
 「随分と小さくて古びた神社ですね」
 お社(やしろ)は高さ2メートルほどの大きさで、由佳はともかく縁ならジャンプすれば簡単に屋根の上が覗けそうだ。
 「こういうのは“祠(ほこら)”って言うほうが正しいかもね。まぁ、祠って言うにはちょっと大きくて立派だけど」
 確かに、小さいながらも鳥居や手水舎も備わっており、お社自体にもちゃんと鈴&鈴緒と賽銭箱が設置されている。
 宮司や巫女さんなどの人影は見受けられなかったものの、野ざらしというわけでなくそれなりに清潔さが保たれているので、誰か管理・清掃している人間はいるのだろう。
 「せっかくだからお参りしていこっか」
 人並み程度の神様への敬意は持っているので、縁の提案に由佳も異論はなかった。
 適当に鈴緒を引っぱって鈴を鳴らそうとする母を制して、由佳はまず手水で手を洗ってから、祠の前に立ち、賽銭箱に財布から取り出した5円玉を落とす。
 軽く鈴を鳴らし、作法に則って2度頭を下げ、柏手も2回打ってから、手を合わせて黙祷する少女──本当に小六なのだろうか?
 (お母さんみたいな……とは言いません。私なりに早く素敵な大人になれますように)
 願い事といってもそれほど差し迫ったものはなかったため、とりあえず漠然とした目標を心の中でつぶやく由佳。
 一方、母である縁の方は、自分の娘の博識ぶりに感心しつつも、同じように二礼二拍して頭を垂れる。
 (はぁ……優等生なのはいいんだけど、我が娘ながらちょっとカタブツ過ぎないかしら。あたしがこの子の立場なら、もっとこう、思い切り毎日をエンジョイ&エキサイティングするのになぁ)
 なんと言うか、来年中学に進学する娘を持つとも思えぬフリーダムな母親である。
 しばしの後、ふたり同時に頭を上げ、作法通りもう一度礼をして、祠の前から立ち去ろうとした由佳と縁だったが……唐突に頭の中に響いてきた声に、ギョッとして思わず互いの顔を見合わせてしまう。

 『──その願い、叶えて進ぜよう』

 男ではなく、かといって女とも言い難い、強いて言うなら中性的な子供のような“声”がそう告げると同時に、ふたりはまばゆい光に包まれ、そのまま意識を失うのだった。


-02-

 「っつぅ~、なぁに、今の光は?」
 まだチカチカする目をごしごしこすりつつ、意識を取り戻した縁はひんやりした床の上に横たわっていた姿勢から身を起こす。
 「あ! よかった、気が付いたんですね!!」
 聞き慣れた声の方を見上げると、そこには娘の由佳が心持ち心配そうな顔で立っていた──いたのだが……なぜか服装が変わっている。
 ベージュ色で七分袖のサマーセーターにアシンメトリな黒いニットのミモレ丈スカート。足元はベロアのロングブーツで、首には素朴な木製のネックレスをかけている。
 また髪型も、先ほどまでは背中の半ばまで無造作に伸ばして前髪をカチューシャで押さえただけだったのに、パーマでもかけたのかわずかにウェーブがかかり、それを緩く三つ編みに編んで先端近くをシュシュで結わえていた。
 よく見れば、髪自体、腰までの長さになり、わずかに灰色と茶色の中間のような色──いわゆるヘーゼルに染めてもいるようだ。
 12歳の少女としては少々背伸びしている感もなきにしもあらずだが、もともと落ち着いた性格で年かさにみられることの多い由佳には、こういう大人びた恰好はピッタリはまっていた。
 「へぇ……うん、いいじゃない。よく似合ってるわよ、ユカ」
 「何のんきなこと言ってるんですか。それを言うなら、お母さんも自分の格好をよく見てください」
 「へ?」
 言われて視線を自らの身体へと落とした縁は、「ふぇっ!?」と三十路過ぎの女性にしてはえらくかわいらしい悲鳴をあげるが、それも無理はないだろう。
 白に近い薄いピンクのフレンチスリーブのTシャツは、初夏だからまぁいいとしても、その上にフリルとレース満載の黒のコルセット風キャミソールを着て、ボトムに履いているのは真っ赤な三分丈のショートパンツ。
 さらには生足&厚底サンダルという組み合わせで肌の露出がハンパないうえ、髪をツーサイドアップにリボンでまとめている。どこぞのJSモデルもかくやという服装なのだ。
 いかにガーリィファッションが流行りとは言え、先ほどまで以上に若作りが過ぎる。さすがにその自覚はあるのか、縁は恥ずかしさで真っ赤になっていた。──とは言え、あながち似合ってないとも言えないのだが。

 「ど、どうしてこんな格好に……って、ユカもその服はどうしたの?」
 「さぁ? 私も今、目が覚めたばかりなので……というか、ここどこなんでしょう?」
 自分達の現状に気を取られていたが、よくよく考えればこの板張りの剣道場のような場所そのものも謎だ。
 自分たちはさっきまで、神社というか祠というか小さなお社の前にいたはずなのだが……。

 『案ずるな。ここは、その社──すなわち我が住居(すまい)の中だ』

 由佳たちが疑問を抱いた瞬間、どこかで聞いたような“声”が頭の中に響いてきた。
 「えっ、誰!?」「どなたですか?」
 母娘はほとんど同時に誰何の声をあげる。

 『ここが住居というあたりで察してもらえると有り難いのだがな。
 とは言え、無闇に焦らす意味もない。
 我は──お主らの言うところの“神”だ。
 もっとも、耶蘇教が崇める唯一神ほどの絶対的な権能(ちから)を持っているわけではない、吹けば飛ぶような零細神だがな』

 「神様……って、もしかして、ここはあのお社の中?」
 「そんな! あれってせいぜい2メートル四方くらいの広さしかなかったはずでしょう。天井だってこんなに高いはずは……」
 信じられないといった風情の由佳の言葉を“神”が遮る。

 『その理由は“神だから”で納得しておくのが面倒がなくてよいぞ。
 ともあれ、それとは別にお主らにはひとつ説明しておかねばならないことがある』

 自称“神”の説明によれば、先ほどの礼拝時にふたりが思い描いた何気ない想(ねが)いを同時に叶えるために神としての力を振るった結果、現在、縁と由佳の立場が入れ替わっているのだという。
 「それって、具体的にはどういうことなんですか?」

 『簡単に言えば、お主──出雲由佳が、出雲家の主婦にして縁の母、逆に出雲縁が小学六年生の出雲家の娘、と言う立場になっているのだ。
 これは他の人間からそう認識されるというだけでなく、役所の戸籍などの社会機構面、さらに写真などの記録に至るまで遡ってそう変化しているということを意味する。
 お主らのその服装も、「出雲由佳が33歳の女性なら」「出雲縁が12歳の少女なら」着ているはずのものに置き換わっているが故。当然、自宅の箪笥の中身なども変わっておるはずだ』

 そう聞かされて、事態の深刻さを改めて理解するふたり。
 慌てて願い事の取り消しを申し出るのだが……。

 『済まぬが、今すぐというわけにはいかぬのだ。神の世界もいろいろと面倒でな。
 これを覆すには、少なくとも“その状態”で一定期間過ごしてもらい、我が“願い事を叶えた”という事象(けっか)を一度は確定させる必要がある。
 そのうえで、お主ら片方の願いで今のこの状態にしたと解釈し、しかるべき期間経過後、残るひとりが“元の立場に戻してほしい”と願ったので、その願いを叶えた──という形にするしかない』
 本来、甲の願い事を否定するような乙の願いは無効なのだが、今回は特別だ──と“神”は締めくくる。

 「なんて言うか、神様の世界もずいぶんお役所的なのね~。それで、あたしたちはどれくらいこのままでいればいいんです?」
 呆れたような感心したような縁の言葉に対して“神”は答える。

 『ひと月だ。ただし、注意すべき点としては、そのあいだお主ら以外の人間に、今の事態──母娘の立場が入れ替わっているという事実を知られてはならぬ』

 「1ヵ月も!? そんな長いあいだ、私、お母さんのフリなんてできませんよ!」

 『案ずるな。お主らの現在の立場に必要とされる知識や技量は、その場に臨めば自然に備わる──ゆえに、くれぐれも他の者に気取られぬよう、それだけを注意するがよい』

 由佳の懸念にそう答えると、“神”は社の扉を開いた。

 『さぁ、行くがよい。そしてひと月後、お主らのどちらかがここに来るのだ』


-03-

 『──万が一他の者にお主らの立場交換のことを知られると、元に戻れるまでの時間がさらに長くなるので、極力気を付けるようにな』

 そんな“神”の忠告を背に縁と由佳は扉から足を踏み出し……。
 気が付くと、ふたりは、あのお社の前の小さな石畳の広場──というほどは広くない2メートル四方ほどのスペースに立っていた。

 「もしかして夢……ではないようですね」
 自分、そして縁の服装を見て由佳は憂鬱げに溜息をつく。
 「うん、そうみたいね。でも、まぁ、こうなったからには仕方ないわよ」
 対する縁の方は、あまり困ったような様子はない。
 「──もしかして、お母さん、この事態を楽しんでません?」
 「あ、わかる? でも、たかだか1ヵ月のことなんだし、この際、珍しい体験ができると思って開き直っちゃったほうが、精神的にもいいと思うけど?」
 ジト目でニラむ由佳の視線も意に介さず、縁はあっけらかんとそう答える。
 「はぁ~、まったく、その能天気なポジティブさは、いっそ羨ましいですね。まぁ、確かに一理はありますけど」
 再びひとつ溜息をつくと、由佳も意識を切り替えたようだ。
 「じゃあ、とりあえず今日のところはこのまま家に帰って、何がどう変わってるのか確認してみましょうか、お母さん」
 「チッチッチッ……さっき、神様に言われたこと覚えてるでしょ。これからしばらくは、あたしが“出雲家の小学生のひとり娘”で、貴女が“出雲家の専業主婦”なんだから。間違えちゃだめだよ──“ママ”」
 縁のその言葉を耳にした時、「ママ」と呼びかけた方も呼びかけられた方も、不思議な感慨を覚えた。
 まるで最後のピースがピタリとはまってジグソーパズルが完成したような、あるいは合唱で各人が各々のパートをキチンと歌い上げることでひとつの綺麗なハーモニーが生まれたかのような、妙に「しっくりくる」あの感触。
 「……そう、ですね。これからは気を付けましょう。さ、帰りましょう、“ゆかりちゃん”」
 だからこそ、生真面目な由佳の方も、さほどためらいなく、むしろ自然に“娘”に対してそう呼びかけることができたのだ。

 “祠”のある場所から出て、自宅への道を仲良く手をつないで歩く母と娘。
 一見、先ほどまでと同じようで──しかしふたりの立場が入れ替わっていることに気付く者は、本人達以外に誰もいなかった。


-04-

 「たっだいま~」
 「──ただいま」
 自宅に戻った母娘の声が唱和する。
 ちなみに、浮き浮きと楽しそうに弾んだ声のほうが縁で、溜息をつかんばかりに沈んだ声が由佳だ。
 これは、そのままふたりの性格からくるスタンスの違い──明るく能天気でお気楽な“娘”と、真面目に今後のことを考え、心配している“母”の差異をそのまま表しているのだろう。
 本来の立場を考えると、いい大人のはずの母の方が浮かれて、小学生の娘のほうがキチンと道理をわきまえているというのは少々アレだが、現在の立場であれば、それほどおかしなコトではあるまい。

 「じゃあ、あたし、お部屋の方を見てくるね!」
 “母”と手分けして持って来た買い物の袋(帰路でスーパーに寄ったのだ)を台所に置くと、縁──ゆかりは早速“色々変わっている”であろう部屋の方へと行こうとする。
 「その前に、キチンと手を洗ってうがいするんですよ」
 “母親らしく”釘を刺す由佳。
 その外見を除けば、そのやりとりはあまりに自然に“母娘”していて、事情を知る者が見れば思わず噴き出してしまうかもしれない。
 ──まぁ、このふたりに限れば、立場交換する前から、ある意味、娘の方がしっかりしていたという説もないではないが。

 ともあれ、由佳の言いつけ通りに手洗いとうがいを済ませ、ワクワクしながら“自分の部屋”に向かったゆかりは、しかしながらぐるりと部屋を見渡して失望したような声を漏らす。
 「あれ? 何もか変わってない気がするんだけど」
 淡いラベンダー色のカーペット。白いデコラティブなベッド。その上にかかったローズピンクとレモンイエローのベッドカバー。ベッドと似たデザインのタンス。小学校入学時以来愛用している学習机。その隣りの姿見。
 それらは、「昼前に家を出た時と、まったく同じ」ように見えたのだ。
 それならば、とタンスを開けてみたのだが……。
 「コレも……コレも、コレも、みんな前から持ってるお洋服だよね」
 タンスの中には、「いかにもゆかり好みの活発でスポーティな普段着と、小学生らしいオシャレを意識したフリフリ&ヒラヒラな女の子らしいよそ行きの服」が、半々くらいの割合でしまわれていた。
 「うーん、本棚の中身も特に変わってないなぁ」
 女子小学生向けのマンガ誌や雑誌、あとは少女マンガが本棚全体の8割を占める構成も「昨日までと一緒」だった。
 (神様の話だと立場を交換したらいろいろ変わってるみたいだったのに──期待して損しちゃった)
 「ちぇ~」とかわいらしく頬を膨らませながら、「一昨日買って来た少女マンガ誌の最新号」を手に取り、ベッドに寝転がるゆかり。

 だが、視点を変えて、神の目で見れば、今の状況の異様さが理解できる。
 彼女は気づいていないのだろうか──この部屋の中身が、由佳が主だった時と大幅に変わっていることに。
 子供扱いを嫌う由佳の場合、カーペットも壁紙もベッドカバーも、もっとシックな色合いだったし、本棚の中身は児童文学全集や百科事典、あるいは参考書の類いが半分以上を占めていたはずだ。
 最大の差異はワードローブ類で、由佳の好みに合わせたそれは、フェミニンでおとなしめ(地味とも言う)なデザインや色の服が殆どだったはずなのだ。
 そもそも、“自分の部屋”として、なんのためらいもなく元由佳のものだった部屋へと直行した時点で、彼女は随分と“出雲家のひとり娘”という立場に適応して(あるいは浸食されて)いるのかもしれない。

 しかしながら、そんな事実に露程も気付くこともなく、ゆかりは“母”に「晩ご飯ですよ」と呼ばれるまで、お気楽にマンガ誌に読みふけるのだった。


-05-

 ──少しだけ時間は遡って、ゆかりが“自室”に引っ込んだ直後の話。

 「もぅっ、あの子ったら、ホントお気楽なんですから」
 台所で買い物袋の中身──おもに肉や野菜などの食材類を冷蔵庫にしまいながら、由佳は軽く溜息をついていた。
 (まぁ、気持ちはわからないでもないのだけれど……)
 こんな普通ではおよそ有りえない体験を、1ヵ月の期限付きで満喫できるとあれば、好奇心旺盛な縁のテンションが上がるのは、ある意味当然と言えるだろう。
 (あの子……じゃなくて、“お母さん”、こっちに引っ越して来てから退屈してたみたいだものね)
 夫──もとい“父”の仕事の関係で、都心から北関東の地方都市であるこの場所に引っ越して来たことで、どうも余暇の趣味・交友関係その他に色々と支障をきたしていたようなのだ。
 (私は住むのにはいい場所だと思うんだけど……)
 家の立地は緑の多い閑静な住宅街だが、駅前近くの商店街に行けば日常的な買い物は一通り揃うし、彼女の趣味である読書をまかなうための書店は数軒ある。
 ただし、フィットネスジムやテニスクラブ、あるいはカルチャーセンターの類いは、残念ながら近隣にはほぼ見当たらない。強いて言えば、書道や生け花の個人教室とゲートボール同好会の貼り紙くらいはあったろうか。
 身体を動かすのが好きで、好奇心も旺盛なゆかり……ではなく“縁”にとっては、やや退屈な環境だったのだろう。

 そんなことを考えつつも、由佳の身体はごく自然に出雲家の“夫婦の寝室”へと移動して着替えを行っている。
 といっても、首飾りを外してスカートとサマーセーターを脱ぎ、代わりにタンスの2段目から出した、ライトグレーのジャンパースカートを履いただけだが。
 彼女の行動にはなんらためらいや戸惑いは見当たらない──まるで、この部屋のどこに何が入っているのか全部知っているかのように。

 時計を見ると、そろそろ午後4時半を回る頃合いだった。
 (今日の夕飯は──イワシのフライとホウレンソウの胡麻和えでいいかしら)
 それに加えて「昨日の晩作った卯の花の煮物とキュウリのピクルス」が残っているから十分だろう。
 幸いにして、夫(ちち)は再来週の頭まで北海道に出張中だ。炊飯ジャーに残っているご飯の量も、母子ふたり分なら問題あるまい。
 その2品なら1時間もあれば余裕だから、夕飯の支度は6時頃から始めればよい──と、当たり前のように主婦としての計算を手早く行った由佳は、それまでの時間をつぶすべく、居間で女性週刊誌をめくり始める。

 そして、居間の柱時計が6時を告げたところで、雑誌をマガジンラックに戻して、エプロンを着け、夕飯の用意にとりかかった。
 今日の献立はとりたてて難しいわけではないとは言え、由佳の手際の良さは、断じて家庭科の授業以外に殆ど料理をしたことのない12歳の少女のものでは有り得なかった。
 それなのに、そのことに違和感を感じる風もなく、由佳は鼻歌まじりに「もう10年以上も毎日出雲家の台所を預かってきた」かの如く、野菜を茹で、魚をさばき、的確な油加減でフライを揚げていくのだ。

 やがて、今夜の晩餐の支度が整ったところで、二階の子供部屋にいる“娘”に声をかけた。
 「ゆかりちゃん、そろそろ晩ご飯ですよ~」
 「──はーい、いま行くー!」
 娘(ゆかり)が素直に返事をしたことに安堵すると、由佳はエプロンで手を拭きながら食器を棚から出して、盛り付けを始めるのだった。


-06-

 「ごちそーさまぁ」
 「はい、お粗末さまでした」
 日曜の夜、一家の大黒柱が出張中ではあるが、母と娘ふたりだけの夕食が和やかに終わる。
 「あ、ママ、お皿洗い手伝おうか?」
 「うーん、今日は洗い物は少ないからいいですよ。その代わり、お風呂にお湯の入れてきてもらえるかしら」
 「はーい!」
 台詞だけ聞いていれば誠に平和で微笑ましい仲良し母娘の会話なのだが……。
 “母”である由佳の方が150センチにも満たぬ小柄な身長で、逆に“娘”のゆかりが160センチ近い長身なのは、昨今の子供の体格の良さからして、それほど不自然ではないだろう。
 また、母親が贔屓目に見てもかなり貧乳でスレンダーな体型なのに対し、小学生の(はずの)娘の方がグラビアモデルなみのプロポーションなのも、ふたりの体格を考えれば必ずしもあり得ないことではない。
 しかし、20歳のときに妊娠し、21歳で出産したはずの“母”の方がどう見ても童顔で幼く、対照的に“娘”のほうが成人女性と言って通用する風貌というのは、常識的に考えて無理があった。
 無論、この“異常事態”は、このふたりが早とちりな神の介入によって、立場を、周囲を取り巻く環境ごと交換されているからだ。
 不幸中の幸いは、周囲の人間は(ふたりがその立場に沿って行動する限り)立場交換していることを不自然に感じないことと、ひと月経てば元に戻ることが可能なことだろう。
 前者に関しては、現在の立場に必要とされる(記憶を含む)知識や(習慣も含めた)身体的能力は、自然に現在の立場にふさわしいものがふたりに“インストール”されているので、大きな問題にはなるまい。
 後者については、1ヵ月以上経過した後、くだんの神が祭られている神社に行って由佳かゆかりのどちらかが願えば、それで元に戻れることにはなっている。
 しかし──事前に危惧に反して、自宅に帰ってみれば、ふたりはあまりに自然に“母”と“娘”の立場に適応して、行動してしまっていた。それはもはや適応というより“浸食”と言ってもよいレベルかもしれない。

 「ところでゆかりちゃん、もう宿題は済ませてあるんですか?」
 「ギクッ!」
 あからさまに視線が泳いでいる娘の顔を見て、由佳は溜息をつく。
 「もぅ……ダメですよ、学校のお勉強はキチンとやらないと」
 「わ、わかってるよぉ。だいたい、あたしはホントは大人なんだから、小学生の宿題くらい、その気になればラクショーだって!」
 恰好の言い訳を思いつき、口にするゆかり。
 「あ……そう言えばそうでしたね」
 本来は“母”である人にエラそうに説教してしまったことに今更ながら気付き、由佳はバツの悪そうな表情になった。
 「私、自分が本当はこの家の“娘”であることを、すっかり忘れてしまってたみたいです」
 「うんうん、あたしも。でも──それにしてもあの神様の“力”ってスゴいよねぇ。だって、由佳ママ、普通に美味しい晩御飯が作れてたし」
 「言われてみれば、そうですね」
 おそらく、由佳が“出雲家の主婦にして一児の母”という立場であるなら、料理などの家事は「巧くやれて当然」だからだろう。
 「ゆかりちゃんの方はどうなんですか? 学校の構造とか、お友達のこととか、キチンとわかります?」
 由佳にそう問われて、ゆかりもその辺りのことが気になった。
 最初はボンヤリと霞がかかったようにはっきりしなかったものの、改め意識を集中すると、“丁越市立第三小学校の六年二組に通う出雲ゆかり”としての記憶が次々と浮かんでくる。

 教室の席は窓際の前から三番目なこと。
 クラスでは保健委員をやってること。
 クラブは五年生のころからバトミントン部に入ってること。
 いちばんの親友は、ゆっことレミなこと。
 最近、同じバトミントン部の崑伯くんがちょっと気に……。
 (──あわわわわ!)
 余計なコトまで“思い出し”かけてしまい、慌ててゆかりは意識を逸らした。
 (ちちち、違うモン! あたし、別に崑伯くんのことが好きってワケじゃ……)
 「どうかしたんですか?」
 急に黙って百面相をし始めた娘を心配して、由佳が気づかわしげな声をかけてきたので、ゆかりは強引に思考を打ち切った。
 「え!? あ、ううん、なんでもないよ。うん、大丈夫、学校のことだって、バッチリ“思い出せる”みたい」
 「そうですか。それならいいんですけど」
 そう言いつつも、由佳は微妙に納得していないみたいだった。
 「あ、あたし、せっかくだから、おフロがわくまでの間に、宿題やってくるね!」
 けれどそれ以上追及されたくないゆかりは、勉強を口実(たて)に自室へと退避する。

 「あれ、あれれ……この宿題、けっこうむつかしくない?」
 とりあえず口実通り、宿題に手を付け始めたゆかりだったが、思いのほか苦戦してしまい、結局風呂が沸くまでには半分ほどしか済ませることができなかった。
 「やー、ゴメン、ちょっとナメてた。今の六年生の問題って、思ってた以上にむつかしいね」
 風呂から上がり、襟元や胸元、袖口などにヒラヒラとレース飾りのついた可愛らしい女児向けの白いパジャマに着替えた後、ダイニングでオレンジジュースを飲みながら、ゆかりはボヤく。
 「? そうでしたっけ? あまり苦労した記憶(おぼえ)はないのですけれど……」
 そう言えば、元の由佳はかなりの優等生だ。学校のテストの過半数で100点をとるほどだから、宿題程度で苦戦することはなかったのだろう。
 もっとも、そのぶん体育は苦手で、5段階評価の2か、よくて3というていたらくだったが。
 逆に、縁の方は小中高通じてほとんど学校を休んだことのない健康優良児で、卓球部に入った中学以降は運動会でも大活躍だったが、勉強の方は平均点レベルだった──ような気がする。
 「もしよかったら、見てあげましょうか?」
 「! ホント!? 超たすかるぅ~」
 今は立場交換しているとは言え、神の視点で見れば、“いい歳した大人”が“小学生”に勉強を教わる形になるのだが、それでいいのだろうか?
 もっとも、ゆかりはまったく気にしておらず、リビングで和気あいあいと“母娘の勉強会”が開かれることになるのだった。
 由佳(はは)に教えを乞いつつ進めたことで、小一時間程度で宿題は終り、娘(ゆかり)は上機嫌で「おやすみなさーい」と挨拶して自室のベッドに入る。
 由佳の方は、現金な娘の態度に苦笑しつつ自分も風呂に入り、風呂から上がると、コーラルピンクの瀟洒なナイトドレスを身に着ける。
 しばらく長い髪を乾かしがてら、居間のテレビで古い洋画の再放送などを観賞し、その後、時計の短針が12の文字を指すころに、夫婦用寝室のベッドで眠りに就いた。

 そして、結局ふたりは気づかなかった。
 いくらなんでも、短大まで出ているはずのいい年した成人(おとな)が、小学生レベルの問題でつまづくはずがないということに。
 優等生とは言え、決して天才肌というわけではない由佳が、懇切丁寧かつ手際よく“娘”に勉強を教えられることの不自然さに。
 どうやら、立場交換に伴う諸々の知識の入れ替わりは、本人達が理解している以上に進行しているようだった。


-07-

 ──そして数日が過ぎ、物語は冒頭の部分に戻るわけだ。
 もはや出雲母娘ふたりに、立場を交換しているという意識はほぼ皆無だった。
 決して、日曜日の神社での出来事を忘却ししまったわけではないのだが──皆さんは、休日の外出時に起きた“ちょっとしたハプニング”のことを、一週間近く経っても、繰り返し回想するだろうか?
 無論、よほど健忘症(とりあたま)な人でもない限り、何かキッカケがあればその場面を思い出すだろうが、逆に言えばそうでもない限り、何気ない日々の雑事に紛れてわざわざ思いだしたりしないのが普通だろう。
 つまり、今のふたりにとって、“小六の女の子”と“その母であり一家の主婦”として過ごすことが日常(あたりまえ)になっているため、本来の立場のことは記憶の片隅に埋もれてしまっている、というワケだ。

 娘(ゆかり)が小学校へ行くのを見送った後、由佳は家の中へ掃除しに戻った。
 ハタキをかけ、掃除機を使い、必要な場所は雑巾あるいは化学雑巾で拭きとって、みるみるうちに家中を綺麗にしていく。
 背の関係で手の届かないところでは脚立を使っているのはご愛敬だが、その行動すら手慣れており、もはや熟練主婦の領域だ。正直、本物の主婦である縁よりも明らかに手際がいい。
 これは、割と気分屋なところのある縁があまり家事に重きを置いていないのに対して、由佳の方は比較的真面目かつ凝り性なところがあるからかもしれない。
 同じ“主婦”という立場になってはいても、その辺りの個人差はやはりあるものらしい。

 掃除が終わると同時にあらかじめ回しておいた洗濯機から、脱水までが終わった衣類を取り出し、庭の物干しに次々干していく。
 「こんにちは、いい天気ですね」
 その合間に、顔見知りの近所の人が通りがかれば、キチンと挨拶しておくのも、留守を預かる主婦の務めだ。
 「あら、出雲さんのところの奥さんもお洗濯?」
 つい数日前までは由佳を“出雲家の娘さん”と認識していたはずの近所の人も、今はなんの疑問もなく“主婦をしている成人女性”とみなして接してくる。
 「ええ、今日は珍しく降水確率は10%以下みたいなので、たまには外干ししようかと思いまして」
 「そうよねぇ。最近は乾燥機があるから乾かすだけなら問題ないけど、お日様に当てないとどうも味気ない気がしてねぇ」
 「あぁ、わかります、その感覚」
 ふた世代(実際には12歳なのでさらにもうふた世代近く隔たりがある)ほど離れた年配の婦人とも、ごく普通に世間話を交わしている。
 小六の少女だった頃(いや、今でも身体的にはそうなのだが)は、かなり人見知り気味だったはずの由佳も、「主婦歴13年のそこそこベテラン」という立場のおかげか、こういうコミュニケーションは円滑に行えるようだ。

 近所の老婦人との雑談と洗濯物干しが終わると、今度は昼食の支度だ。
 縁が料理をしていた時は、朝はトースト&サラダ+α、昼はひとりなので袋ラーメンや惣菜パンで簡単に済ませ、夜だけはご飯とキチンとしたおかずというのが習慣だったが……。
 どうやら、主婦になった由佳の場合は、朝昼夜とも手を抜かずキッチリ作る派らしい。
 今日の昼も、アルデンテに茹でたパスタに、ジャコと紫蘇と梅干の微塵切りをからめて和風スパにし、ワカメと水菜のスープまで作っている。もっとも、スープの方は、夕食にも流用するつもりのようだが。
 食休みに紅茶をお供にダイニングで本(裁縫の実用書)をしばらく読み、一段落したところで今度はリビングで編み物を始める。
 と言っても、そろそろ初夏に近いのでセーターだのマフラーだのというワケではなく、毛糸のドアノブカバーやレース編みのテーブルクロスなどの小物作りに挑戦しているのだ。

 編み物に集中してしばしの時が流れ、気が付くとそろそろ午後4時を回る頃合いになっていたため、急いで洗濯物を取り込む。
 リビングで取り込んだ洗濯物を畳んでいると、「ただいまーっ!」という元気のいい挨拶とともに、ゆかりが学校から帰って来た。
 「お帰りなさい、ゆかりちゃん。学校の方は問題ありませんか?」
 「うんっ、ぜーんぜん問題ないよ。あ、ママ、おやつは?」
 活動的な小学生としての暮らしに体がカロリーを要求するのか、どうもゆかりは以前より食欲旺盛になっているようだ。
 「はいはい、ちゃんと用意してありますよ。でも、その前にうがいと手洗い、それからお洋服を着替えてらっしゃいな」
 未だ成熟とはほど遠い幼い顔に、しかしとびきり母性的な慈愛の笑みを浮かべつつ、由佳は娘(ゆかり)をたしなめる。
 「はーい!」
 対照的にゆかりの方は、大人びた(あたりまえだが)容貌でありながら、無邪気にそう返事すると、洗面所、そして子供部屋(じしつ)へと向かうのだった。


-08-

 さて、「丁越市立第三小学校六年二組・出席番号2番の出雲ゆかり」として学校に通うようになって以来、彼女の毎日は大変充実していた。
 “33歳の縁”であった頃(正確には今でも身体的にはそのはずだが)は、今はその立場になっている由佳が推察していた通り、片田舎での専業主婦としての暮らしには正直退屈(あきあき)していたのだ。
 これが以前いた場所と同様の都会なら、色々時間を有効利用するための方策もあったろう。
 逆にもっと田舎なら、濃厚かつお節介過剰な近所づきあいや、あるいは自分で裏庭を畑にして世話するといった事柄で、相応に暇をつぶすことができたかもしれない。
 しかし、大都市基準から優に10年以上発展の遅れた地方の小都市で、猫の額ほどの狭い庭付き一戸建て住宅(借家)に住む30代初めの主婦にとっては、あまりに日々の刺激が少なすぎた。
 だからこそ、あの日、神様の手違い(?)によって、娘と立場が入れ替わったことを、滅多にできないエキサイティングな体験として、積極的に受け入れる気になったのだ。
 そして、実際、20年ぶりに通う小学校は、思っていた以上に楽しい場所だった。

 「いってきまーす!」
 声質自体はともかく、まるっきり「元気な小学生の女の子」そのものな感じの明るく屈託のない声の調子で、“母”である由佳に挨拶すると、ゆかりはシタタッと速足で通学路を歩いて行く。
 白い半袖ブラウスに、グレーのボックスプリーツスカートを同色の吊紐で吊るし、足元は校章入りの黒いハイソックス──という小学校の制服を着ているが、羞恥や窮屈げな様子はまるでない。
 むしろ何年間もそれを着慣れたふうな印象だ。
 元々、本来の縁の小学生時代は私服で、かつ由佳よりも地味な服装をしていた。
 その記憶がぼんやりとだがあるため、このなかなかにオシャレな第三小学校の制服が着られることが、どうやら嬉しいらしい。
 「あ! おはよー、ゆっこ、レミ」
 通学路を歩くこと2分ほどで、“待ち合わせ場所”に着き、そこにいる“親友”たちに声をかける。
 「あら、おはようございます、ゆかりちゃん。今朝はちょっぴり早いのですね」
 ふんわりと人のよさそうな笑みを浮かべているのが、“幼稚園時代からのゆかりの親友”である西園寺悠子(さいおんじ・ゆうこ)。大仰な名前通り、それなりの旧家のひとり娘だ。
 (さすがに縁ほどではないが)背が高く、12歳にしては随分と(胸や腰回りなどの)スタイルも良いが、本人は「ちょっぴり太めなのでは?」と気にしていたりする。
 おっとりした性格ながら頭は抜群に良く、学年でも1、2を争うほどだが、反面、運動能力は体格に比してあまりよくはない──とは言え、壊滅的というほどでもなく、まぁ「多少苦手」くらいのものだが。
 「やぁねぇ、午後から雨でも降るのかしら。あたし、今日は傘持ってきてないのよ?」
 何気にヒドいことを言ってるのが博来麗美(はくらい・れいみ)。こちらは、“3年生進級時のクラス替えで面識ができて以来の仲”だ。
 ズケズケとした物言いで敵も多いが、ゆかりは麗美のそんなところが気に入っている。
 5年生になった時のクラス替えで、麗美とは引き続き、悠子とは2年ぶりに同じクラスとなり、以来、自然と3人で過ごすことが多くなった(という風に、立場交換の結果、過去の状況が変化している)。
 もっとも、今のゆかりにとっては、その仮初の記憶の方が“真実”だと感じられるのだが。
 「今日はクラブ活動の日だからねッ! 楽しみだなぁ」
 中学や高校の部活ほどキチンとしたものではないが、丁越市立第三小学校も、5、6年生には週に2日“クラブ活動”の日を設定し、スポーツや文化活動に費やさせている。
 クラブ活動に関しては、ゆかりたち3人は揃ってバドミントン部に所属している。ゆかりが積極的に興味を示し、他の親友ふたりも彼女に引きずられる形で入ったのだ。
 これは、“縁”が中学時代は卓球、高校ではテニス、短大ではラクロスをやっていた影響か、今のゆかりも“ラケットを使うスポーツ”に大いに興味を惹かれたからだ。
 ちなみに、由佳が本来の娘としての立場で小学生をやっていた時は図書クラブに所属し、適当な本を読んで感想文を書く……というのが活動の主体だった。悠子や麗美ともクラスメイトという以上の接点はなかった。
 「──そう言えば、ゆかりんとの前回の勝負は1勝2敗だったわね。今日こそ勝ち越すわよ!」
 「フッフッフッ、甘い。返討ちにしてくれるわ」
 バチバチッと視線で火花を散らすゆかりと麗美。
 「うーん、バトミントン勝負のことは6時間目のお楽しみとして、麗美ちゃんは日直だから、今朝は早めに登校したほうがいいんじゃないですか?」
 おっとり天然気味に見えて、悠子は案外しっかり者だ。この3人組のなかでは、おもしろそうなことに率先して飛びつくゆかりと彼女に引きずられがちな麗美のお調子者コンビに、きっちり釘を刺す係と言えよう。
 「あ、そうだった! じゃ、あたし、先に行くわね」
 バタバタと小走りに駆け出す麗美に「がんばってねー」と声援を送りつつ、ゆかりは悠子と仲良くおしゃべりしながら登校するのだった。

 大のおとなが六年生とは言え小学校に通って授業を受けるなんて退屈──かと思いきや、あにはからんや、“六年二組・出席番号2番の出雲ゆかり”という立場になっている彼女は意外なほど小学生ライフを満喫していた。
 本人は未だ気づいていないが、由佳との立場交換に伴い、30過ぎた成人女性として本来持っていたはずの知識の少なからぬ部分が消失していたため、担任教師による授業を新鮮な気持ちで聞くことができたのが理由のひとつ。
 そしてもうひとつは、ゆかりの本来の小学生時代である“八幡縁”(八幡は旧姓だ)に起因する。
 結婚してかわいい娘もできた現在の姿からは想像もつかないが、実は子供の頃の縁は、由佳以上に小柄でやせっぽち、かつ内気で地味な少女だったのだ。
 いじめられてこそいないものの、伸ばした前髪で目を隠し、うつむきがちで友達も非常に少なく、放課後もまっすぐ家に帰るような、さびしい小学生生活を送っていた。
 これではいけないと一念発起して、中学進学と同時に前髪を上げ、思い切って卓球部に入部し、体を鍛えつつ少しずつ社交性を磨いた結果、小学生時代とは別人のように明るくなれ、友達も増えた。
 その結果、高校でテニス部に入るころには、完全に「クラスの男子の憧れの美少女」と化し、イケイケ(死語)なハイスクールライフを送ることになる。
 で、短大進学後、夫となる藍一郎とコンパで出会い、つきあい始めて、卒業直前に妊娠が発覚、卒業後即ゴールイン──となるわけだ。
 話を元に戻すと、そういう過去があったため、縁は小学生時代の“八幡縁(じぶん)”があまり好きではなかった。
 しかし、今は、“出雲ゆかり”として、成長後の社交性や要領の良さを持った状態で楽しい小学校生活(スクールライフ)を送れることに非常に満足し、本来の立場も忘れ気味なほどのめりこんでいるのだ。

 しかし、ゆかりは気づいているだろうか?
 「根暗だった小学生時代(あのころ)の自分(きおく)なんか忘れたい」と無自覚に願うことで、現在の暮らしによる当時の記憶の上書きが起こり……それに伴って、精神面での小学生化が、より進行していることに。

 「あ、今日休んでる人の分のプリン、もーらいっと!」
 「こらぁ! ゆかりん、何勝手に持ってっちゃってるのよ!」
 「そうだ、ズルいぞ、出雲! ここは公平にジャンケンだろ!!」
 ──ぎゃあぎゃあ、わあわあ……と、麗美や他の男子生徒たちクラスメイトに混じって、たかだか給食のデザートのことで騒いでいる彼女は、たぶんまったく気付いていなさそうではあるが。


-09-

 “母”としての由佳と“娘”としてのゆかり──出雲親子は、それなり以上に“現状”に順応し、にぎやかだが快適な日々を送っていたのだが……。
 その仮初の平穏は、一本の電話によって破られることになる。

 それは、ふたりの立場が入れ替わってちょうど7日目となる土曜日の夜。

──prrrr…………!!!!

 軽快な呼び出し音を奏でる電話の受話器を、洗い物を終えてちょうど居間に入って来た由佳が取り上げた。

 「はい、出雲でございます……あっ、藍一郎(あいいちろう)さん?」
 「!」
 父(本来は夫)の名前が由佳の口から出たのを聞いて、ゆかりもテレビのバラエティ番組から視線を外し、由佳の言葉に耳をそばだてる。
 「そう、そうなの……ふふっ、もちろんうれしいわ。でも、あまり無理はなさらないでね」
 にこやか──というか、喜びを満面にたたえた笑顔で、由佳は電話の向こうと会話している。
 「ゆかりもいますよ。替わりましょうか? え? 「ゆかりと話すと長くなりそうだし、国際電話は高いからいい」?」
 それを聞いて、ワクワクしていたゆかりの顔が一転、ガッカリした表情になる。
 「じゃあ、おやすみなさい。月曜の夜は、あなたの好物の肉じゃがを作って待ってますから」
 優しい声でそう伝えると、由佳は夫(本来は父)からの電話を終えた。
 「──パパからだよね。なんだって?」
 電話を替わってもらえなかったので内心ちょっぴり拗ねていたものの、好奇心には勝てず、ゆかりが由佳に尋ねる。
 「お仕事が予定より早く終わったから、来週の月曜日には帰れるんですって」
 「へー、そうなんだ。出張先ってフィリピンだっけ? お土産何かなぁ」
 「そうねぇ、南国系のドライフルーツとかお菓子が定番かしら。あとはココナッツオイルとかが多いみたいですね」
 そんな会話を交わしつつ、およそ半月ぶりに会える夫/父の顔を想像して、心が弾む由佳とゆかり。

 しかし、彼女たちは気づいているのだろうか?
 これまで母娘ふたりきりで過ごしてきた家庭に、出雲藍一郎という異分子(家族なのにそう呼ぶのは変な話だが)が加わることで、大きな変化がもたらされるだろうことに。
 “娘”であるゆかりはともかく、“妻”である由佳が、“夫”に対して(特に夜、寝床で)どう接するべきなのかという極めて重要な問題に……。

 一方、出張先のマニラでは、妻と娘の複雑な事情を(当然ながら)知らない藍一郎は、ふたりへの土産をトランクに詰め直そうとして頭を抱えていた。
 いつもお菓子や果物では芸がないだろうと、ちょっと奮発して、“テルノ”と呼ばれるフィリピンの女性用民族衣装(裾の長い半袖ワンピース)を購入してみたのだが……。
 「僕はどうしてこんなデザインを選んだんだろう」
 “妻”である由佳は、その小柄な体格を考慮すると、ある程度選択肢が限られるのは仕方ないが、それでもこの真っピンクでフリルが満載の子供っぽいデザインはない。
 逆に、小学生ながら大人顔負けのプロポーションを誇る“娘”のゆかりとは言え、サーモンベージュで無地のデザインは渋過ぎるし、胸元が大きく開き過ぎなのも問題だ。

 ──無論、これはふたりの立場が交換される前、フィリピンに着いて早々に藍一郎が購入していたからだ。
 電話をして由佳と意思疎通することで、彼も速やかに立場交換による環境変化の輪に組み込まれたのだが、日本から遠すぎるせいか、その影響が完全には及ばなかったらしい。
 「買い直すべきか、それとも開き直って「このサイズだとこういうデザインしかないんだよ!」で押し通すべきか……」
 当事者以外から見れば割とどうでもいいことで悩む彼は、この時、まだ平和だったと言えよう。


-10-

 さて、その藍一郎が帰宅する予定の月曜日の正午過ぎ。
 「フンフンフ、フーン、フーンフフーン♪」
 出雲家の台所には、鼻歌混じりに上機嫌で昼食の洗い物をする由佳の姿があった。
 白いジョーゼット地のフレンチスリーブブラウスにブローチに似たループタイを締め、ボトムはサイドスリットの入ったライトグレイのミディスカートと、ちょっぴりいつもの普段着よりオシャレだ。
 おそらく、半月ぶりに夫(本来は父)に会えることに浮かれているのだろうが……。

──ピンポーン!

 ちょうど洗い終わったところで、玄関のチャイムが鳴った。
 「はーい、どなたですか?」
 水道を止め、インターホンを覗き込んだ由佳の目に映ったのは、トランクを脇に置いた“夫”──出雲藍一郎の姿だった。
 『やぁ! 会社に寄らず、直接帰って来たよ』
 「藍一郎さん!? 今、開けます!」
 慌てて玄関へ移動……する前に、エプロンを外し、洗面所の鏡で服と化粧に乱れがないか確認するのは、久々に逢う“愛しい夫”に情けない姿は見せたくないという女心だろうか。
 ほんの僅かな寄り道の後、玄関の鍵を外すと、ドアを開けてこの家の主が入って来た。
 「ふぅ……ただいま、由佳♪」
 「お帰りなさい、藍一郎さん(はぁと)」
 ニッコリ微笑み合う、結婚13年目にして未だ鴛鴦夫婦を地でいくと近所でも評判の出雲夫妻。語尾に音符やハートマークが付きまくりだ。
 ──元の縁&藍一郎夫妻の仲も決して悪くはなかったのだが、現在、例の立場交換で由佳が母、ゆかりが娘となっている。
 その結果、ややファザコンの気(ケ)があった由佳とひとり娘を溺愛していた藍一郎の組み合わせにより、それをはるかに上回るラブラブっぷりを振りまくバカップルが爆誕しているのだった!
 「会社は大丈夫なんですか?」
 「ああ、部長には連絡を入れてある。「明日からまたこき使ってやるから、今日はそのまま家でゆっくりしろ」だそうだよ」
 そんな会話を交わしつつ、由佳が藍一郎の脱いだ背広を受け取り、ハンガーにかけ、さらに家用の普段着をタンスから出して渡す。
 藍一郎が着替えている間にコーヒーを淹れ、ダイニングに向かい合って座り、出張中の彼の苦労話を聞いたり、逆に日本に残った母娘(ふたり)の近況を話したりする。

 穏やかな午後のひととき……だが、この夫婦はふたりともまだ若い(まぁ、由佳の場合は、本来は幼いと言うべきか)。
 ひと心地つき、家にふたりきり、今すぐやらないといけないこともない、しかも半月ご無沙汰(藍一郎も出先で風俗などに行ってない)──となれば……まぁ、そういう雰囲気にもなってくるワケで。
 「……」「……」
 無言で見つめ合うふたり。
 視線で問いを投げかけつつ、夫が妻の手をそっと握り、それを恥ずかしそうに妻がキュッと握り返すのが、この夫婦の“合図”だ。

 藍一郎は立ち上がると、テーブルを回って、由佳の腰掛ける椅子へと近づいた。
 そのまま彼女の小柄な体を抱え上げ、いわゆる“お姫様だっこ”の体勢のまま1階奥の夫婦の寝室へと運び、綺麗に整えられたベッドの上へと下ろす。
 恥じるような期待するような表情で由佳がそっと目を閉じ、顔を上に傾けてきたので、その期待に応えて唇を奪う。
 最初は軽いフレンチキス──だが、すぐにそれは互いを深く求めるような情熱的な口づけへと変わる。由佳の唇に覆いかぶせるように強く唇を重ね合わせた。
 「ん……んむっ……」  
 由佳が甘く熱い吐息を漏らしたことを確認すると、藍一郎は彼女の唇をこじ開け、その口腔内へと舌を挿し込んでいく。
 舌を伸ばして由佳の舌に触れると、彼女の側も、おずおずとではあるが懸命に応じてきた。
 舌を絡めつつ唾液を注ぎ込むと、由佳の側もこくりとそれを呑み込む。
 それだけのことで、まるで媚薬でも飲まされたかのように艶かしく紅潮した顔で、由佳が切なげに藍一郎を見上げてきた。
 「藍一郎さん……」
 「ふふっ、わかってるよ」

 藍一郎はいったん唇を離し、しどけなく力の抜けた由佳(つま)の身体をそっと抱きよせると、慣れた手つきでたちまちブラウスとスカートを脱がしてしまう。
 白ブラウスにグレイのミディスカートという清楚な服装とは裏腹に、その下にはワインレッドのブラジャーとショーツ、それに黒のガーターストッキングというアダルトな装いが隠されていた。
 「ふふっ、こんないやらしい下着をつけて……僕の可愛い奥さんは、いったい何を期待していたのかな?
 「ああっ、ごめんなさい、藍一郎さん……でも、久しぶりにあなたに逢えると思ったら、私、我慢できなくて……」
 まるで妖精のように華奢な肢体のいたいけな美少女に見える妻(本来は娘だが)に、そんなコトを言われて、燃え上がらない夫(おとこ)がいるだろうか?
 当然の如く藍一郎も鼻息荒くなり、自らの興奮を少しでも鎮めるべく、由佳の身体を、ギュギュッときつく抱きしめる。
 腰まで流れるしなやかなその髪に顔を寄せると、爽やかな柑橘系のフレグランスの香りに混じって、“発情した牝(おんな)”特有のフェロモン混じりの汗の匂いが漂っていた。

 「あン……藍一郎さん……うれしい♪」
 どうやら相手もソレを望んでいるようなので、今日は少しばかり激しくしても大丈夫そうだ。
 そう判断した藍一郎は、由佳の上に覆いかぶさるような姿勢になり、本格的に愛撫を始めた。

……
…………
………………

 それから数十分後、ようやく藍一郎の劣情が収まり、由佳も快楽の波で叩きこまれた白い空間から意識を復帰させる。
 両者共、あまりに深い快楽の余韻に、ぐったりと力が抜けながら、それでもふたりは結びついたまま、何度目かの熱い口づけを交わすのだった。


-11-

 “出雲ゆかり”が、その場面を目撃したことは、ある意味偶然であり──また、ある意味では(時間の問題という意味で)“必然の流れ”ではあったのだろう。

 「おかえり、ゆかり」
 その日、学校から帰ってくると、出張に行っていたはずの父が帰宅しており、なんだかとても幸せそうな母と一緒に迎えてくれたのだ。
 「あ、パパだ。ただいま~。それと、パパもおかえりなさーい!」
 本来の“娘”の立場である由佳ほどではないが、この“出雲家のひとり娘”としてのゆかりも、父である藍一郎のことは決して嫌いではない。
 むしろ、ランドセルも下ろさずに駆け寄って抱きつくくらいには、父に懐いていると言ってよいだろう。
 「ねーねー、お土産は? お土産は?」
 ──まぁ、その行動の何割かは父の土産目当てだったようだが。
 「はっはっはっ、心配しなくてもいいよ。ちゃんと買って来てあるから」
 「ゆかり、先に手を洗ってうがいをしてから、ランドセル置いて着替えてきなさいね」
 「はーい」
 素直に母である由佳の言葉に素直に従い、ゆかりは洗面所に向かう。
 手洗いとうがい、それと洗面を済ませて子供部屋に戻り、小学校の制服を脱いで、白と紺のマリンボーダーの半袖ワンピースに着替える。
 短めのおさげに束ねた赤いリボンを解いて、姿見の前で髪を整えていると、ほんの一瞬だけ奇妙な感慨が湧いてくる。
 「あたし……本当は“パパの奥さん”のはずなのに、こんな格好で小学生の娘として接しちゃってるんだ……」
 久しぶりに自分の“本来の立場”を思い出しはしたのだが、どうにも自分が本来は“藍一郎の妻”だという実感が持てない。
 (そりゃ、パパのことは好きだけど……あくまで“お父さん”として、だよねぇ)
 結婚式で隣に立つのではなく、祭壇まで腕を組んで連れて行ってくれる男性。
 そして、その時、祭壇の前で待っていて誓いのキスをしてほしい相手と言えば……。
 (きゃーーーーっ、ダメダメ、何考えてるのよ、あたしは!)
 無意識に「クラスでちょっと気になる男の子」の顔を思い浮かべてしまい、頬を赤らめてベッドに突っ伏し、足をバタバタさせるゆかり。とても、本来33歳の経産婦だとは思えぬウブさだ。
 無論、これは立場交換に伴い、“大人の女”としての恋愛経験その他の記憶の大半が、由佳に移動してしまったせいなのだが。

 その後、1階のリビングに来たゆかりは、約束通り“父”が買って来たフィリピン土産の洋服を見て喜んだり、同じくお土産のドライマンゴーを食べて微妙な表情になったりする。
 ちなみに、前者に関しては、結局、藍一郎は店に行って買い直したらしく、由佳用にはシックな臙脂のテルノ、ゆかり用には明るい水色のテルノが渡されて、母娘とも満足したようだ。
 後者については、お子様味覚になってる今のゆかりとっては、それほどおいしく感じられなかったらしい。逆に由佳や藍一郎本人は割と気に入ったようなのだが。

 父の土産話で盛り上がった夕食の後、明日も普通に学校があるゆかりは、部屋で宿題を(頭をひねりつつ何とか)済ませてからお風呂に入り、髪を乾かしながらテレビを観る。
 「そう言えば、パパやママたちはお風呂、入らなくていいの?」
 「ん? あ、ああ、パパは家に帰って来たあと、汗とかでベトベトだったからもう入ったんだ」
 「ママも、沸かしたお湯がもったいないから、その時にね」
 なんとなくふたりが慌てているみたいなのは気のせいだろうか。
 (! もしかして、パパとママ、ふたりいっしょに入ったのかな?)
 出雲家の風呂は、湯船は平均的な大きさだが、洗い場はやや広めに作られてるので、ふたりの人間がいっぺん入ってもそれほど窮屈ではないだろう。
 (照れてるのかな? ヘンなの。パパとママは夫婦なんだから、別に一緒にお風呂に入ってもおかしくないのに……)
 先ほど自室で一瞬“本来の立場”について思いだした時と異なり、今のゆかりは完全にふたりの愛娘になりきっており、無邪気にそんなことを考えるばかりだ。
 「ふーん。じゃ、あたし、そろそろ寝るから。おやすみなさーい!」
 “父と母”に挨拶して自室に戻り、最近お気に入りのパジャマ──胸元にレース飾りが付いたピンクの半袖チュニック風トップと、同じ色でフリル満載のドロワーズ風ボトムに着替えて、ベッドに入る。
 そのまま、いつもなら朝までぐっすり……のはずなのだが、久々に“父”と会ってはしゃいでいたせいか、夜半過ぎ──午前1時を少し過ぎた頃、ふと目が覚めてしまったのだ。
 ちょうど喉も乾いたので、冷蔵庫の麦茶でも飲もうと階下に降りたゆかりは、一階の奥、“両親”の寝室から何か物音がするのに気づいてしまう。
 (あれ、何だろ。パパとママ、まだ起きてるのかな?)
 「呻くような声とギシギシと何かが軋む音」を不審に思ったゆかりは……足音を殺して両親の部屋に向かい……そして、ドアの前ではっきりと聞いてしまうのだ。
 
 「──ひぁあっ! あ、あなた! 私、もぅ……」
 「……最高だよ、由佳! くっ……もう、イキそうだ」
 「キて! 私の中に、いっぱい出してぇ」

 いわゆる“ギシアン”──「ギシギシ」と「アンアン」に「ぬちょねちょ」と湿った音の追加まであっては、さすがにゆかりも、そこでナニが行われているのか、おおよその想像はつく。
 真っ赤になって、あわてて自室まで(一応、足音を忍ばせつつ)駆け戻るゆかり。
 「──あ、アレって……そういうコト、だよね?」
 小学六年生ともなれば、保健体育の時間にひととおりの性教育も受けており、また友人たちとの会話でそのテの話題が出ることもあって、性交(セックス)のの何たるかくらいはおぼろげに理解している。
 そう、“おぼろげに”だ。
 今のゆかりは、恋愛関連同様、六年生の女子小学生という立場相応の性知識しか持っていないので、「男女が裸で抱き合ってキスしたり色々する」くらいのぼんやりしたイメージしか持っていないのだ。
 無論、小六でもそちら方面に好奇心旺盛な子なら、男子はエロ本、女子アダルトレディコミなりを見て、耳年増ならぬ読年増になってたりするものだが、このゆかりは、そちらはてんで“オネンネ”だった。
 なにせ、立場交換して以来、一度も自慰行為すらしていないくらいなのだから……。
 そんなゆかりも、両親の交わりを目撃(正確には音を聴いただけだが)したことには、それなりの衝撃を受けたらしく、動悸が早まり、布団の中で無意識に下肢を擦り合わせていた。
 (えーと、確か……悠子ちゃんの話だと……)
 おずおずと左手をその豊満な胸に、右手をパジャマの上から股の付け根の交差地点へと伸ばすゆかり。
 「あっ……んはぁっ!」
 本来なら、歳を経て性的にそれなり以上に成熟しているはずの彼女の性感は、しかし現在の立場を反映するが如く未熟なものとなっている。
 胸のつぼみも、娘ひとりを産み育てたとはとても思えない可憐な淡いピンク色をしており、ゆかりの拙い愛撫にも敏感に反応する。
 そして、股間への接触は……。
 「ひぁんっ! ぅぅ……刺激が強過ぎるよぅ」
 どうやら、まだ少し“この子”には早かったらしい。
 それでも胸への愛撫を中心とした“はじめてのおなにー”で、軽くではあるが“イった”ゆかりは、そのまま今度は夢も見ない深い眠りに就いたのだった。


-12- 

 出雲家の母娘が、“お社の神様”のちょっとした早とちりで立場を交換してから、3ヵ月あまりの時間が流れた。

 「じゃあ、パパ、ママ、いってくるね!」
 「うん、行ってらっしゃい。僕たちも、お昼頃からそっちに行くよ」
 「いってらっしゃい。ゆかりちゃんのお姫様、楽しみにしてますからね」
 「も~、“ぷれっしゃぁ”かけないでよ、ママぁ。でも……うん、ガンバる!」
 白の長袖ブラウスと前に6つ飾りボタンの付いたグレーのジャンパースカート、足元は黒のニーソックスという秋用女子制服がよく似合っている少女は、元気に家を飛び出していく。
 今日は土曜日だが、第三小学校の文化祭のある日で、彼女の“両親”も娘の晴れ舞台(クラス演劇のヒロイン役に抜擢されたのだ!)を観に駆けつける予定だ。

 そして互いの呼び方から推察できるだろうが出雲母娘──由佳とゆかりは、未だに立場を交換したままだった。
 ──と言うか、すでにふたりとも現在の状況に順応しきって、元の自分の立場をほとんど忘れ去っているといってもよいだろう。
 あるいは、再びあのお社に足を踏み入れれば立場交換のことを思い出すかもしれないが……たとえそうなっても、ふたりが“今の立場”を手放して元に戻りたいと願うかは疑問だろう。
 なぜなら……。

 「あ! おはよー、ゆっこ、レミ。学校までいっしょに行こ」
 「おはようございます、ゆかりちゃん。ええ、もちろんですわ」
 「おはよう、ゆかり──へぇ、ずいぶん張り切ってるじゃない。そんなに白雪姫役になれたことがうれしかったの?」
 いつもの友人ふたりと合流して、文字通り女の子3人でかしましくおしゃべりしながら学校へ向かう。
 「違いますよ、れいみちゃん。ゆかりちゃんはお姫様役になれたこと自体よりも、王子様役(おあいて)が崑伯くんなことが……」
 「ちょ、ま、待ってよ。ゆっこ。誰も、陽介くんのことが好きだなんて言ってないでしょ!」
 「……いま、言ったようなものだと思うわよ?」
 「……………あっ! ち、違うの、違うからね!!」
 ──まぁ、此方はこんな感じだ。どこぞの少女漫画で描かれそうな、「12歳のピュアな恋愛」しているゆかりが、元の“30代初めの退屈な専業主婦の生活”に戻りたいとは思うまい。
 余談ながら、ゆかりの思い人である崑伯陽介の方も彼女のことを憎からず思っており、小学校卒業直前に彼から告白してめでたくカップルとなり、中学進学後もその交際は続いていくことになったりする。

 一方、その“33歳主婦”の立場となった由佳の方はと言えば……。
 「ところで、由佳、体調のほうは、本当に大丈夫なのかい?」
 「ええ、もちろんですよ、藍一郎さん。つわりは先週くらいからほとんど治まってますし……。でも、そろそろマタニティドレスとかを買いに行った方がいいかもしれませんね」
 「だったら、ゆかりの学校から帰る途中、駅前のファッションセンターに寄ろうか?」
 「ええ、そうしましょう」
 ──此方は、どうやら“おめでた”のようだ。そりゃあ、あんな調子でほとんど毎晩やることヤってれば、妊娠もするだろう。
 幸い……と言うか何というか、立場交換の結果、この由佳には娘(ゆかり)を産み育てた記憶と経験が(因果律の修正によって)備わっているので、“初産の時”ほど苦労はせずに済みそうだ。
 縁以上に母性本能あふれる(そして旦那様とも熱々な)この由佳が、夫と胎児(こども)を手放すなんてことも、およそありそうにない。

 実際、これからおよそ7ヵ月後の五月下旬に、由佳は無事に男児を出産し、出雲家に4人目の家族が加わることになる。
 夫である藍一郎はもちろん、中学に入ったばかりのゆかりも、弟ができてお姉ちゃんになったことを喜び、いろいろな面で母を手伝うようになる。
 そのおかげで家事(とくに料理関係)の腕前が(立場交換前以上に)上がり、彼氏である陽介の胃袋(ハート)を、手作り弁当などでさらにガッチリ掴むことができたので、結果オーライと言えるだろう。

 こうして出雲一家は、長男が生まれたあとも、騒がしくも仲良く暮らしていくのだった。

~おしまい~


あとがき
 実は、長男の橙也くんが生まれたのち、由佳は単身例のお社に赴き、神様に向かって、元に戻ることではなく、娘であるゆかりに本来の自分が持つ“若さ”を分けてあげてほしいと願う──という裏設定があったり。
 その結果、神様の手によって、ふたりの寿命が足して二等分され、ふたりとも二十歳前後の“若さ”になったため、ゆかりは“大人っぽく見える長身の中学生”、由佳は“30代だが10歳くらい若く見える小柄で童顔な女性”として、以前よりは“現実にいてもおかしくない”存在になっています。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

KCA(嵐山之鬼子)

Author:KCA(嵐山之鬼子)
Pixiv、なろう、カクヨムなど色々書いてます。感想などもらえると大変うれしいです。
mail:kcrcm@tkm.att.ne.jp

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード