『降嫁』

 今週末は仕事がらみで更新できなさそうなので、今のうちに更新。
 以前、立場交換スレで冒頭部を投下したものの、続きがかけずに挫折した似非時代物を、何とか仕上げました。
 公家とか武家の礼儀とか格式とかを正確に描写すると大変なことになるので、「陽ノ本という島国を舞台にしたなんちゃって仮想時代物」の体裁をとってます。御簾? お歯黒? 知らない子ですねぇ。
 ちなみに発想の元は、昔再放送を観たことがある、斉藤由貴が主役を演じた『和宮様御留』です。
 実は、長さの割にTS的萌えどころは少なめかも……一応ピクシヴには18禁版を掲載してます。



『降嫁』

【起ノ章】

 宮古(みやこ)の野菜売りの子として生まれた少年・フウタは、数えで十二の歳に両親を流行り病で亡くすが、幸運なことに両親が御用商人として出入りしていた久家(くげ)の屋敷に下働きとして雇ってもらうことができた。
 下々の生まれではあるが、利発で可愛らしい顔立ちのフウタは、同じ召使い仲間はもちろん、ふたりの娘が既に嫁ぎ子供のいない屋敷の主らにも可愛がられ、暇な時には、文字の読み書きや手習いなども教えてもらうほどの厚遇を受けることになる。
 両親を亡くした心の傷は未だ完全には癒えてはいないが、フウタも自分が同様の境遇の子らに比べて信じられない程恵まれていることは理解していたし、主にその御恩を返すべく、懸命に働き学び、それなりに満ち足りた毎日を送っていた。
 そのまま何事もなく成長した暁には、フウタはこの家の馬飼童(うまやばん)、あるいは主の引きたてで雑色(めしつかい)にまでなれたかもしれない。そうなれば庶人としては、かなりの出世と言えただろう。
 しかし、時は後の世に言う幕末の混乱期であり、千年の歴史を持つ匡(キョウ)の宮古も歴史の流れから無縁ではいられなかった。

 さて、久家──貴族としては、中の下くらいの位階を持つ橋元実明だが、彼が宮中でそれなりに重きを置かれている理由は、彼の妻が時の御帝(みかど)の三番目の娘である数宮 楓子(かぞえのみや ふうこ)殿下の乳母であったことが主な要因である。
 数宮は、一昨年の裳着を経て成人した今も乳母である藤乃を頼りにし、何かあると彼女及びその夫である実明へと相談するのが常だった。
 しかし、その日、数宮から届いた相談事の手紙には、実直な藤乃も老獪な実明も、すぐには対処方法を見出せなかった。
 「将軍家に降嫁……楓子様がですか?」
 「ああ、すでに関伯(かんぱく)様にまで話が通っておる以上、今更どうにもならぬ」
 「そんな! ただでさえ、函根の関の向こうは鬼の棲む土地と言われておりますのに、最近は栄都(えど)の街は何かと物騒だと聞いております。そのような野蛮なところへ楓子様が嫁がれるなんて……」
 幕府の宮古所司代の役人と折衝・供応する役目を任されている関係で、実明・藤乃夫妻は久家にしては武家への理解はあるほうだが、いくら制異(せいい)大将軍相手とはいえ、やんごとなき方の実の娘が嫁ぐというのは、やはり抵抗感がある。
 それを抜きにしても、乳母夫婦として幼い頃から面倒を見てきた数宮が、この話を心底嫌がっているとあっては、好意的になれるはずもなかった。
 さらに言えば、久家のあいだでは、潜在的に数宮に同情する向きが大半でもあった。

 「貴方、なんとか御帝と幕府の両方の面子を保ちつつ、楓子様が下向せずに済む方法はないのでしょうか?」
 「そのような妙案、簡単にあれば苦労はせぬわ」
 ふたりは額を寄せ合って夜遅くまで相談した結果──ついにひとつの抜け道、それもイカサマと言ってもよい手段に思い至る。
 「やむをえぬ。我が家に伝わるあの秘宝を使おう」
 「!! 貴方、まさか……」
 「ああ、「夢交わしの枕」だ」
 「夢交わしの枕」とは、橋元家の蔵の奥深くにしまわれた紅白一対の箱枕のことだ。百十数年前、遣籐使として隣国“籐”へと赴いた五代前の橋元家の当主がかの地で手に入れた舶来の秘宝で、伝承によれば真仙の類いが作ったのだと言う。
 この枕を使って同時に眠りについたふたりは、目が覚めると名前や立場が入れ替わる──より正確には「周囲には甲が乙に、乙が甲に見える」ようになるらしいのだ。
 「相方はどうします? あまり宮様と背格好や歳回りが違う相手だと、さすがに不審に思われるでしょう」
 そう、あくまで「甲を見た人が、甲のことを乙だと思い込む」だけで、背の高さや年齢などの見た目自体は、そのまま認識される。衣裳などの関係もあるので、最低限体格などは近しいものが望ましい。
 「……我が家のフウタを使おう。宮様は十五、あやつは十三だが、背格好はほどんど変わらぬ。フウタも我が家に恩がある故、厳命すれば従うであろう」
 非情な決断を下す実明。
 こうして、本人の預かり知らぬところで、少年の未来は何人たりとも予想だにしなかったであろう方向へと進むことになるのだった。


【承ノ章】

 主人夫婦から今回の“計略”について聞かされたフウタは、最初に驚き、次に恐れ──しかし最後には首を縦に振った。
 無論、実明らは嫌と言ってもやらせるつもりではあったが、どうせなら本人の同意があったほうが望ましいのも事実だ。
 理由を問われたフウタは正座したまま、視線を自分の膝のあたりへと落としつつ、「旦那さまにも奥さまにも、屋敷の皆さまにも、ひとかたならぬ御恩をいただきましたから……」とポツリと告げる。
 これにはさすがの橋元夫妻も胸をつかれた。
 もとより、今回のことがなければ、屋敷の皆で孫のように可愛がっていた子なのである。
 しかし、天下の大事に私情は禁物。謝罪の言葉をグッと堪え、実明は「助かる」と短く感謝を示した。
 妻の藤乃はもう少し感傷的で「ごめんね、ごめんね」とフウタを抱き寄せ、胸元にかき抱いている。
 この時代としてはそろそろ初老の域に手が届く藤乃だが、フウタは彼女の抱擁に亡き母の面影を感じ取り、改めてこの方達のお役に立とうと決意を新たにするのだった。

 翌日から、フウタは屋敷の下働きの役目を外され、宮古の郊外にある橋元家の別荘で雑色見習いとして働くことになる、と屋敷の者達には告げられた。
 また、別荘には藤乃が赴き、「気鬱の病」を発した数宮を迎えて療養させることも、対外的には発表された。
 すでに耳の早い宮古雀達は数宮の将軍家降嫁の話をどこからともなく聞きつけており、「宮様が気鬱になられるのも仕方ない」と同情的な声が大きかった。

 そうして、数宮が別荘滞在中にフウタと宮の入れ替わりのための教育が行われたのである。
 数宮には、雑色見習いなら知っているべき最低限の知識や技能を。
 そちらはさほど困難ではない。なんといっても幼いころからそういう雑色や家人にかしづかれて育った貴人(それも最上級の)子なのだ。基本的なことさえ教えれば、見よう見真似くらいは何とかなった。
 対して、フウタに対する「宮古から下向した帝族の女性」としての体裁を整えるための教育は、困難を極めた。
 フウタが愚鈍であったわけではない。むしろ、先にも述べた通りこの年頃の下々の出身としては非常に優秀だったと断言できる。
 それでも、本来なら物心ついてから10年近くをかけて覚えるべき事柄を、わずか数ヵ月で詰め込もうとするのは不可能に近い難事だ。
 学識だけではない。帝族女性としての礼儀作法はもちろん、数宮の自身の振る舞い、癖などもできるだけ覚えなければならないのだ。
 フウタが以前から読み書きその他の基礎的な手習いを受けていなければ、絶対に不可能と言えただろう。

 しかし、三度目の月の満ち欠けを迎える頃、実明の妻の藤乃は、その難事をどうにかやり遂げていた。
 無論、フウタ自身の不断の努力もあったが、この場合、称賛されるべきは、臨機応変にフウタの教育予定を組み、それを実現、習得させた彼女の労によるところが大きい。
 匡の宮古に残る数宮はともかく、栄都に行くフウタにとって、正体がバレることは身の破滅だ。
 年端もいかない子どもに無理難題を押し付ける以上、できる限りその危険性を減らしてやりたい、と思うのは藤乃にとっては当たり前のことだった。
 幕府からの催促もそろそろ限界を迎える頃合いだったため、実明も同席したうえで、いよいよその日、家宝の枕を使用することになった。

 今、人払いした寝屋では数宮とフウタという、身分も性別も年齢も生い立ちもすべてが異なり、唯一背格好のみが近い少女と少年が枕を並べて眠りについている。
 実明と藤乃が夜を徹して見守る中、夜半過ぎに唐突にぼうっとふたりの身体が寝具や枕ごと光に包まれた。
 次の瞬間、数宮の丈長い黒髪がひとりでにするすると縮み始め、対して肩ぐらいに切り揃えられていたはずのフウタの髪が伸び始めた。
 うっすらと寝化粧を施されていた宮の顔から白粉や紅が剥げ落ち、代わりにフウタの顔にそのきざしが現われる。
 最後に、寝具の端から覗くふたりの白い寝間着(この日のために同じモノを揃えていた)の襟合わせが、どのような仕組みか逆になった。おそらくは寝間着そのものも交換されているのではないだろうか。

 と、そこまで確認したところで、夫妻は先ほどまでフウタであったはずの少年のことを、気を抜くと数宮だと認識してしまいそうなことに気付いて愕然とした。逆もしかり。
 髪型や化粧などは変わったとは言え、よく見れば顔立ちそのものが変化しているわけではないにも関わらず、だ。
 幸いにして、向かって右に寝ていたのがフウタ、左が数宮ということはキチンと覚えていたので、それ以上の混乱は避けられたが。

 躊躇いがちに「数宮」にしか思えないフウタを揺り起こす実明。隣では妻が「フウタ」に見える宮に呼び掛けている。
 眠い目をこすりながら起き出したふたりは、確かにフウタが「数宮」に、数宮が「フウタ」に“為って”いるようだ。言葉遣いは、当初元のままであったが、実明が注意を促すことで、すぐに現在の“立場”に相応しい物言いをごく自然にできるようになる。
 どうやら、これもかの箱枕の能力の内らしい。確かに、迂闊な言葉遣いひとつで正体がバレるようでは、本物の秘宝としてはあまりにお粗末であろう。
 しかも、後に判明したのだが、単に言葉遣いが立場に応じただけでなく、御所内部の地理や人間関係などについても、いつの間にか元・フウタであるはずの「数宮」の頭に入っていたのだ。
 これについては、藤乃や本物の数宮自身が折に触れて教え込んでいたとはいえ、そこまで完璧に覚えていたわけではないはずなので、やはり秘宝の力の干渉があったのだろう。

 ともあれ、既に賽は投げられたのだ。
 一通りふたりの状況を確認した後、「数宮」は迎えの馬車に乗って御所へと“帰り”、「フウタ」はそのまま何食わぬ顔で橋元家の屋敷で雑色として勤めることとなった。
 今まで箸より重いものなどロクに持ったことなどないはずの「フウタ」(元・数宮)を働かせることを、橋元夫妻は懸念していたのだが、そもそも(本物の)フウタはまだ数えで十三歳であり、また屋敷の皆にも可愛がられているので、無茶な重労働などは他の使用人たちもさせたりしない。
 その御蔭もあってか、十日ほどの時間が過ぎる頃には、本来やんごとなき方のご令嬢であったはずの「フウタ」は、すっかり“実明たちのお気に入りの新米雑色”としての暮らしに適応するようになっていた。
 夜半、こっそり夫妻の自室に招かれ、「辛いこと、困っていることはありませぬか?」と問われても、「退屈な御所での生活より、大好きな藤乃やその夫の実明──いえ、主様ご夫妻のそばにいられる今の暮らしのほうがむしろ楽しいくらいです」とニコニコ微笑みながら語る程だ。
 実の娘同様、いやある意味それ以上に数宮のことを大事にしている橋元夫妻も、これにはどう応じればよいのか困ったが、「まぁ、不都合がないならよいだろう」と、とりあえず現状維持を心掛けることにする。

 さて、「フウタ」の立場に“為った”数宮の方はそれでいいとして、逆に「数宮」の立場に“為った”フウタの方は流石に何の支障もなし、というわけにはいかなかった。
 頭の中におおよそ必要な知識が備わっているとは言え、とっさの対応などにはどうしても咄嗟の反応の遅れや戸惑いは隠しきれない。
 しかしながら、それも「意に染まぬ婚礼が近づいたため、気鬱になって、ボンヤリしておられるのだ」と周囲が勝手に解釈してくれたため、特に大きな問題にはなっていなかった。
 逆に、(実質娘を人質にやることになる)御帝が気を利かせて、栄都に下向する前日に、再び橋元邸へ挨拶しに顔を出す時間を与えられたくらいだ。

 たかだか3月ばかり離れていたとは思えぬほど、橋本家の屋敷は「数宮」にとって懐かしく──それだけに明日旅立てば二度と来ることができないのが寂しく感じられた。
 「旦那さま、奥さま……いえ、実明、藤乃、どうか身体に気をつけて、いつまでもお元気でいてくださいね」
 「フウ…子さまも、くれぐれもご自愛ください」
 「ふう、こさまのことは、畏れながら臣どもは本当に我が子のように思っておりました。それがこんなことになってしまい……」
 それ以上は愚痴になる。そう分かっていても、藤乃は口に出さずにはいられなかった。
 けれど、「数宮」自身がゆるゆると首を横に振り、彼女の繰り言を止めさせる。
 「わたくしが将軍様に嫁ぐことで、宮古と栄都に、ひいてはこの国に僅かなりとも平安をもたらせるのです。そのことであなた方も含めて助かる人がいる。それで十分です」
 ほんの数日前まで雑色見習いの小童であったとは思えぬほど立派な「数宮」の言葉に、実明と藤乃は様々な意味で涙を隠しきれないのだった。


【転ノ章】

 そうして、“長年世話になった”橋元夫妻に別れを告げた翌日、「数宮 楓子」の立場となったフウタは、数多くの武官と相応の数の女官たちに付き添われ、馬車で函東──函根の関の東側へと旅立つこととなった。
 これに際して、護衛として数宮を送り届けるための武官はともかく、身の回りの世話をする女官は帝女としての体裁を保てる最小限でよい、また宮中で要職を担う古株は外してほしい──と、「数宮」のほうから父である御帝に事前に申し出ていた。
 これは「わたくしに伴い、宮古から離れて函東くんだりまで赴く可哀想な娘(ぎせい)はできるだけ少ないほうがよいのです」という、せめてもの思いやりとも皮肉とも取られ、御帝からも「可能な限りあの子の意に沿うように」との指示が出されたため、「数宮」の周囲にはあまり身分の高くない比較的若い女官たちが供についていた。

 そして、そんな宮付き女官たちの若手3人が、旅の途上の旅籠の一室に集まり、寝る前のちょっとした小娘談話(がーるずとーく)に花を咲かせていた。
 「それにしても先輩、わたし、宮様に直接お会いしたのはこの旅に同行してからなんですけど、思った以上に気さくでお優しい方なんですね」
 一番の新入りで、あまり位の高くない家柄(まぁ、それでも半家に連なる血筋だが)の娘が、最先任の数宮付き女官に話しかける。
 「そやなぁ。元々、宮はんは今上はんの娘さんにしては、エラい明るぅて物怖じせん方やったけど……宮古を出てからは、随分と淑やかで思慮ぶこうなられた気がするわぁ」
 無論、これは「数宮」が万が一にもバレぬように、深窓の姫君らしく立ち居振る舞いをおとなしくするよう心がけていることが原因なのだが……本物より、お淑やかで女らしく見られる結果になるとは、何たる皮肉!
 「それは、嫁入り道中ということで、やっぱり宮様も考えるところがあるんじゃないかしら」
 二番目に古株(といっても、数宮に仕えてまだ2年ほどだが)な女官が、「数宮」の小さな変化に対する推測を述べる。
 「ほんまお気の毒になぁ。宮はんの立場やったら、どこの摂家や清華家にでも嫁ぐことはできはったやろに」
 「あら、それを言うなら、将軍家──街平(まちだいら)家も清華家と同格のはずよ?」
 「格さえ釣り合えばエエってもんでもないやろ? それに、数えで十五になったばかりの娘さんが、住み慣れた宮古を離れて函東くんだりまで嫁ぐんやで?」
 どうやら最先任女官が今回の婚儀の(消極的)反対派、次席女官が賛成派らしい。
 「それは……確かにお気の毒だとは思うわよ。だからこそ、少しでも宮様のお気が紛れるよう、私たちも随行員に志願したんじゃない」
 「それは、まぁ、そうなんやけど……」
 なんだかんだ言って賛成派の子も数宮には感情移入しているし、反対派の子も決して賛成派の子を嫌っているわけではないらしい。
 「まぁまぁ、先輩方も落ち着いてくださいよ。わたしたちだけじゃなく、今回の随行に選ばれた他の女官や武官の方々も、宮様のことを守ってさしあげたいと感じているのは同じなんですから」
 「──うん、堪忍な」
 「私もちょっと無神経だったわ」
 お互い貴族の家柄の娘ながら素直に頭を下げられるあたり、やはり同じ主(数宮のことだ)を頂く者同士、共感と親近感を感じているのだろう。
 「出発する前に父から聞いたんですけど、幸いにして宮様の旦那様になられる将軍様は温厚篤実な方だそうですから、降嫁された宮様が針の筵ってことにはならないんじゃないですかね」
 「うん、そういう話は私も聞いた」
 「ほんま、その噂だけが頼りやわぁ」
 このあと、三人娘たちの話題はまだ見ぬ将軍の人柄や容姿、あるいは栄都で自分達にもはたして良縁ができるか、といった年頃の女らしいものに移行していくのだった。

 さて、この時代、匡の宮古と栄都を繋ぐ東西街道は、政治的経済的理由から他に例を見ないほど整備されている。
 安全快適を旨とする貴人用のものとは言え女性陣は4台の馬車に分乗しており、十数名いる武官も全員騎乗しているため、さすがに徒歩の旅人よりは幾分早く進めるため、結果として数宮一行はちょうど10日で栄都の街に到着することになった。
 道中、山賊や天災の類いに遭わなかったのは幸いだった──もっとも、前者については、幕府側の人員が露払いとして半日ほど先行して安全を確保していたから、という理由もあるのだが。

 しかし、栄都の、ひいては現在の陽ノ本の政治組織の中心とも言える場所、栄都城を目の前にして、まさかの制止がかかる。

 「なぜですか? 何故に宮様が栄都城に入ることを拒まれねばならぬのですか?」
 一行の実質的代表(「数宮」はあくまで名目上だ)であり、武官のとりまとめでもある九重史麻呂(ここのえ・ふみまろ)が、目を吊り上げて幕府からの使者を詰問する。
 「あ、いや、決して拒んでいるわけでは……」
 しどろもどろな対応係の中年役人を制して、もうひとりの(こちらは随分と若い)役人が、「まぁまぁ、落ち着いてくだされ」と史麻呂をなだめる。
 「──其の方は?」
 「これは失礼つかまつりました。拙者、上様の御側衆(おそばしゅう)を務めております“町田新之助”と申しまする。以後、お見知りおきを」
 御側衆とは、幕府諸法度に正式に定められていない、律令でいうなら令外官に相当する役職のひとつだ。表向きは将軍個人の私的な秘書兼知恵袋(ブレーン)とされているが、その権限は将軍次第で大きく変わる。
 将軍に重用されて後に老従(幕府における朝廷での大臣に匹敵する役職)に引き立てられることもあれば、あくまで将軍の命令の伝令役に終始することも少なくない。
 共通するのは、将軍の諮問に耐えうる頭脳と、いざという時に凶刃から将軍の身を守る盾となるだけの武技を兼ね備えた、文武両道の人材ということだろうか。
 (当代将軍の家滋様は、あまり御側衆に重きを置いていないという噂だったが……いや、だからこそ、このように腰軽く動けるのか)
 史麻呂はそんな情報を思い出す。
 「上様は、遠く匡の宮古からこの栄都までお越しいただいた数宮様に深く感謝し、またそのお身体を案じておられます。
 ですが、一度栄都城にあがられますと、上様の正室として諸々の制約が生じます故、旅の疲れを取るのも兼ねて、数日間この城下でお身体を休めていただければとのご意向でございます」
 将軍からの直々の指示だという町田の言葉には、確かに一理あった。
 多少不機嫌になりつつも、「これは従うしかないか」と史麻呂が承諾の意を示そうとしたところで、その場にいた誰にとっても意外なことに、上座に座る「数宮」が口を開いた。
 「将軍様のお心遣いには「感謝します」と伝えてください。それはそれとして──城下に留まる間、身分を隠して栄都の街を見て回ったりはできませぬか?」
 史麻呂を筆頭とする武官連中は「はァ!?」と目を見開き、対して最先任&次席女官は「ああ、やっぱり宮様は宮様だ」と(そのお転婆振りに)納得し──対して、町田は「ニヤリ」と微笑んだ。
 「下々の暮らす場所へやんごとなき方を内密にご案内することは慣れております。早速段取りは付けさせていただきましょう」
 この言い方からして、どうやら将軍ないしそれに近い高位の者がお忍びで栄都城下に出かけることが多々あるのだろう。
 「あわわわわ……」とうろたえている中年役人と、「バカな」と頭を抱えている武官たちを尻目に、「数宮」と町田は楽しげな表情で視線を交わすのだった。

 それからの数日間は、「数宮」(の立場となっているフウタ)にとって、久しぶりに解放感を味わえる貴重な日々となった。
 (未だ着慣れぬ)女房装束を脱ぎ、代りに町田の用意した、いかにも中堅旗本の息女が着そうな明るい色模様の着物に袖を通す。
 同じ女物とは言え、“時代錯誤な拘束具”、“御転婆矯正用重石”などと揶揄される女房装束(じゅうにひとえ)とは異なり、武家の衣服は(儀礼用のものは別として)そこそこ動きやすい。
 髪型も、町田の手配で上流旗本御用達の髪結が密かに「数宮」一行が借り切っている宿屋へ訪れ、女官三人娘も含めて武家風に結い直す。
 実際に「数宮」と出かけるのはそのうちのひとり(旗本娘の御付きの女中という形だ)だが、他のふたりも別の護衛付きで、その間栄都見学に出てもよいということになっていた。
 「数宮」達には案内役を兼ねた町田のほかに幕府からの直衛がふたり、さらに少し離れて見守り、何かことあれば駆けつける役目を帯びた武士が10人ほど配置された。
 ──もっとも、後者については巧みに人波に紛れていたため、「数宮」たちが意識することはほぼなかったが。

 「数宮様、誠に恐縮ながら、外で“宮様”と口にするわけにはいきませんが、どのようにお呼びすればよろしいですか?」
 宿からこっそり出発するにあたって町田がそう尋ねたとき、「数宮」は少し考え込んだ。
 「そう、ですね。あまり奇を衒った呼び名だと咄嗟に反応できなくても困りますから……幼名の「楓子(ふうこ)」でよろしいかと」
 「はっ、ではそのようにさせていただきます」
 ちなみに女官改め“御付きの女中”は(蝶子なので)「お蝶」と呼ばれることになった。

 そして、いざ“栄都見物”に出かけると、流石に将軍の御側衆を務めるだけあって町田は非常に話上手で心配りも行き届いており、初めてこの街に来た……どころか、匡の宮古を出たことすらない「楓子」の興味を引きそうな場所へ次々と案内してくれる。
 呉服屋、簪などの飾り物・小物の店、花市・植木市など女性の興味を引きそうな店屋へ寄ってみたり……。
 菓子屋や蕎麦屋、寿司屋などの庶民の味処の店先を覗いたりもした──さすがに実際にそこで食べることは諸々の理由からできなかったため、炭田川べりのある料亭の桟敷を借りての(庶民観点からは)豪華な昼食となったが、それでも「楓子」にとっては得難い体験であった。
 歌舞伎見物や寄席見物などにも行った。前者はともかく後者については“笑い”の質が上方と函東では異なるのかウケはいまひとつであったが、それでも十分に楽しめたようだ。
 そんな心躍る日々が“御付きの女中”を入れ替えつつさらに二日続く。
 その間、「数宮」たち女性陣ばかりでなく護衛の武官たちも、町田の配慮を受けて栄都の街でいろいろ気晴らしができたらしく、栄都到着直後のピリピリした雰囲気は、随分と薄まっているようだった。

 「どうでしょう。楽しんでいただけましたか、楓子さま」
 街平将軍家の初代が祀られている闘将宮(日幸の本社ではなく栄都の街中にある分社だが)への参詣に来たところで、町田に問われて、「楓子」は大きくうなずいた。
 「ええ、このように興味深い体験は初めてです」
 「そう言っていただけると、拙者としてもご案内させていただいた甲斐がございました」
 莞爾と笑う青年侍の様子に、「楓子」の鼓動がドキンと跳ねる。
 そう、「楓子」(と名乗っている「数宮」……の立場になっているフウタ)は、いつの間にか、この町田新之助という若者に好意を覚えるようになっていたのだ。
 初めて会った時は、如才なく気が利き適度に堅苦しくない案内役として、それなりに好感は抱いたものの、あくまで公私の“公”のやりとりをする相手としてだった。
 だが、この三日間、彼の案内で街を巡るうちに、新之助のいかにも武士(もののふ)らしい凛々しい挙措に見惚れ、さりげない優しさと心遣いに心癒され、そして一度だけ街奴(やっこ)に絡まれそうになった時の見事な立ち回りを見たことで完全に心を奪われてしまったのだ。
 最初は僅かに残る少年(フウタ)としての部分に由来する「かっこいい武人への憧れ」だったはずが、わずかな日にちでそれは「殿方を慕う娘」としての慕情へとその色を変化させていた。

 しかし、“彼女”は将軍・家滋の正室(つま)となるべく、この栄都に来た身。家滋との結婚は重要な政治的意図があり“婚姻を成立させねば多方面が困る”国事だ。夫となる男性の部下に懸想することなど許されようはずもない。
 まして、「数宮」は本当は“十五歳の御帝の娘”ではなく“十三歳の庶民出の少年”なのだ。
 (でも、もし、わたくしが本物の女ならば……せめてひと言だけでも、新之助さまに想いを伝えることができたのでしょうか)
 たとえそれが相手に重い罪悪感(しこり)を背負わせることになるのだとしても──などと、本殿の前で手を合わせて祈りつつ、そんなことを考えているあたり、“彼女”はある意味“本物”の数宮より「恋する乙女」していると言えるかもしれない。


【結ノ章】

 楽しい時間は瞬く間に過ぎ、いよいよ「数宮」が将軍・家滋と対面する日がやって来た。
 結った髪を解いて久家(くげ)風に整え、宮古から持って来たとっておきの女房装束に着替えて、「数宮」は栄都城の最深部にある将軍の執務室で、近い将来に夫となる人物と顔を合わせた。

 「──此の度、制異大将軍・街平家滋殿へのお目通りが叶い、誠に嬉しゅうございます」
 形式的な“格”から言えば、御帝の娘である数宮は二品(にほん)であり、従一位の官位を持つ家滋より高位にあたる──が、現在の帝室と幕府の関係を鑑みると、このような形骸化した位階にさしたる意味はない。
 だからこそ、街平家に降嫁する数宮は、あえて夫となる家滋にへりくだって見せるのが順当な接し方なのだが……。
 頭で理解していても、生来、人にかしずかれて育ってきた本物の数宮には、いかに実質的陽ノ本の支配者相手とは言え、形の上では父の臣下に過ぎない者にこうべを垂れることは、耐え難い屈辱と感じられただろう。
 その点、立場交換したこの「数宮」には、そういうこだわりはない。
 朝廷と幕府、帝室と街平の結びつきが強化され、幕府の権威に異を唱える者を少しでも牽制できるなら(そして宮古と栄都が少しでも安らぐのなら)、自分の頭を下げるなど何でもないことだ。
 (仕込まれた)作法に則り、畳敷きの広い部屋の中央近くで正座し、平伏してみせる。同席していた九重史麻呂や筆頭女官の伍条命婦が思わず息を飲むが、これは必要なことなのだ。

 「──頭を上げてくだされ。この家滋も、いと尊き方のご息女である数宮殿下を我が居城にお迎えできて、大変喜ばしく思っております」
 部屋の奥の方から聞こえてきた思ったより若い声に、「数宮」はハッと顔を上げた。
 それなりの距離があるので、はっきり顔を確認できないが、将軍の声には確かに聞き覚えがあったのだ。
 もっと近くに行って確認したい──そんな“彼女”の意を察したのか、将軍は近侍に命じて人払いさせる。
 部屋には(四隅に黙して立つ番方の武士を除き)、家滋と「数宮」だけが残される。
 (教えられた作法も忘れ)フラフラと将軍に向かって歩き出す「数宮」。
 数歩進んだところで袴の裾を踏んづけて倒れそうになるが、素早く駆け寄った将軍自らが抱きとめてくれたため、ことなきを得る。
 「あ、ありがとうございます」
 頬を紅潮させつつ、見上げた「数宮」の目に映ったのは、まぎれもなく昨日まで見慣れた男性の顔だった。

 「──家滋さま、家滋さまのご配下に“町田新之助”という御側衆の方がいらっしゃったと思うのですが」
 「うむ、いましたな。しかし、本日付で本人より職を辞する申し出がありました故、受理しました」
 「まぁ……それは何故に?」
 「あの者いわく、さる尊き女性(にょしょう)に心を奪われてしまったとのこと。その方が主たる我の花嫁となった後も、万が一みだらな思いを抱いてしまっては申し訳がたたない、と意気消沈しておりました」

 あとになって明かされるのだが、さすがの将軍家も御帝の娘を嫁に迎えた前例はなく、どのように接するべきか重臣の間でも意見が割れていたのだという。
 そんな中、この型破りな将軍自らが正体を隠して数宮の人となりを身近から見極めようとひと芝居をうち……その結果、大いに“彼女”のことを気に行ったらしい。
 何のことはない。“町田新之助”は、将軍のお忍び時の案内役ではなく将軍自身の偽名だったわけだ。

 「あら……でも、あの方は、とある旗本の娘さんから慕われていたようですから、すぐに失恋の痛手も癒えるのではないでしょうか」
 「ほぅ。それならば、頃合いを見て呼び戻すのもよいかもしれませぬな」
 つまり、またいずれ“御側衆・町田新之助”の出番が来るということだ。
 あるいはその時、傍らに妻となった“楓子”が寄り沿っているのかもしれない。
 ──要するに、このふたり、自らの地位も顧みずにお互いに盛大なノロケ合戦を行っていたワケで……砂糖吐きたくなるようなこのやりとりを部屋の隅で聞かざるを得なかった番方の武士たちには同情するしかない。
 互いの気持ちを確認して我慢しきれなくなったのか、抱きしめ合う仲睦まじい主君夫婦(予定)から視線を逸らしつつ、番方のうちの独身武士は「俺、この仕事が終わったら、絶対可愛い嫁さんもらうんだ」と現実逃避するのだった。

  * * * 

 街平家十四代将軍家滋(幼名・新之助)は、幕末を控えた激動の時代に生を受けながら、文武に秀でた明君として名を残している。
 その正室は、“公武合従”政策の一環として匡の宮古から嫁いだ御帝の娘・数宮楓子。
 政略結婚ではあるが、夫婦仲は歴代将軍家でも指折りに仲がよく、ふたりの間には二男三女が生まれている。
 街平将軍の慣例として一応大奥は存在したが、家滋は側室を取らず、対して正室である数宮は10年あまりで5人もの子を産んでいるという事実から見て、どれだけ家滋夫妻が強く結ばれていたのか推察できるだろう。
 家滋は、38歳の時、病を得て多くの人に惜しまれつつ亡くなる。彼の治世は栄都時代最後の輝きと呼ばれ、跡を継いだ十五代将軍吉信が、後に栄都幕府300余年の歴史に幕を引くこととなるのだった。
 夫の死後、数宮は匡には戻らず、栄都の郊外にある寺で落飾、以後夫の菩提を弔いながら一生を送ったとされる。

-終-

#以上。なんでふたりに子供が生まれているのかは18禁版でチラっと解説してます。
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