『任務娘・大淀の奇妙な愛情』

『艦これ』物。『鎮守府戦線』と『時ナラヌ雨ニフラレテ』の間に位置するお話です。支援初出→H追加&微修正でピクシヴ……といういつもの流れですが、このブログ版は、最後にどちらでも明かされなかった衝撃(?)の事実をネタバレしています。


『任務娘・大淀の奇妙な愛情
~いかにして彼は提督を辞め、ひとりの艦娘(おんな)としての悦びに身を委ねたか~』


-00-

 「あー、まぁその、なんだ……大淀、コレ、受け取ってくれないか?」
 目の前にいる青年から差し出された小さな箱──いや、正確にはその中身を目にして、彼女は躊躇いを見せる。

 (どうしよう……どうしたらいいの……)

 青年──“提督”が差し出す指輪(ソレ)は、提督・艦娘間特殊専属契約──俗に“ケッコンカッコカリ”と呼ばれる特殊な“契約関係”を結ぶための特別な艤装(パーツ)だ。
 秘書艦などの場合、提督のプライベートな面にもいくらか関わることはあるが、本来、提督と艦娘はあくまで上司と部下の関係である。
 とは言え、多くの提督は男性であり、対して艦娘はタイプこそ違えどそのほぼすべてが美女・美少女揃いだ。長く苦しい戦いを力を合わせて乗り切る男女間に、恋慕や愛情といった気持ちが生じるのも無理ない話である。
 しかしながら、機密保持その他の関係上──少なくとも“艦娘”である間は──彼女たちは人権の一部は制限される。結婚およびそれに連なる妊娠・出産も制限される事項のひとつだ。
 そこで登場したのが“ケッコンカッコカリ”というシステムだ。
 これは、艦娘の召喚契約の一部を書き換え、契約主を鎮守府から提督個人へと変更するものであり……同時に対外的には「この子、オレの嫁さんね!」と宣言するための、事実上の結婚指輪なのである。
 艦娘の練度が最高レベルまで到達した時にのみ許可され、かつ提督と艦娘の双方が合意しなければ結ぶことができない、非常に特別な“絆の証”とも呼べるものと言えよう。
 実際、ケッコンカッコカリ後、既定の年限を勤めあげて退役した後に改めて提督と正式な婚姻関係を結ぶ元艦娘も多い──というか、大半がそうだ。
 それを目の前の青年──高木醍醐中佐が、彼女──秘書艦である軽巡娘の大淀(正確には大淀・改だが)に差し出している。彼の気持ちが分からないほど、彼女は朴念仁でも愚鈍でもなかった。
 実のところ彼女自身も、自らの提督に対して少なからぬ好意は抱いている。
 身寄りと呼ぶべきものが既にない彼女にとっては、この鎮守府こそが家であり、仲間の艦娘たちが家族、そして高木提督は司令官(じょうし)であると同時に頼もしい兄のような存在であった。
 仮に彼への好意を分析するなら、敏腕指揮官に対する敬意が3割、兄に対するような親愛の情が3割、そして──恋とも愛とも呼ぶべき慕情が残りの4割を占めるだろう。
 そう、彼女も高木提督のことが「大好き」なことに間違いないのだ。
 恋愛的感情が4割程度に留まるのも、これまで彼女があえて自制していたからこそで、もし彼の申し出を受け入れてケッコンし、(実質的な)妻となったら、たちまち彼との新婚生活に溺れてしまう自信(?)がある。

 それなのに、指輪を受け取ることを躊躇うのは……もしかして、冷静沈着な秘書艦にして第一艦隊旗艦として、自分(と提督)が愛欲に塗れてフヌケてしまうことを警戒しているのだろうか?
 ──そうではない。そういう危惧がまったくないわけではないが、それ以上に慎重にならざるを得ない“秘密”が彼女にはあるのだ。
 すなわち……。

 (本来は艦娘どころか女性ですらなかったはずの私が、提督とケッコンしてもいいんでしょうか?)


-01-

 中学入学直後に両親と姉を事故で亡くし、保険金や親戚の好意などのおかげで、どうにかこうにか中学を卒業した少年・淀川広海(よどがわ・ひろみ)は、そのまま自衛隊から防衛軍に名称を変更して久しい組織へと入隊を決めた。
 淀川少年はかなり頭が良く、成績も優秀だったので、奨学金を受けて高校に通うという選択肢もあったのだが、他人の“お情け”で生きるスタイルに、潔癖な少年の心がいい加減我慢できなかったのだ。
 もっとも、“このご時世”とは言え中卒で雇ってくれる民間企業に、待遇・給与諸々の面でまともなところは希少だ。
 そこで、公務員(おやかたひのまる)の中で、もっともなれる可能性の高い──というか、犯罪歴がなく健康なら、即なれる職業へと志願したのだ。
 幸いにして地頭の良さに加えて、広海は運動能力も同世代の平均より幾分高かったので、兵士としての暮らしにも馴染めると思ったのだが……。
 入隊時に受けたチェックのせい(もしくはおかげ)で、少年の目算は大きく狂うことになる。
 彼には、有意識艦隊同調能力──平たく言うなら“艦娘の提督”になりうる資質があったのだ。

 10年近く前に、深海棲艦による大侵攻を跳ね返し、逆侵攻を仕掛けて奴らの“巣”のいくつかを壊滅させたことで、日本はそれまでと比べると格段に余裕ができた──が、完全に平和というにはまだ程遠い。
 かつてのように資質があれば義務教育中のローティーンの少年すら徴発するようなブラックさはなくなったものの、依然として“提督”になれる人材は貴重だ。
 すでに軍へ志願していたこともあって、簡単な意思確認を経ただけで、淀川二等兵はそのまま士官学校の促成コースに放り込まれ、半年間の詰め込み教育の結果、卒業とともに少尉に任官。
 その直後、辞令を受け取り、対深海棲艦特別法令によっていきなり少佐の階級を与えられ、山陰地方の片隅にある小さな鎮守府へ配属されることになった。
 海軍上層部の思惑としては、そこにいる先任の老提督の監督のもとで簡単な任務からじっくり経験を積ませ、1、2年後ある程度提督として成長したら、もっと大きな鎮守府でホープとして活躍してもらうつもりでいたのだ。

 ところが、彼の任官直後にいくつかの不運が重なった。
 まず、海軍内部の手続き等の不備により、着任後しばらく彼に配下となる艦娘が与えられなかったのだ。いや、“建造”の許可が下りなかった、と言うべきか。
 仕方なく、当面は先任老提督のもとで、彼の仕事ぶりを見学することが淀川少佐の仕事となる。時には書類仕事を手伝うこともあった。
 その過程で、大本営からの指令を鎮守府の提督に伝える役目を負った任務娘・大淀や、兵站関連を司るアイテム屋娘・明石とも、それなりに親しくなっていた。
 第二の不運は、彼の着任から3週間後。ようやく形式が整い、いよいよ自分の艦娘を“建造”できる──という段になって、突如、老提督が亡くなってしまったのだ。
 就寝中の心臓麻痺であり、おそらく苦しみはなかっただろうというのが唯一の救いだ。
 派手な戦果こそなかったものの、堅実な艦隊運用を行い、最小限の被害で最大限の効果を上げていたベテラン提督の早すぎる(享年62歳)死に、鎮守府は大いに揺れた。
 艦娘たちの半数以上が退役願を出し、残る艦娘の大半も別の鎮守府への異動を希望している。ちょうど大本営への連絡任務で鎮守府を離れていた大淀も、退役希望組のひとりだった。
 大淀は鎮守府に戻ることなく、郵送で彼女からの退役願が鎮守府に届いた。
 その手紙を、亡き提督の秘書艦・五月雨(この子は数少ない残留希望組だった)ではなく、その事務の手伝いをしていた淀川少佐が受け取ったのは、果たして天の配剤か、はたまた悪魔の姦計か。

 いまさらながら、淀川少佐──いや、未だ16歳になったばかりの少年・広海は、自分が提督という立場になることを怖れていた。
 自分が戦って死ぬなら、まだよい。しかし、提督とは、自分は鎮守府に留まり、最前線で戦う部下の艦娘たちに「戦え」そして必要なら「死ね」と命じなければならない職業なのだ。
 おまけに、だいぶ数が減ったとは言え、老提督配下だった残りの艦娘も、このままなら自分が面倒を見ることになるのだろう。
 未だ実戦のひとつも経験したことのない青二才の自分が、ベテラン提督の薫陶を受けて全員50レベル以上の練度を誇る歴戦の艦娘たちを指揮する?
 できるわけがない。仮に実行しても、否応なくありし日の老提督の指揮ぶりと比べられ、嘲笑われるハメになるに違いない。
 そう考えると強度のストレスで広海は胃が痛くなりそうだった。
 せめて自分独自の艦娘がいれば同じ新米としてシンパシーを感じることもできるのだろうが、大本営からは建造許可を一時棚上げする旨の指示が下りていた。

 そんな時、彼の手元に届いた大淀からの手紙。封筒には退役願のほかに小さな鍵も同封されており、彼にはそれが大淀の私室の鍵であろうことが推察できた。
 魔がさしたとでも言うのだろうか。
 反射的に彼は、封筒ごと大淀の手紙を士官制服の内側に隠し、なに食わぬ顔で、そのまま事務仕事の手伝いを進めるのだった。


-02-

 そして──鎮守府の人員の大半が眠りに就いたであろう午前零時。就寝用の作務衣に似た白い寝間着を着た彼は、震える手で大淀の部屋の鍵を開け、中に忍び込んで素早く扉を閉めた。
 大淀の部屋は、持ち主の几帳面な性格を表してか、綺麗に整理整頓され、年頃の娘らしい飾り気に乏しかったが、それでも机の上の一輪挿しや、お手製のクッションなどに女らしさの片鱗が見受けられた。
 また、机の上のブックスタンドには、軍の法令集や戦術指南書などに混じって、『枕草子』などの古典や少し古めの少女小説などが並べられているあたり、彼女の文学少女趣味が反映されていると言えるだろう。
 そんな大淀の部屋の雰囲気に頬を赤らめつつ、それでも彼は部屋を見回して、目当てのものが壁のフックにかけられているのを発見する。
 それは、白地に青い襟が付いた上着と、同じく青いミニプリーツスカートからなるセーラー服……を模した形状の大淀の制服だった。
 僅かに震える手で、その制服をハンガーごと手に取り、ひとつひとつハンガーから外して机の上に並べていく。
 ほんの数秒のためらいの後、彼は部屋に備え付けのタンスを開け始め、一番下の段に目的のモノを見つけて、丁寧な手つきで“それ”を取り出した。
 実は、この提督──淀川広海少年は、少々特殊な性癖を隠し持っていた。
 ここまでの展開で察しがつくかもしれないが──そう、“女装”である。

 キッカケは、彼がまだ12歳で家族3人を喪ったばかりの中学一年生の頃。
 両親の死も、無論彼にとってつらく悲しい出来事であったが、それと同等以上に、姉の死が広海の心に影を落としていたのだ。
 「お姉ちゃん……」
 広海の姉は、優しく美しく聡明な少女であった。才色兼備を体現したような娘は両親の自慢だったし、弟である彼も3歳上の姉のことを誇りに思い、強く慕っていたのだ。
 シスコンというそしりもあながち的外れではなかったが、そう言ってからかう彼の友人たちも、実際に姉を目にすると「そうなるのも無理はない」と納得し、彼を羨むくらいだったのだから。
 両親と共にその姉が亡くなってしまい、ぽっかり穴が空いたような彼の心は、ふとした偶然から姉の中学時代の制服を目にして、衝動的にそれを身に着けることで僅かながら慰められることになる。
 姉の服を着て鏡を覗いている間だけは、優しい姉が甦ったような錯覚に浸ることができたのだ。
 少しでも姉の“再現度”を上げるため、彼は努力を欠かさなかった。
 姉とよく似た黒髪を肩にかかるくらいにまで伸ばし、シャンプーやリンスで入念に手入れする。
 スキンケアについても同様だし、不要な筋肉がつかないよう、けれど無様にたるんだり太ったりしないよう、適度なジョギングと美容体操で身体を引き締める。
 年頃の少女が読むような雑誌の類いもこっそり購入して、メイクや着こなしの基本についても学んだ。
 知性に欠けた“姉”というのも見たくはないので、自然と勉強にも力を入れるようになった。
 つまり彼が文武両道の優等生になったキッカケは、姉になりきりたいという(いささか歪んだ)動機があったからなのだ。
 もっとも、始めた当初こそ姉への純粋な慕情に基づくものだったが、2年あまりの時が経つと、彼の女装(それ)はいつしか性的な欲望に由来する要素も入り混じるようになっていた。
 世間一般に受け入れられにくい“趣味”であることは、彼自身も理解していたので、中学卒業と海軍入隊を機に、広海はソレを止めようと決意したのだが……。
 配属されたこの鎮守府で、彼は通称・任務娘と呼ばれる大淀に出会ってしまう。
 大淀は──彼の姉によく似ていた。
 容貌そのものは瓜二つというわけではなかったが、親戚かもと思うくらいには似ていたし、すらりとした体躯や優美な黒髪、何より生真面目だが淑やかで思いやり深い性格が姉を想起させられずにはいられなかった。
 だからこそ、彼は大本営の“手違い”を強く非難することもせず、むしろ進んで大淀の事務仕事を手伝っていたのだ。
 言い方は悪いが「姉の代償物」である大淀がいたからこそ、彼は安定していたのだとも言えるだろう。
 そして──その安定機構(バランサー)たる彼女がこの鎮守府を去った以上、彼が己れの精神の安定を求めて、3年前と同じような行動に走るのも、ある意味、当然の帰結と言えるかもしれない。

 着ていた白い寝間着をパンツごと脱ぎ捨て、畳んで部屋の隅に置くと、淀川提督は躊躇いを振り切って、先ほどタンスから取り出したモノ──大淀の下着を身に着け始めた。
 ボトムは薄いブルーのフリル付きショーツだ。比較的シンプルなデザインではあるが、サイドの部分が紐のように細くなっていて、履きこみは深いが実は意外に露出度が高い。
 少年と大淀の身長は2センチ差(ちなみに少年のほうが低い)で、細身の体格も似たようなものだが、少年と言えども男なので、前に“余計なブツ”がある分、本来おさまりが悪い……はずなのだが。
 ショーツに足を通し、腰まで引き上げた彼の鼠径部から股間にかけてのラインはすっきりしたものでモッコリした見苦しい膨らみは見受けられない。
 ──まさか、姉になりきる女装のために、去勢まで実行していたのだろうか!?
 無論、そんなワケはない。ネットで調べた知識に基づいて、医療用テープによる男性器の隠蔽、いわゆる“タック”を行っているだけだ。
 睾丸を体内に押し込んだうえで、陰茎を後ろに倒してテープで固定、さらに余った陰嚢の皮を陰茎を隠すように寄せて貼り合わせる。言葉にすると簡単そうだが、慣れないうちはなかなか巧くできない技術だ。
 とは言え、巧くできた時の実例は彼を見ての通りだった。
 その次にはショーツと同じ色のフルカップブラジャーを手に取り、肩紐に腕を通す。後ろ手にホックを留める様子も慣れたものだ。
 フルカップとは言え、大淀は軽巡娘としてもあまり胸の大きい方ではないのでそのサイズはたかが知れている。
 それでも、少年の真っ平らな胸板の上では布地が余るはずなのだが、彼は四回折ったティッシュをパッド代わりに入れたうえで、脇の方のあまった肉を寄せて詰めることで、不自然ではない程度の膨らみを形成していた。
 昔(というほどでもないが)取ったきねづかというヤツだろうか、無駄に高い女装技術である。
 肩紐の位置や長さを調節して身体に馴染ませたところで、今度はコバルトグレーの長袖ブラウスに袖を通す。
 身体の線に沿ったタイトなデザインのため、男女の骨格差で肩幅などがキツいかと思われたが、意外にもぴったりだった。
 不思議に思いつつ深紅のネクタイを締めた後、ブラウスの上から前開きで半袖のセーラー服に似た白い上着を羽織って、胸元の飾り紐を結び、紺青色のプリーツスカートを履く。
 (これ……傍から見てても危なっかしかったけど、自分で履くとなおさら……)
 いや、形状的にはスカートではなく「超ミニ丈の行燈袴」というべきなのかもしれない。そのため、左右の腰の部分の肌が大胆に露出しており、着用者の羞恥心を大いに刺激するのだ
 僅かに顔を赤らめながらベッドに腰かけて、特徴的な形状の茶色いニーハイソックスに足を通し、さらにソールの厚い変わった形のロングブーツを履いてから立ってみる。
 「ん……思ったより歩きやすいかも」
 姉はこのような厚底ブーツの類いは持っていなかったのでちょっと心配だったが、下手なハイヒールよりはよほど楽に歩くことができた。
 最後に首の後ろで馬の尻尾の如く髪を束ねていた紐を解き、代わりに碧いカチューシャを着ければ、大淀の制服姿が完成だ。
 「あっ、と。コレも忘れちゃだめだよね」
 いや、もうひとつ大事なものがあった。
 予備のものなのか、なぜか机の上に残されていたアンダーリムの黒縁眼鏡を手に取り、折り畳まれたつるを開いてかける。
 ほんの一瞬、目まいのような感覚とともに視界がブレたような気がしたものの、すぐに収まったことからして、それほど強い度は入っていないようだ。

 「………」
 無言のまま──しかし、強い期待を抱きながら、文字通り頭のてっぺんから爪先まで完全に大淀の格好になった少年は、部屋の一角の壁にかけられた鏡を覗き込んだ。
 「!」
 期待以上だった。
 そこには、少なくともパッと見には「大淀」としか思えない“若い女性”が映っていたのだ。
 至近距離から観察すれば、確かに数日前までこの部屋にいた大淀とは別人であることがわかるだろうが、「別の鎮守府から来た大淀だ」とでも言えば誰も疑うまい。
 もし、このままの格好で鎮守府内を歩き回り、大淀としてふるまったら……。
 そんなことを妄想しただけで、彼──いや“彼女”の鼓動は早まり、言いしれぬ興奮の渦が体内の深奥部で渦巻くのを感じた。

 堪えきれずにベッドに寝転がり、イケナイアソビに耽ろう……としたところで、「ドンドンドン!」とやや乱暴にドアがノックされる。
 「は、はいっ!」
 素早く置き上がり、思わず裏返った声で返事してしまう。
 「しまった」と思うよりも早く、(迂闊にも鍵をかけていなかった)ドアが開かれ、ピンクブロンドの長い髪をリボンで結わえた女性──明石が入って来ていた。
 「灯りがついてたからもしやと思ったけど、やっぱり帰ってたんだ」
 幸い“彼女”を本物の大淀と見間違えているようなので、悪いとは思うがそれに便乗させてもらうことにする。
 「え、えぇ、ついさっき」
 小声かつできるだけ高いトーンの声で返事をする。
 「守谷提督のことは……当然知ってるよね。その影響で、この鎮守府も随分と艦娘が減っちゃったけど、大淀が帰って来てくれてうれしいよ」
 大淀の帰還を喜ぶ明石の笑顔が心に痛い。
 本物の大淀からはすでに退役願が出されているのだ。しかも、同封された手紙には「部屋の私物などは適当に処分してください」とあったので、今後こちらに顔を出す気もないのだろう。
 (糠喜びさせちゃっていいんだろうか……)
 とは言え、ここで自分の“正体”を明かすことはさすがにためらわれた。

 そんな「大淀」の葛藤を知ってか知らずか、明石は彼女の手を取る。
 「お葬式には参列できなかったけど……今ね、この鎮守府に残った艦娘有志で「守谷提督をしのぶ飲み会」をやってるんだ。大淀も来なよ」
 確かに本物の大淀は、正式な老提督配下ではなかった(形式上は大本営からこの鎮守府への派遣という形になっている)にも関わらず、彼のことを非常に強く信頼し尊敬していた。
 明石の言うような催しがあれば、必ず参加するだろう。
 「──わかりました。行きます」

 明石に手を引かれて着いたのは、戦艦・空母寮の一角に拵えられた休憩室だった。8畳ほどの広さの畳敷きの部屋に長机とちゃぶ台が置かれ、その周囲に数人の艦娘がたむろしている。
 「お! おふたりさんも来たんやな」
 ライトブラウンの髪をツインテールに束ねた関西弁の小柄な女性が龍驤。一見、ミドルティーンの小娘にも見えるが、実は鳳翔に次ぐ軽空母陣の古株だ。
 「──お先にいただいてるわ」
 酒の注がれたコップを片手に目礼する、龍驤と対照的に大柄でスタイルのよい、サイドテールの女性は加賀。かの誇り高き“一航戦”の主力のひとりで、一見クールに見えて、実は激情家という噂を聞いたことがある。
 「はぁ……せっかく航空戦艦になってレベルも80近くまで上がったのに、提督が亡くなるなんて……不幸だわ」
 半ば自棄ぎみに杯をあおっている黒髪オカッパの女性は、山城だろう。愚痴を漏らしているのが、泣き上戸なのか素なのか判別しづらいが……。
 「人の天寿ばかりは致し方あるまい。まして、守谷提督はあのお歳だ」
 いつもはきびきびと凛々しい立ち居振る舞いを見せるショートカットの女性──重巡娘の那智も、さすがにしんみりしているようだ。
 「今の時代で62歳で死ぬのは早い気もしますが……苦しまずに逝かれたようなのが救いでしょうか」
 おそらくお手製であろうツマミを机に並べているのは“全ての空母の母”こと鳳翔。一線は退いていたものの、レベルは60を超えており、新米航空母艦たちを指導する立場にある。
 「残留を希望したのは、この5人だけ?」
 「ほかに駆逐艦の朝潮と暁、五月雨も居残り希望組だけど……さすがにお酒の席に誘うのは自重したわ」
 賢明な判断だ。
 ──というか、工作艦の明石はともかく、どう見ても女子高生くらいの年代の軽巡娘に分類される大淀が酒を飲んでもいいものなのだろうか。
 「ふっ……何を今更。結構イケるクチだと聞いているぞ」
 「この場は無礼講です」
 那智と加賀のそんな言葉とともにコップに並々と注がれた日本酒が渡される。
 (えぇい、ままよ!)
 酒を飲むのは初めてだったが、覚悟を決めて口にする「大淀」。
 生まれて初めて味わう酒は、かなり上質なものであったこともあってか、意外なほど飲みやすく、たちまち“彼女”の味覚を魅了した。
 「──いい、お酒ですね」
 「〆張鶴の“純”です……守谷提督も、このお酒お好きだったんですよ」
 鳳翔の言葉に、その場に集った皆がしんみりした──のは、ほんの一瞬で、すぐに元の賑やかさが戻ってくる。
 あるいは、意図的に湿っぽい空気になることを避けようとしているのかもしれない……というのは少々うがち過ぎだろうか。
 そんな場の雰囲気に流され、またお酒の飲みやすさにも騙され(?)て、ついつい杯を重ねてしまう「大淀」。
 初心者がそんな飲み方をしたら酔いつぶれるのが道理なわけで……。
 「あら、珍しい。もうグロッキーなんですか?」
 「まぁ、大淀は大本営と此処との往復で疲れてたんやろ。しゃあないわ」
 山城と龍驤のそんな言葉を耳にしたのを最後に、“彼女”の意識は眠りの中へと滑り落ちていくのだった。


-03- 

 翌朝、軽い頭痛とともに目を覚ました“彼女”は、軽くぼやけた視界の中で、そこが自分の部屋ではないことに気付き──そして、昨日の顛末を思い出して慌てて飛び起きる。
 “彼女”が寝ていたのは(ある意味、当然とも言えるが)大淀の私室のベッドだ。昨晩、酔いつぶれたあと、誰かが運んでくれたのだろう。
 掛け布団をめくると、さすがに寝間着に着替えさせる手間まではかけなかったようで、ブーツを脱ぎ、眼鏡を外しただけの制服姿だった。
 ベッドから降りてブーツを履き、無意識に卓上に置かれた眼鏡を取ってかけてから、「大淀」は改めて鏡を覗き込み、身だしなみをチェックする。
 制服のまま寝ていたのに、なぜか殆ど皺になっていないのは、謎素材で作られている艦娘用制服だからかもしれない。
 顔色は……あまりよろしくはないが、キチンと洗顔してから軽くメイクを施せば、それなりに見られる様になるだろう。

 ごく自然にそう判断しかけて、ふと我に返る。
 ──何を考えているのだ。自分は(本当は)大淀ではない。配下にひとりの艦娘もいない半人前とは言え、一応提督ではないか。
 しかしながら、鏡を見ていると、あまりに似合っているせいか、自分が大淀の格好をしているのが至極当然のような心持ちがしてくるのだ。
 とは言え、いつまでもこんな茶番を続けられるわけもない。昨夜は誰にも“正体”を気取られなかったが、昼の明るい光の下ではいつバレてもおかしくはないのだから。
 無理やり自分にそう言い聞かせて、制服を脱ごうとした「大淀」だったが、残念ながら1分ばかり行動に移るのが遅かった。

──コンコンコンッ
 「大淀、起きてる?」

 昨夜よりは幾分穏やかなノックとともに聞こえた明石の声に「あっ、はい、起きてます」と反射的に返事してしまったのだ。

──ガチャッ!
 「ぃやあ、昨日は随分疲れてたみたいだけど、大丈夫?」
 当然のように入ってくる明石。提督として知る限りでも、このふたりは仲が良さそうだったので、そのあたり、あまり遠慮がないのだろう。
 「え、えぇ、まぁ」
 多少頭が重い気もしたが、ヒドい頭痛や吐き気に悩まされているというわけでもなかったので、“彼女”は曖昧に頷いた。
 幸い、朝の光の中でも、明石は“彼女”が大淀であることを疑っていないようだ。
 「そっか。あ、でも、外出してたし、それなりに飲んでたから、汗かいてるわよね。せっかくだから、お風呂に入りましょ」
 「! い、いえ、わたしは……」
 結構ですと言う前に、右手を引かれて部屋から連れ出され、風呂場に連行されてしまう。

 この鎮守府には、入渠(修理)用のモノとは別に、24時間入れる大人数用の浴槽が用意されている。
 これは、出撃、遠征、演習などで海に出た艦娘たちが帰ってきたとき、たとえ傷ついていなくてもすぐに温かい風呂に入れるように……という亡き守谷提督の配慮で作られたものだ。
 艦娘なら、任務時以外はいつでも利用してよいことになっており、これは名目上は提督の指揮下にないアイテム屋娘・明石と任務娘・大淀も例外ではない。
 ──現実逃避気味にそんなことを考えながら、今“彼女”は明石と並んで乳白色のお湯に浸かっていたりする。
 一応、タオルできわどい場所は隠しているとは言え、全裸になった(残ったのは眼鏡とカチューシャくらいだ)のに、“彼女”の正体に気付かないというのは、(本物の)大淀の親友として如何なものなのだろう。
 そんな想いを抱きつつ、チラリと明石の方に視線をやると、お湯から上半分がのぞいているその豊かな膨らみが目に入ってきた。
 ソレを見た瞬間、“彼女”の胸に沸き上がってきた感情は、男(オス)としての欲望でも童貞(ボウヤ)らしい羞恥でもなく……怒りにも似た羨望だった。
 反射的に自分の、「何人かの駆逐艦娘にも確実に負けているであろう」胸のラインに視線を落とし、知らず知らず溜息が出てしまう。
 「あはは……ま、まぁ、大淀はそのスレンダーさが魅力なんだし、そんな落胆しなくてもいいと思うけど」
 どうやら“彼女”の行動&心の動きは明石に覚られていたらしい。
 「──それは、持てる者だからこそ言える持たざる者への憐憫(あわれみ)ですね」
 視線で艦娘(ひと)が殺せたらと言わんばかりに怨念のこもった“彼女”の目つきに、「いや、でも、山城さんとか加賀さんとかに比べたら、わたしなんて全然よ?」と慌てて明石は言い訳する。
 そんな友人らしいじゃれ合い(?)を経て、ほんの少し明石との親交を深めた後、“彼女”は風呂から上がり、この風呂付きの妖精さんから簡易洗浄乾燥(クリーニング)の終わった制服と下着を受け取る。
 「いつもありがとうございます」
 キチンと妖精さんにお礼を言ってから、バスタオルで丁寧に体を拭き、下着を着け、アップにしていた髪を下ろしてブラシで整え、セーラー服に似た大淀の制服を着用する。
 その一連の行動には、まったく躊躇いや遅滞がなく、ごく自然なものだった。

 そのまま、同様に着替えを終えた明石と連れ立って艦娘用食堂に足を運び、朝食を摂る。
 入浴して汗を流したおかげか軽い二日酔いは吹き飛んでいたので、“いつもの朝定食B(大豆製品を中心にしたメニューが多く美容に良いのだ)”を、美味しくいただくことができた。
 「あ! おはようございます、大淀さん。お戻りだったんですね。あとで事務処理の件で相談にのっていただきたい件があるのですけれど、お願いできますか?」
 「おはようございます、五月雨さん。ええ、私でお役に立てるなら喜んで」
 「大淀さん、おはようございます。駆逐艦娘寮の備品関連の手続きで、お願いしたいことがあるのですが……」
 「おはようございます、朝潮さん。その件でしたら、明石に頼んだ方が早い──ですよね?」
 「はいはい、了解したわ。朝潮ちゃん、後で詳しく聞かせて」
 食後のお茶の合間に、同じく朝食を摂りに来た“顔なじみの駆逐艦娘”たちとの会話もソツなくこなした後、トレイを返し、共同洗面所で歯を磨いてから、“彼女”はいったん部屋に帰った。

 「今日必要になりそうなのは……コレとコレ、それからコレですね」
 “愛用のバインダー”に必要書類を挟み、それを片手に提督の執務室と隣り合った明石と共用の仕事部屋へと向かう。
 「大淀さ~ん」
 「明石さーん!」
 いざ勤務時間が始まると、朝、食堂で出会った五月雨や朝潮ばかりでなく、退役や転属を控えた者も含めた他の艦娘たちも断続的にふたりのもとを訪れ相談を持ち掛けてくるので、出撃する艦隊がいないにも関わらず、結構忙しい。
 14時過ぎに明石と交代でなんとか昼食を摂り、再び仕事。
 午後9時半を回った頃にようやく今日の分の仕事が終わったので、機械弄りに夢中の明石を引っ張って、かろうじて開いていた(閉店は午後10時だ)鳳翔が営む居酒屋兼小料理屋へと滑り込む。
 「すみません、鳳翔さん、こんな時間に……」
 「いえいえ、守谷提督の分までおふたりには事務関連の負担をかけてしまっているのでしょうから。根を詰め過ぎないよう、気をつけてくださいね」
 鳳翔の心づくし──鰆の西京焼きと茄子の味噌田楽、しめじとほうれんそうのおひたしに、山菜の炊き込みご飯という献立を、有り難くいただく。
 美味しい夕食で少しだけ気力と体力を回復させ、そのまま鎮守府の一角にある私室まで戻り、さて寝る前に少し本でも読もうか──と、考えたところで、ようやく“彼女”は我に返った。

 「……何やってるんだろ」
 素に戻った口調と声でつぶやく。
 元々は秘密の遊びというかちょっとした息抜きのつもりだったのだ。
 この部屋の中で大淀の服を着て大淀になったつもりで演技して、それでこの鎮守府に来て以来、少しずつ溜まっていたストレスを発散して、それでおしまい……にするはずだった。
 しかし──この24時間で“彼女”は知ってしまったのだ。
 部屋に籠り、鏡に映った自分を見つめるだけのナルシシスティックな小さな楽しみに留まらず、広い外に出て、出会う人たちすべてに「任務娘・大淀」と認められ、慕われ、頼りにされるという喜びを。
 それは、他者から認められたいという他者承認欲求と、自分が理想とする姿になりたいという自己承認欲求の両方を一度に満たす、禁断の行為であった。
 淀川広海少佐は、この鎮守府において、ことさら嫌われたり見下されていたわけではないが、それと同時に、誰かに必要とされたり尊敬されていたりしたわけでもない。
 特に居てもいなくてもよい存在。強いて言うなら、いれば任務娘や秘書艦たちの書類仕事が少しだけはかどる……くらいがメリットだろうか。
 しかし、「大淀」は違う。大本営との連絡役として、任務関連の書類仕事をてきぱき処理する事務官として、さらに艦娘たちの様々な悩みや相談に応える“頼りになるお姉さん”として、鎮守府になくてはならない存在だ。
 信じ難い偶然の結果、今日一日、“彼女”はその「任務娘の大淀」として大過なく過ごすことができた。
 仕事面で特にわからなかったことやミスはなかったはずだし、明石を始めとする「友人・知人」との付き合いもそつなくこなせたと思う。
 (もしかして自分は、このまま大淀として生きていくことができるのでは?)
 そんな益体もない妄想すら浮かんでくる。
 ──そう、バカげた話のはずだ。なのに、なぜかその想いを振り払えない。
 「……とりあえず、考えるのは明日にしましょう。疲れた頭でこれ以上考えてもムダだわ」
 自分に言い聞かせるようにそうつぶやくと、“彼女”は大淀の制服を脱いでハンガーにかけ、そのままタンスから取り出した寝間着に着替えると、当たり前のようにこの部屋のベッドに身を横たえて、眠りにつくのだった。


-04-

 「大淀」が鎮守府に“戻って”から3日が過ぎた──そう、結局“彼女”は、そのまま「任務娘・大淀」としてこの鎮守府で過ごしているのである。
 いかに、淀川少佐が3週間ほど守谷提督や任務娘の事務仕事をある程度手伝っていたとは言え、たったそれだけの経験で、本来非常に多岐にわたる大淀の仕事全てに習熟できるはずがないのだが……。
 不思議なことに“彼女”はその大淀としての責務を大過なく果たしていた──まるで本物の大淀が乗り移ったかのように。
 何か未経験の業務に直面した際も、なんとなく「こうしたらいいのではないか」と感じたことを実行すると、大概それで問題なく進めることができるのだ。
 そう言えば……と、朝、洗面所で鏡を覗きこみながら、ふと気付く。
 肩を覆う程度の長さだったはずの黒髪が、僅か3日で腰まで伸びているのはまだしも(いや、それも十分あり得ない話だが)、眼鏡のレンズ越しに見える瞳の色が、いつの間にか黒茶から深い藍色に変わっているのだ。
 実はそれ以外にも、髪を除く全身の体毛が薄くなり、絆創膏で押さえ込まれた陰茎は小さく、逆に乳首はひと回り大きく敏感になってきているのだが、本人は未だ気づいていなかった。
 それはともかく、髪の毛と瞳の色の件だけでも、自身に異変が起きていることは想像できたが、“彼女”はそれを厭う気にはなれなかった。むしろそれで本物の大淀に少しでも近づけるなら、と歓迎する気配さえあった。
 とは言え、淀川広海としての人生を完全に捨て去るふんぎりはまだついていないらしく、周囲の艦娘および大本営には「淀川提督からは一週間の休暇申請が提出されています」と伝えてお茶を濁している。
 自分でこっそり書いて出した休暇申請を、「大淀」としててきぱき処理して大本営に送っているのだから、何と言うマッチポンプ!
 もっとも、休暇をとっているはずの本人が任務娘としてそれなりに忙しく働いているので、サボリというのとはまた違う気もするが。

 しかしながら、艦娘たちはともかく、大本営的にはいかに小さかろうと鎮守府に有事に指揮する提督がひとりもいないという状態はいささかマズいわけで……。
 その日の午後、大本営からの辞令を携えて、急きょ若い(と言っても20歳は超えているだろう)男性提督が、この小さな鎮守府に赴任したのだった。

 「高木醍醐少佐です。士官学校を卒業したての若輩者の身ではありますが、本日付けで、この鎮守府に提督として配属されることになりました!」
 形式上大本営から派遣されている、ある意味先任下士官に近い立場の大淀と明石の仕事部屋を訪れ、まず最初の着任の挨拶をする高木提督。
 促成栽培のなんちゃって士官な淀川と異なり、正規の士官教育を受けているだけあって、敬礼の仕方が非常にサマになっていた。
 180センチを僅かに超える程度の長身で、マッチョと言うほどではないが軍人らしいがっしりした体格をしている。
 もっとも、熱血体育会系といった暑苦しさはなく、どちらかと言うと爽やかな覇気のある若武者といった雰囲気だ。青年士官としてはある意味理想的なタイプと言えるだろう。
 そんな彼に対して“彼女”が抱いた第一印象は「格好いい」、「頼りになりそう」という、なかなかに好意的なものだった。
 ただし、前者については(少なくともこの時点では)「カッコいい! 抱いて!!」的な性的魅力云々とは無関係だ。
 強いて言うなら、特撮変身番組を見た少年がその主人公(ヒーロー)に憧れる気持ち──というのが近いだろうか。
 そして後者については、実際に仕事を始めてみたところで──さすがに書類仕事面では未だ拙い部分が多々あったものの──“艦娘を指揮して深海棲艦と戦う提督”としてはなかなかに優秀であることが推察できた。
 念のため、同僚の明石や臨時で秘書艦を務めている五月雨、ベテラン中のベテランである鳳翔などにもそれとなく聞いてみたところ、返って来た答えは似たようなものだった。
 (この人になら、この鎮守府を任せられそう)
 僅かに残った心配之種(こころのこり)も、彼の出現によって解消されたことで、ついに“彼女”は本来の身分を手放すことを決意する。
 「高木提督、休暇中の淀川少佐から手紙が届きました」
 大本営に直接送りつけてもよかったのだが、“彼女”は、あえて新任提督に(密かに自室でしたためた)“淀川広海少佐からの退役願い”が同封された封筒を手渡す。

 ──その後、軍務歴わずか1ヵ月足らず、しかも艦娘を指揮しての戦歴0という異例の提督である淀川広海少佐の退役願は、なぜかさしたるトラブルもなく大本営に受理されることになる。
 そんな経緯にも関わらず意外な額の退職金が支払われたのは、半年間の士官学校在学期間も“軍務”に計算されたのに加えて、着任当初に諸々のトラブルがあったことへの口止め料が含まれているのかもしれない。
 “彼女”はそのお金に淀川広海の貯金の大半を足した額を、本物の大淀(だった女性)の口座に“艦娘の退職金”という名目で振り込んだ。
 大淀からの退職願を大本営に提出せず、その軍籍が生きている以上、当然のことながら軍から退職金の類いが出るわけがない。それを彼女が不審に思うかもしれないからだ。
 そうして自分なりのやり方で“本物”に対する懸念(おいめ)を解消した後──“彼女”は胸を張って、この鎮守府の「任務娘・大淀」として生きていく決意を改めて固めたのだった。


-05-

 “彼女”が「大淀」として暮らし始めてから、3ヵ月あまりが過ぎた頃、ひとつの転機が訪れた。
 とある北方海域の作戦で、この鎮守府の主力艦隊が首尾よく北方棲姫と呼ばれる強力な深海棲艦の首領(ボス)格を撃破した際、珍しい基本艤装を入手したのだ。
 ──ちなみに、深海棲艦を撃破した際、何故かこうして基本艤装と呼ばれる代物が入手できることが多い。各鎮守府での“建造”も生身の艦娘そのものを作るのではなく、この基本艤装を製作するのだ。
 その基本艤装を、大本営の秘密工廠で、適合する“候補者”に移植(厳密には異なるが、こう表現する方がわかりやすい)することで新たな艦娘が生まれ、艤装を入手した鎮守府に派遣される──という仕組みだ。

 しかし、この時、入手された艤装は、“普通の人”を“艦娘”に変えるためのものではなかった。
 「これは……もしかして私の!?」
 「だね。間違いなく、「軽巡洋艦大淀」のものだよ」
 明石が工作艦娘(メカキチ)として太鼓判を押すが、そう言われるまでもなく、“彼女”は、ひと目見た時からそれが自分のものだと理解していた。
 そして、これを装備すれば、単なる事務艦ではなく、武艦──軽巡娘として戦うことができるようになるということも。
 戸惑い縋るように、高木提督の方へと視線を向ける。
 しかし、そこには、“大多数の艦娘たちの前で見せる自信と威厳に満ちた司令官”も、また、“書類の書き方がわからず頭をかきながらバツの悪そうな顔で大淀に助力を乞いにくる青年将校”としての姿もなかった。
 嬉しいような、寂しいような、そして何かを堪えるような複雑な表情をする高木を見て、“彼女”はハッと胸をつかれる。
 ──後から思い返せば、この時、初めて“彼女”は高木醍醐のことを、単なる上司や優秀な軍人ではなく、ひとりの好ましい個人として認識したのかもしれない。
 けれど、“彼女”が見ていることに気付いた提督は、フッと表情を緩めて苦笑した。
 「大淀さん──いや、大淀。この艤装を着ければ貴艦(あなた)の身柄は、大本営直属からこの鎮守府の俺の配下へと所属が変わることになる。
 当然、戦力としてもアテにさせてもらうから、演習や遠征、さらには出撃といった実戦任務に組み込まれることになるが……どうする?」
 提督は最終的な判断を委ねてくれたが、“彼女”はすでに心を決めていた。
 「提督、特に差し支えなければ、私、その艤装を受領して軽巡・大淀として戦いに出たいと思います」
 海に出て深海棲艦と戦うことに、全く恐れを抱かないと言えばそれは嘘になる。
 しかし、任務娘としてこの鎮守府で多くの艦娘たちと接し、彼女達が出撃するのをただ見送ることしかできなかったことに対して、自分にも戦う力があればと夢想したことは一度や二度ではない。
 “彼女”がこの鎮守府に赴任して以来、幸いにして轟沈した艦娘はいないが、親しくなった艦娘たちが戦闘で傷つき、中破や大破状態で帰還することは日常茶飯事だった。
 3ヵ月前に着任して以来、高木少佐は新人提督としては非常に優秀な戦果を挙げていた(でなければ北方棲姫の撃破など叶うまい)し、それに伴って配下の艦娘を増やし、かつ効率的な育成と運用に励んではいた。
 しかしながら、勝負運はともかく建造運がいいのか悪いのか、彼が“建造”を試みると、妖精さんたちの手で出来上がる基本艤装は戦艦娘用か駆逐艦娘用の両極端なことがことが多い。
 空母に関して何隻か正規空母を引き当ててはいるのでまだ良いとして(ただし軽空母は0だ)、その分、軽・重巡洋艦の不足が深刻だ。
 故・守谷提督時代から引き継いだ那智以外に、重巡娘は妙高と最上のみ。軽巡娘も長らく多摩、鬼怒のふたりで、つい先日、夕張が加わったばかりだ。
 これに対して戦艦娘は、守谷時代から居残った山城に加えて、比叡、霧島、伊勢、日向、陸奥の6人。
 空母娘は、半ば引退状態の鳳翔を除くと、元からいた龍驤、加賀に加えて、赤城、蒼龍、飛龍の一・二航戦が揃い踏み。
 駆逐艦娘は、五月雨を筆頭にした残留3人のほかに、すでに10人が就役済み。なにげに睦月・吹雪・綾波といったネームシップが多いのが特徴だろうか。
 このような(ある意味)イビツな艦種構成のため、軽巡洋艦としての大淀の参戦は、確かに大きな助けになるだろう。

 唯一の懸念は、“本物”の大淀ではない“彼女”がその艤装を装着することができるかだったが、奇妙なことに、なぜか彼女には「できる」という確信があった。
 それを実証すべく、提督と明石、さらに最近明石の助手のようなことに自主的に手を出している夕張が見守るなか、“彼女”は次々に艤装を身に着けていく。
 背中には大きめの水上機格納庫が付いた艤装を背負い、右肩には帝国海軍最長の空気式カタパルトを装着する。
 左手には著名な15.5cm三連装砲を主砲として構え、腰には副砲として8cm高角砲を付ける。
 いかに艦娘用にリサイジングされているとは言え、“普通の人間”ならば持ちあげるだけでひと苦労なはずの鋼鉄の艤装。しかしそれを複数身にまといつつも、“彼女”はそれほど負担を感じていなかった。
 それどころか、ひとつひとつ身に着ける度に、自分に欠けていたものが満たされるような深い充足感を感じてさえいたのだ。
 艦娘という存在に関しては諸説あるが、「霊的な兵器である艤装と適合する素質を持ち、(手術などで)その素質を開花させた一種の人造魔法(魔砲?)使い」というのが、もっとも有力な見解だ。
 そしてその説に則って言うなら、大半が“人造”であるのに対して、“天然物”の艦娘というのもごく稀に存在するらしい。
 元からその資格があったのか、それともこの3ヵ月の大淀としての暮らしのなかで少しずつ開花していったのかはわからないが、どうやら“彼女”は、その貴重な“天然物”であったようだ。
 すべての艤装の装着を終え、自分と艤装が一体化──いや、自分が艦娘として完全に“覚醒”したことを理屈ではなく感覚で理解した“彼女”は、自然と姿勢を正し、提督に向かって敬礼する。
 「提督、軽巡大淀、戦列に加わりました。
 艦娘としては新米の身ではありますが、これでも“かつて”は連合艦隊旗艦も務めた経験もあります。
 成長したあかつきには、艦隊指揮、運営はどうぞお任せください」
 無意識にそんな言葉を口にする。これも艦娘にはよくあることで、大戦時に活躍した軍艦の船魂としての記憶が、それを受け継ぐ艦娘の中で自らの“過去”として認識されるのだ。
 「了解した。貴艦の着任を歓迎し、勇戦に期待する──でも、無理はしないでくれ。幸い戦局は安定しているから、少しずつ経験を積んでくれればいい」
 高木提督は、そんな彼らしい言葉で、“彼女”の挨拶に応えてくれた。
 この瞬間から、“彼女”は本当の意味で彼の配下の艦娘・大淀に“なった”のだった。


-06-

 さて、第一のターニングポイントは、間違いなく大淀としての艤装を身に着けたときだったが、実はこの時点では、少なくとも生物学的な観点では、“彼女”は未だに“彼”であった。
 確かに167センチと(日本人女性としては)長身ながら、体格そのものはいささか華奢で、肩のラインも撫で肩気味。肌は色白く滑らかで、髭や脛毛も見当たらず、大和撫子らしい真っすぐな黒髪もキチンと手入れされている。
 任務娘として提督に様々な連絡事項を告げるその声も優しいメゾソプラノ(今では意識せずとも女声が出るようになっていた)。口調も、きびきびしてはいるが淑やかで女らしいものだ。
 美女美少女揃いの艦娘たちの中では容貌そのものはやや地味な方だが、それでも例えば普通の高校生として過ごしていれば、クラスで席が隣になった男子生徒に「ラッキー!」と思わせるくらいの愛らしさは十分備えている。
 だが、この時点では、まだ“彼女”の股間には(普段タックした状態なので意識していないが)一応“男の徴”が付いており、反対に子を宿す器官その他は“未実装”ではあった。胸もペタンコなままだ。

 しかし──軽巡娘として何度かの演習、そして遠征任務を経た後、いよいよ大淀は初の実戦に赴くことになる。
 駆逐艦娘の初実戦なら鎮守府正面海域の近海警備か南西諸島沖の警備が定番だが、軽巡であり、ある程度訓練を重ねて練度が上がっていたこともあって、大淀は“南1号作戦”へと連れて行かれることになった。
 しかも、実戦経験を稼がせるつもりか第一艦隊旗艦としての出撃だ。
 もっとも、僚艦はベテランの重巡・那智と軽巡として先輩格の多摩、その他の駆逐艦も練度の高い五月雨、朝潮、暁……という構成なので、実質、彼女のパワーレベリングみたいなものだ。
 それでも、いきなりバシー島沖や東部オリョール海に送り込まない分、堅実な高木提督らしい采配と言えた。
 実際、三度の交戦を経ても、大淀以外の艦娘は被弾0、その大淀さえ、最後の敵機動部隊からの爆撃をかわしきれずにいくつか被弾し、小破した程度だった。

 問題はその後だ。
 日常生活での負傷と異なり、深海棲艦との交戦でつけられた傷はある種の“呪詛”が込められており、自然回復するということがない。
 このため、どんなに軽いかすり傷のようなケガに見えても、治すためには入渠施設の利用──いわゆる“ドック入り”が必要となるのだ。
 経済的合理性を重視する提督だと、小破以下の傷の回復は資材の無駄遣いだとそのままにして出撃させることもあるのだが、高木提督はどちらかと言うと「HPが1でも減っていたら戦闘後にホイミをかける」タイプだ。
 鎮守府のお財布にとっては正直あまり優しいとは言えないのだが、しかしだからこそ艦娘たちの信頼を得ているという面もあるので、一概に悪いとも言えない。
 そして、(「なぜか」“彼女”のことを気にかけている)高木提督が、小破とは言え、いくらか損傷を受けた大淀を、そのまま通常任務に戻らせるわけもなく……。
 「ふぅ……いいお湯♪」
 当然、“彼女”も帰還報告の直後、そのままドック入りを命じられることになるのだった。
 「でも、かすり傷程度で、こんな昼間からお風呂に入るなんて、なんだか他の方に申し訳ない気がしますね」
 白い入浴剤……ではなく艦娘修復溶液の入ったお湯に浸かりながら、ひとり言を漏らす大淀。
 「──気にすることはないわ。万全の体調で次の戦いに臨むのも、艦娘としての責務よ」
 誰もいないと思っていたところで、思いがけず声をかけられる。
 「その声は──加賀さんですか!?」
 慌てて声のした方へと大淀が振り向くと、湯煙の中でふたつ隣の“浴槽”からザバリと上がる加賀の姿が見えた。
 「お先に上がらせてもらうわね」
 「あっ、はい」
 バスタオルを巻かれてはいたものの、加賀の(とくに胸と尻のあたりの)女性らしい豊満な身体の曲線に、一瞬見とれる大淀。
 その視線には性的なものが全くなく、感嘆と羨望が大半を占め、そこに僅かな劣等感が含まれているというあたり、完全に女性目線なのだが──まぁ、今更だろう。

 「いいなぁ、加賀さん。私も、あんな風だったら……」
 お湯の中で目を閉じ、ゆったりと身体を伸ばしてくつろぎながら、そんなことをつぶやく大淀。
 なぜか、右手を頭に左手を腰に当てた「悩殺ポーズ」で浜辺に白いビキニ水着を着て立つ自分の姿が思い浮かぶ。
 妄想(そうぞう)の中の大淀は、さすがに空母娘や戦艦娘たちには及ばないものの、それなりに豊かなバストと、引き締まったウェスト、そしてまろやかなヒップを備えた、極めて魅力的なプロポーションをしていた。
 (もし、これくらい女らしい体つきなら……)
 何だと言うのだろうか。
 それが何かを、あえて自分の中で追及することはせず、大淀はいつしか入渠浴槽の中でたゆたいながら、うつらうつらと浅い眠りに落ちていた。

 居眠りしていたのはほんの数分のことだろう。

──ビーーーーッ!

 入渠時間終了を知らせるブザーが浴槽の上に設置されたスピーカーから聞こえてきて、大淀はハッと目を覚ました。
 「あら、寝てしまってたみたいですね」
 浴槽のお湯から上がると、体中に活力が満ち、手足に負ったはずの傷が残らず消えていることがわかった、わかったのだが……実は、それ以外にも大淀の身体に大きな変化が生じていた。
 「え、うそ!?」
 彼女の視線の先には、タイル壁に取り付けられた幅1メートル、高さ2メートル弱の鏡がある。
 いや、より正確には、彼女が見つめているのは鏡ではなくそこに映った全裸の自分の姿であり……。
 そこには、先ほど他愛ない妄想で思い描いた姿──よりは多少劣るが、まぎれもなく乳房と呼ぶにふさわしい胸のふくらみを持つ全裸の少女が、驚いたような表情でこちらを見返していたのだ。
 あわてて視線を自分の胸元に落とすと、確かに“山”と“丘陵”の中間ぐらいの隆起がある。掌を当てると、キチンと触った感触とともに触られた感覚もあるので、偽乳(ニセモノ)などではなさそうだ。

 「! そうだ、下は……」
 下肢の付け根部分に関しても気になったが、さすがにこんな場所で確認するのは色々な意味でマズい。
 大淀は、タオルで身体を拭くのもそこそこに、あらかじめ用意しておいたバスローブを着て、自分の部屋に急いで戻った。
 明石などが無遠慮に入って来ないようキチンと鍵をかけてから、ベッドの上に上がり、バスローブの紐を解くと、俗にいうM字開脚の姿勢で股間をしげしげと覗き込む。
 「……ない……そして、ある」
 言うまでもなく、無くなったのは“竿”と“球”で、できたのが“谷”と“孔”だ。
 正確な医学知識がないので断言はできないが、乳房の件も含めて、少なくとも大淀の肉体は、外見的には完全に女性のものに変化しているようだった。
 それを知った時の大淀に心に浮かんだ想いは、1割の混乱(おどろき)と2割の喪失感(さびしさ)、そして残る7割近くは歓喜(うれしさ)だった。
 この鎮守府で、任務娘・大淀として居場所を得、さらに軽巡娘・大淀として戦う力も得た彼女だったが、最後の最後の一線、とでも言うのだろうか。
 周囲にひた隠しにしてはいたが、自分の本当の性別が男であるという点で、どうしても微かな罪悪感と疎外感を感じずにはいられなかったのだ。
 けれど、その最後の障害(ひっかかり)が消えたことで、ようやく心の底から自分をこの鎮守府に集う艦娘たちの仲間だと認めることが、彼女にもできた。
 その喜びの前では、男でなくなったことに対する感慨など、ささいなものだった。

 「あ、これまでのAカップのだとキツい。新しいの買いに行かなくちゃ♪」
 決して、「もうブラジャーに詰め物しなくていい……どころか、より大きいサイズのブラが必要になった」ことが嬉しいからではない。
 ──はずだ、たぶん、メイビー。


-07-

 さて、以上のような色々と複雑な経緯を経て、文字通り“身も心も”完全に艦娘・大淀となった彼女だが、それ以後はとり立てて大きな変化はない。

 せいぜいが、親友である明石に「なんだかあなた、最近綺麗になったわね」と褒められたり……。
 手の空いた艦娘が持ち回りで務めていたはずの秘書艦=第一艦隊旗艦に、“なぜか”指名されることが多くなり、最近ではほとんど専任になっていたり……。
 おかげで元々の任務娘としての職務と合わせて、目が回るほど忙しくなった反面、高木提督と過ごす時間も大幅に増え、彼との距離が少しずつ縮まったり……。
 その合間にキチンと出撃もこなし、着々と成果と練度を上げ、ついには「大淀・改」への改造を迎えたり……。
 改造を経て、制服のデザインや艤装の一部が変化したのに加えて、また少し胸が大きくなり、軽巡娘の“平均値”をようやく上回る大きさに達することができたり……。
 でも、そのことよりも、提督に「改の制服、可愛いな。大淀によく似合っているよ」と言われたことのほうがうれしかったり……。
 もともと簡単なものくらいなら作れたが、最近は暇を見つけては鳳翔に家庭料理のレシピやコツを教わったり……。
 先日、“たまたま”休日が重なった際、提督に誘われて一緒に街へ出かけ、映画を見てお茶をしたり……。
 その際、外食しようとした提督を自室に招待して、揚げ出し豆腐と南瓜の煮つけ、イワシの梅煮という覚えたての手料理を夕食に振る舞ったり……。

 ──まぁ、そのくらいだ。

 「そのくらいって……大淀、あなた、わかってて言ってるでしょう?」
 明石が溜息をつき、傍らの夕張も「うんうん」と首を縦に振っている。
 「えっと、その……はい」
 さすがにここまであからさまだと(かつての少年時代も含め)恋愛経験ゼロの大淀でさえ、理解できる。
 「やっぱり高木提督って、私に気があるんでしょうか?」
 「もちろん。それにあなたもね」
 鮮やかな明石の切り返しに、うぐっと言葉に詰まる大淀。
 「大淀さん、提督のそばにいる時は、あからさまに空気が違うもん」
 最先任かつ秘書艦な大淀に遠慮して、同じ軽巡なのに「さん」付けで呼ぶ夕張さえ、呆れたような目で彼女を見ている。
 まぁ、居酒屋(鳳翔経営のそれではなく珍しく鎮守府外の店だ)で半ば惚気のような愚痴のような相談を聞かされたとあっては、それも無理はない。
 「真面目な朝潮ちゃんがよく忠犬にたとえられるけど、大淀(このこ)も相当な犬気質よね」
 「ああ、わかります。澄ました顔で主人の横にお座りしているけど、こっそりしっぽをブンブン振ってる秋田犬って感じですよね!」
 明石も夕張も、ふたりで言いたい放題だ。
 「で、でも、私は第一艦隊旗艦です。任務より私情を優先させるようなことは……」
 そんなことを言ってしまうあたり、その“私情”の内容は大淀も自覚しているようなものだろう。
 「“任務は遂行する”、“恋心(おもい)も守る”、両方やらなくっちゃあならないってのが艦娘のつらいところですよね~」
 どや顔で、どこかで聞いたような台詞を言い放つ夕張を冷たい目で見ながら、しかしその言葉自体には一理あると認めて、大淀に向き直る明石。
 「で、大淀(あなた)はその覚悟できてるの?」
 「──ちょ、ちょっと考えてみます」
 ふたりにハッパをかけられた大淀は、いつになく自信なさげにそう答えるのだった。

 その後も、高木提督と大淀の仲が、見ている周囲がじれったく思うほどのノロノロ運転で進むのと対照的に、軽巡大淀としての彼女の練度は順調に上がり……。
 気が付けば、この鎮守府の誰よりも早く練度が最高レベルにまで達していた。

 そして最高練度に達した任務からの帰還直後の、鎮守府の艦娘有志が開いてくれた「大淀さんレベル99おめでとう!」パーティでの一幕が、冒頭の風景だ。
 司令官としてはともかくプライベートではかなり奥手な高木提督だが、(何人かの艦娘にたきつけられたこともあり)思い切って攻勢に出たらしい。

 小さな箱の中で輝く指輪は、誕生石や貴石のひとつもついていない簡素な代物だが、その銀色の輝きは(提督と公認の仲になれるということもあいまって)大淀の視線を魅了して止まない。

 (うれしい……でも私なんかが受け取っちゃってもいいのでしょうか)

 それだけに、色々と引け目のようなものを感じずにはいられなかったのだが……。
 緊張しつつも精いっぱいの笑顔で指輪を差し出す高木提督の表情が曇りかけたのを見ると、そんな葛藤もフッ飛び、気が付けば引っ込められかけた指輪を素早く手に取っていた。

 「提督、ありがたく受け取らせていただきます!」
 「そ、そうか。ありがとう」
 ホッとした表情になり一気に脱力する提督と、ワーッと盛り上がる周囲の艦娘たちのテンションの差が対照的だ。
 囃子立てる艦娘たちの勢いに押され、高木提督は大淀の左手をとり、その薬指に銀色の指輪をはめる。
 たったそれだけのことで、大淀は、自分が心の奥底の深い部分で目の前の男性と結びつき、もはや離れられない間柄となったことを、本能的に理解した。
 後悔はない。むしろそれはこの上なく歓迎すべきことだ。
 「いえ、こちらこそありがとうございます。こんな私を選んでいただけて、うれしいです」
 周囲の目があるせいか極力冷静な態度を保とうとしつつも、ほんのり頬が赤くなるのを隠しきれない大淀を、他の艦娘たちは(多少のやっかみも込めつつ)大いに祝福するのだった。


-Epilogue-

 大淀と高木提督がケッコンカッコカリを執り行ってから、7年余りの月日が流れた。
 あの時、まだ21歳の若造だった高木提督も、今では28歳。的確な戦果を挙げ続けた結果、階級も大佐にまで昇進し、少将になるのも目前と噂されている。
 彼の戦果に加えて、日本海沖に深海棲艦の“巣”らしきポイントが見つかったこともあって、小さかった鎮守府も拡大され、現在では三隈泊地と名付けられて複数の提督が駐留する規模となっていた。
 無論、泊地の総司令は高木大佐が務めている。

 そして、大淀はと言えば……。
 「すみません、あなた。たまのお休みなのに買い物につきあっていただいて」
 「なんの、これくらい男の甲斐性さ。それに、君とこんな風に商店街を歩く機会はなかなかないからな」
 日曜日の午後、珍しくまともに休みがとれた高木とともに、付近の商店街までのんびり買い出しに来ていた。
 ──いや、その言い方は正しくなかろう。なぜなら、彼女も今は高木姓なのだから。
 そう、今からちょうど半年ほど前の六月頭に、大淀は退役願を出し、艦娘から“普通の女の子”に戻ったのだ。軍籍を抜けた翌日には、高木との婚姻届けを提出し、晴れて正式な夫婦となっている。
 艦娘である間は老化や成長が本来の10分の1以下に抑制されるため、戸籍上25歳にも関わらず、大淀の外見は未だ初々しい女子高生のような若さを保っていた。
 このため、28歳の歳相応に老けて(というのは酷だが)いる高木醍醐と並ぶと、三十路男が真面目な女子高生をたぶらかして幼な妻にしたかのように見えるのは……まぁ、致し方ないことだろう。

 実は、大淀としては、艦娘から民間人に戻るに際してふたつばかり懸念があった。

 ひとつは、艦娘でなくなった自分の身体が男に戻るのではないかということ。もっとも、明石に(理由は話さず)精密検査してもらった結果、「遺伝子レベルで完全に正常な女性」だったため、その可能性は低いとも思ってはいた。
 そして実際、艦娘を辞めて1ヵ月が過ぎる頃、彼女は無事に月経(彼女にとっては初潮だ!)を迎えることとなったのだ。
 艦娘は、前述の通り戦闘のために身体的生理機能の一部を制限されているため、月のものは訪れないのだが、艦娘を辞めるための処置を施せば、それらの機能も復活する。
 それ以後も定期的に月経が訪れるようになったので、身体的には間違いなく女性になりきっているのだろう。

 もうひとつは“本物”の大淀だった女性のことだ。
 艦娘が軍籍にある間は民間人としての本来の戸籍は凍結される。そして、退役した際に改めて、戸籍が復活するわけだが、そうなると「元・大淀だった女性」が同時にふたり存在することになってしまう。
 ──いや、そもそもそれ以前に、“本物”だった女性は、これまでの数年間、どうやって暮らしていたのだろう?
 ご存じの通り、淀川少佐(当時)が彼女の退役願いを握りつぶしたため、当然ながらその民間人としての戸籍は復活していなかったはずだ。
 現在の日本では、戸籍謄本などが必要になる場面はそれほど多くないと言えばないが……はたして足掛け8年間も、まったく戸籍と関わることなく暮らせるものだろうか?
 疑問に思う点は多々あったが、現状を見る限り、元・大淀は無事に「浅井喜久子(あさい・きくこ)」としての民間人戸籍を“取り戻し”、その翌日には醍醐の妻として「高木喜久子」になった──というのが公的な事実だ。

 「そう言えば、一昨日から少し体調を崩していたみたいだけど、もう大丈夫なのかい?」
 醍醐と並んで歩きながら、しばし物思いにふけって彼女だが、彼にそんな言葉をかけられたので我に返る。
 「ええ、念のため、昨日の午後、病院に行ってきましたけど、まったく問題はないそうです」
 そう、問題はない──が、報告すべき事柄は確かにあった。
 (さて、どんな風に切り出しましょうか)
 下腹部にそっと手を当てながら、彼女は“そのこと”を夫に告げた時、どんな顔をするのか、密かに楽しみにしているのだった。

-おしまい-

あとがき
 本作の舞台は『時ナラヌ雨』の1年前──であると同時に、『鎮守府戦線』の約10年後の世界(以前、両者は無関係と書きましたが、色々あって統合しました)。
 その10年間のうちに、深海棲艦の大攻勢を押し返したり、初期とは艦娘のあり方が変わったり(船魂のみで戦うようになり、クソ高い船体は作られなくなった)しています。また、艦娘の“素体”も水死体から同調係数の高い人間の志願者へと徐々に移行(その第1号となったのがファーストボーン島風こと風嶋少佐なわけです)し、現在はそちらが主流です。
 実は、本作の明石さんは、大淀が以前とは別人であることに気づいています。最初は気付かなかったものの、そこは親友だけあって些細な違和感が積み重なり、「大淀」の言動から推理し、確信した──という感じ。
 大本営にも報告書を出したのですが、返ってきたのは「そのまま引き続き観察、経過報告を続けよ」という命令でした。まぁ、最終的には(長年戦友としてつきあったこともあって)、この大淀とも上辺だけでない本当の友人になってはいくのですが……。
 ちなみに、「同調係数の高い人間(しかも男)に基本艤装の一部である艦娘の制服を着せ続けることで、身体が女性化・艦娘化する」という“症例”は、この淀川少佐→大淀で初めて発見されたケース。この結果を踏まえて、『時ナラヌ雨』での明石&大淀(もちろん別の鎮守府の別人です)による提督への“仕込み”が大本営から(症例の再現のために)指示された……という流れ。
 このネタで近々もう一作、長良・五十鈴・名取の三姉妹の話を書こうかなと考えています。
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