『時ナラヌ雨ニフラレテ』

 突発的に思いついて、例によって立場交換スレに投下した似非艦これ系SS。ウチの『鎮守府戦線』の系列の話と異なり、本作では「艦娘は若い女性が艤装への適合手術を受けてなるもの」という『陽炎抜錨』に近い設定にしています。その他諸々の設定も都合よく改変・解釈していますので、そういうのを笑って許せる方のみお読みください。


時ナラヌ雨ニフラレテ

 それは、まさに「魔が差した」から、としか言いようがなかった。

 中学卒業と同時に適性(どうやって調べたのか不明だが)を認められて、海軍にスカウトされた彼は、そこで“提督”と呼ばれる役職に就くことになる。
 ただし、一般的な“艦隊の司令官”という意味ではない。いや、ある意味それで正しいのだが──彼が指揮するのは、女性(ひと)の姿と心を持ちて深海棲艦(ばけもの)と戦う艦娘(もの)達なのだ。
 艦娘とは、非常に希少な適性を持つ者(その殆どが10~18歳くらいの若い女性だ)が、ある種の“改造手術”を受けることによって“霊的な兵器”である艤装とリンク可能になり、人類の天敵にして“実体化した怨念”ともいうべき深海棲艦と戦う力を得た存在だ。
 いくつかの事情から、その艦娘を指揮する提督にもある種の資質、適性が存在し、それを持つ者は決して多くはない。
 そのため、彼のように義務教育を終えたばかりの若僧と呼ばれても否定できない年代の少年でさえ、海軍では佐官に相当する階級を与えられ、複数の艦娘を指揮する立場に立たされるのである。

 そして──深海棲艦と戦える力を得たからと言って、艦娘の戦いは決して楽なものではない。
 艦娘の身体は、現代の最先端科学と古代から連綿と受け継がれてきた陰陽術の粋を結集して作られた施設のサポートにより、たとえ瀕死の状態になっても、生きてさえいれば僅か半日足らずで回復できる。
 しかし、だとしても──いや、だからこそ、相次ぐ戦闘によって心身を消耗し、心が折れてしまう艦娘もそれなりの数いるのだ。
 今日の昼、彼が見送った駆逐艦娘の“時雨”もそんな「戦えなくなった艦娘」のひとりだった。
 なまじ穏やかで思いやり深く忍耐強い性格だったせいか、彼女はストレスからくる異常(ゆがみ)を“壊れる”寸前まで隠しぬき──結果、取り返しのつかないほどの心の傷を背負うことになった。
 「──僕もここまでかな」
 艤装を展開するだけで身体が震え、足腰が立たなくなるほどのPTSDを(周囲から見れば)唐突に発症した彼女は、精密検査の結果、艦娘を退役し、一般人に戻ることになったのだ。
 「提督……さよなら。顔を合わせると辛くなるから、みんなには、キミの口から伝えておいてくれるかな?」
 「ああ、もちろん──そんなになるまで気が付かなくて、ごめん、時雨」
 「あはっ、僕はもう“時雨”じゃないよ。ボクの名前はね……」
 自分の本名を彼の耳元でささやき、憂い帯びた微笑を見せると、そのまま執務室を出て行く時雨“だった”娘。
 そしてそれきり、彼は彼女と再び顔を合わせることはなかった。

 そこまでは、ありふれた……とはいかないまでも、艦娘たちが集う鎮守府では、ままある話だ。
 ただ、このケースに限れば、気の毒なことにこの提督は(口にこそ出さなかったが)密かに時雨のことを異性として意識──端的に言うと“惚れて”おり、そしてその想いが叶う可能性は、ほぼ0に近くなったのだ。
 いかに総勢20人以上の艦娘を指揮する提督とは言え、素顔の彼はまだ16歳になったばかりの未熟な少年なのだ。
 時雨とは彼がこの鎮守府に着任した時、最初に秘書艦として選んで以来のつきあいで、その彼女が戦線を離脱したことは、少なからぬショックを彼に与えていた。

 だからだろうか。彼が、本来は廃棄処分にするべき時雨の艤装や制服をこっそり隠匿し、執務室に持ち帰ってしまったのは。

 「時雨……しぐれぇ~」
 時刻は、午後8時。時雨の後任の秘書艦を未だ決めておらず、そのために自分以外は誰もいない執務室。
 その一角に設置された仮眠用ベッドのうえで、彼はきちんと折りたたまれた時雨の制服(セーラー服?)を抱きしめて、その匂いに包まれながら、泣きそうな表情で呻いていた。
 まぁ、ここまでなら──少々フェチが入っているとは言え──同情できない話でもない。
 駆逐艦娘の多くは10歳からせいぜい12、3歳くらいの容姿のものが多いのだが、時雨の属する“白露型”はそれに比べると大人びており、おおよそ15、6歳くらいの年頃に見える。
 彼も提督であると同時にひとりの若き少年であり、(秘書艦として)もっとも身近にいた、愛らしくもけなげで優しい同年代の娘に対して、純粋な慕情に加えて性的な関心をまったく向けなかったとは言い難い。
 密かな想いの対象が(身近から)失われたことで、彼がその想いを“こじらせて”しまうのも、ある意味、無理もない話だろう。

 だが、それだけでは満足できなかったのか──提督は、いきなり海軍将校用の士官服を下着ごと脱ぎ捨てると……手元にある時雨の制服を身に着け始めたのだ!
 これは完全にOUTだろう。
 いや、世間的な良識や常識を脇に置くとしても、パッと見、ただの女学生の制服のように見えたとしても、艦娘達がまとうその衣装は特別な“処置”が施してあり、艦娘以外の者が纏うことは禁じられているのだ。
 この鎮守府の責任者である提督として、その事は彼もよく知っているはずだが、この時の彼はいささか正気を失っていた。
 あるいは、失われた自身の愛する時雨という艦娘の衣装を身に着けることで、彼女と同一化したかったのかもしれない。
 黒に近い濃紺を基調に白いセーラーカラーと袖口の折り返しがついた半袖の上着を頭からかぶり、袖を通してから左脇のファスナーを下げる。
 同じく左脇開きのプリーツスカートを履き、ホックとファスナーを閉める。
 ほんの僅かにためらった後、制服とともに残されていた白い飾り気のないショーツにも足を通して引き上げ、スカートの中でモソモソとナニの位置を調整する。
 ベッドに腰かけて黒のスクールソックスめいた靴下と茶色い革のローファ履き、どこぞの水先案内人のごとく右手にだけ指無し手袋をはめ、最後に胸元に深紅のスカーフを結ぶと、彼は立ち上がった。

 ためらいと緊張が半々にミックスされた心持ちで、秘書艦のために執務室の隅に設置された鏡の前まで歩み寄ると、意を決して覗き込む。
 そこには──“時雨に似たナニカ”の姿が映し出されていた。
 顔だちはやはり彼本来のものだし、髪も男にしてはやや長い方だが、後ろ髪をまとめて三つ編みにしていた時雨ほどではない。
 しかし、雰囲気や気配とでもいうのだろうか、全体のたたずまいは不思議と時雨と酷似しており、想いの行く先を失った彼の心を大いに慰めてくれた。
 さらに奇妙なことに、彼が着ている時雨の衣装は初めてそれを着た(当たり前だが)とは思えぬほど彼の身体に馴染んでいた。
 確かに、この提督は同世代の少年たちと比べて背が高いほうではない。時雨との身長差はせいぜい3、4センチといったところだろうが、それでも男と女の間では、骨格その他に明確に違いがあるはずなのだが……。
 あるいは、“特別製”である艦娘の衣装の方が、着用者の体のラインに沿うような構造(しくみ)になっているのかもしれない。
 もっとも、その時の彼の脳裏にはそんな冷静な考察など浮かばず、ひたすら鏡に映る自分の姿──を通して、在りし日の時雨のことに思いを馳せていた。

 「ボクは白露型駆逐艦、「時雨」。これからよろしくね、提督♪」
 その挙句、鏡の前でひとり芝居を始めてしまう。

 「ボクに興味があるの? いいよ、なんでも聞いてよ♪」
 「この勝利、ボクの力なんて些細なものさ。この雨と…そう、提督のおかげだよ♪」
 かつて本物の時雨がこの執務室で口にした言葉を、寸分違わず(しかし、いささか“提督”への情愛を込めて)再現する“時雨”だったが……。

 ──バタンッ!

 「夕立ったら、結構頑張ったっぽい! 提督さん、褒めて褒めて~」
 いきなり執務室のドアが開いたかと思うと、第二艦隊の旗艦として遠征に行っていたはずの夕立──時雨と同じく白露型の駆逐艦娘で、時雨のもっとも親しい友人かつ寮のルームメイトでもあった少女が飛び込んできたのだ!

 「! こ、これは、その……」
 自己憐憫と自己陶酔(?)に浸っていた彼も、さすがに我に返ってしどろもどろになったのだが……。

 「あ~、時雨ってば、元気になったっぽい? 良かった~!」
 夕立は、満面の笑顔になって彼──いや、“時雨”に飛びついてきたのだ。

 「へっ!?」
 「いきなり倒れたって聞いてたから、心配してたのよ。大丈夫? 痛いところとかない?」
 「あ、うん、特には……」
 曖昧に頷きつつ、どうやら夕立は、自分のことを本物の時雨と勘違いしているらしいと悟る“時雨”。
 (親友でいつも寝起きしていた同居人の顔を見間違えるなんて……うっかりとかドジっ子ってレベルじゃないよ、夕立!)
 心の中で呆れつつも、ひとまずバレなかったことに安堵する。

 「あ、そうだ! 時雨、提督さん、どこにいるか知らない? 夕立、旗艦だから報告しないと」
 そうだった。ちょっと(?)抜けてるところがあるとは言え、この子もこの鎮守府では比較的古株に属する艦娘で、任務に対するモチベーションと責任感は結構高いのだ。

 「え、あ、いや、その……て、提督は、今ちょっと外部に出かけてるんだ。遅くなるかもしれないって言ってたから、報告は秘書艦のボクが聞いておくよ」
 時雨の口調を思い出しつつ、それらしいことを言って、このまま無難にやり過ごそうとしたのだが……。

 「第三艦隊戻ったわ。作戦終了みたいよ~?」
 「第四艦隊帰投、なのねー」

 運が悪いことは重なるもので、他の遠征組の旗艦である龍田と伊19までもが帰投の報告のために執務室に入って来た。
 万事休すかと、覚悟を決める“時雨”。しかし……。

 「あら~、時雨ちゃん。もうお身体のほうはいいの?」
 「思ったより元気そうなの」
 このふたりも、“時雨”のことを本物と疑っていないようだ。
 (夕立以上におポンチなイクはともかく、龍田はしっかり者だと思ってたのになぁ……)
 心の中で溜息をつきつつも、好都合なのでその誤解を利用する。

 「う、うん。精神的な消耗からくる衰弱が主な原因なんだって。しばらく出撃を控えれば、すぐに元に戻れるらしいよ」

 “時雨”の言葉を聞いて喜ぶ3人の姿に、二重の意味で騙している“時雨”は後ろめたくなったが、もう遅い。
 とりあえず、「不在の提督に代わって書類などの処理をする」という口実で、執務室に残ろうとしたのだが……。
 「時雨は病み上がりなんだから、無理したらいけないっぽい!」
 という夕立の意見には逆らえず、そのまま皆と少し遅めの夕食を摂ることになってしまった。
 3人と共に赴いた食堂でも、会う艦娘たちがことごとく時雨のことを気遣ってくれる。
 秘書艦として顔が広いのは知っていたが、時雨がこの鎮守府の艦娘たちにここまでの交友を築いているとは“時雨”は目からウロコが落ちる思いだった。
 と同時に、なおさら本物の時雨がいなくなったことを言い出しにくくなる──そう、ここに至るまで、“彼女”が本物の時雨ではないと見抜いた艦娘はひとりもいないのだ。

 「あ、時雨さん、昨日倒れたと聞いて心配していたんですよ。食欲の方はどうですか?」
 給糧艦娘として食堂を切り盛りしている間宮にも、その助手の伊良湖にも、完全に時雨として対応される。
 「う、うん、もう平気だよ」
 「そうですか……それじゃあ、“いつもの”ご用意しますね♪」
 そうして渡された夕飯用のトレーには、市井の大衆食堂の定食の2倍近いボリュームの食事が並んでいる。
 (こ、これをいつもの時雨は食べてたのか……食べきれるかなぁ)
 顔には出さないよう努めたものの、内心ではそんな呟きを漏らしている。
 ところが、夕立や執務室から一緒だった龍田やイクたちと歓談しながら食事を摂っていると、不思議と満腹にならず、コメのひと粒も残さキレイに平らげてしまった。

 「それじゃあ、時雨、部屋に戻ろ」
 そうなると、龍田たちと別れたあと、同室の夕立がそう言いだすのは、至極当然な流れなわけで、“時雨”としてはどうやって断ろうかと必死に頭を回転させていたのだが……。
 「あ、そういえば、時雨、艤装を提督さんのトコに置いてきたっぽい?」
 「! そ、そうなんだよ。だから、取って来ないと……」
 「ふーん。じゃあ、夕立もいっしょに行くっぽい」
 (ですよねー)
 心の中で溜息をつきつつ、もうどうにでもなれとばかりに執務室へ向かう。
 執務室の入り口の脇、“本物”の時雨が秘書業務の妨げにならぬよう外した艤装を置いていた場所に、「いつもの如く」時雨用の艤装は置かれていた。
 それだけ見ると、まるで今も時雨が鎮守府に、この執務室にいるような錯覚を覚える。
 「あったあった。さ、時雨、着けて着けて」
 “彼女”の感慨など知らぬ夕立が、あっさりと艤装を持ちあげて、“時雨”に装着させようとする。
 「い、いや、それは……」
 さすがにあの重い艤装一式を装備すれば、ただの(しかも同世代の平均よりやや小柄な)少年でしかない彼は、ロクに動けなくなるだろう。
 昼間隠匿した艤装を運ぶ際も、こっそりカートに積み込んで何とか持ってこられたくらいなのだ。
 体調不良を理由に断ろうと思いついたときには、“時雨”は偽装の中でも一番大きく、ガンキ●ノンなどと呼ぶ者もいる背部装甲&砲塔を、夕立の手で背負わされていた。
 「!」
 ズシリと肩に食い込む重みを覚悟していた“時雨”の予想に反して、意外なほどその鋼鉄の艤装は軽かった。体感的には、小学生時代に背負っていたランドセルと大差ない。
 (え!? な、なんで……)
 思考をまとめる前に、両足の太腿にも魚雷発射管のベルトが巻かれる。こちらも大きさからして相当な重さのはずなのに、それほど負担に感じなかった。
 「これで全部っぽい? じゃあ、お部屋に戻ろ」
 「う、うん……」
 思いがけない事態に「なぜ?」と気を取られて上の空の“時雨”は、夕立に手を引かれるまま、執務室を出ると駆逐艦寮の方へと歩き出す。
 寮の一室に着いた際は、無意識に艤装を外して床に置く。戦艦寮や空母寮と異なり、駆逐艦寮の部屋はあまり広くないので、駆逐艦娘たちは自室では艤装を外すのが暗黙の了解となっているからだ。
 白い作務衣のような寝間着に着替えた夕立が、二段ベッドの上の寝台に上がって「おやすみ~」と言ってくるのに、反射的に「お休み、よい夢を……」と返した後、ようやく“時雨”は我に返った。
 「あ、ここは……」
 無論、言うまでもなく駆逐艦寮の時雨(と夕立)の部屋だ。
 本来であれば、夕立が眠ったのを見計らって部屋を出て、そのまま執務室に戻り、時雨の制服を脱ぐべきだったろう。
 しかし、目の前に“本物”が昨日まで寝ていたベッドがあり、今ならそこにダイブしても誰にも責められず、そのまま眠りにつくことができる──という誘惑は、あまりに魅力的だった。
 ほんの僅かな躊躇の後、“時雨”はローファーを脱いでからベッドに入り、薄い綿布団の上下の間に潜り込む。
 想い焦がれていた少女の匂いに包まれながら、不思議とリラックスした気分になった“時雨”は、そのまま抗うことなく睡魔の手に身を委ねるのだった。

  * * *

 夢を見た。
 その夢の中で、自分は一隻の軍艦だった。
 数多の軍人達を載せ、さまざまな海の戦場を航行(かけ)る。
 そのほとんどが激戦であり、“同僚”の艦(ふね)の多くが傷つき、沈んでいく。
 そんな過酷な状況の中でも、“彼女”は10年間にもわたって生き残り、幸運艦と呼ばれるようになっていく。
 けれど、それは裏を返せば、10年間仲間の死を見つめ続けたということ。
 比叡、萩風、嵐、雲龍、西村艦隊での扶桑、山城、最上、満潮、山雲、朝雲、そして姉妹艦である江風や春雨、白露、五月雨の最期の場にも、“彼女”は居合わせているのだ。
 最後の、そして最期となった任務の際、敵の雷撃を受けて沈む際に“彼女”の胸に浮かんだのは、悔しさと同時に、「これでやっとみんなのところに逝ける」という奇妙な安堵でもあったのだ。

 だからこそ、艦娘という形でこの世に再臨した時、“彼女”は、今度こそ仲間のすべてを、自分の力の及ぶ限り守りたいという強い決意を抱いていた。
 その願いが“素体”となった娘にいささか負担を強いていたという面も、否定はできない。
 時雨とはそういう艦であり、時雨の名を関する艦娘になるというのは、その想いを背負って戦うということなのだということが、本能的に理解できた。

 『──君に、その覚悟があるかな?』

 何処からか聞こえてくる“声”に対して、コクンと首を縦に振って肯定の意を示す。

 『──ならば受け継いでほしい。僕の力と想いを……』

 まばゆい光に包まれ、自分の存在が変貌していくのがわかるが、あえてそれに逆らわず、彼はそれを受け入れた。

  * * * 

 翌朝午前6時、目を覚ました“時雨”は、「いつものように」まだ寝ている夕立を起こさないよう気をつけながら、「手慣れた仕草で」艤装をフル装備してから「恒例の朝練」へと出かけていった。
 鎮守府の周囲を軽く3周ほどジョギングした後、龍田の姉妹艦である軽巡娘・天龍が中心になって主催している、駆逐艦向けの海上自主訓練に参加する。
 「──行くよ!」
 レースゲームのパイロンの如く一定間隔で浮かべられたブイの間を、高速で蛇行してすり抜けながら的を撃っていく。
 自分が当たり前のように水の上に浮いていることについても、背中から下ろして両手に持った主砲を自在に扱えることにも、もはや“時雨”は驚かなかった。

 7時過ぎになって自主練が終わると、今度は寮の部屋にとって返し、まだベッドの中で惰眠をむさぼっている夕立を起こす。
 夕立が寝間着から着替えるのと背中合わせに、自らも海水で濡れた制服の上下を脱ぎ、タンスから出した替えの制服へと着替える。
 連れ立って食堂に行き、伊良湖から“いつもの朝メニュー”を受け取ると、夕立や周囲にいる「顔なじみの艦娘たち」と雑談しつつ、お行儀よく──けれども健啖な食欲を見せて平らげる。

 「じゃあ、僕は秘書艦の仕事があるから。夕立は?」
 「夕立は、今日はお休みっぽい。時雨、お昼はどうするの?」
 「仕事の進み具合次第だね。僕のことは気にせず、食べてよ」
 そんな会話を交わした後、提督の執務室へと向かい、笑顔でドアを開ける“時雨”。
 「おはようございます、提督♪」

 けれど、誰もいない提督の執務机を見た瞬間、“彼女”は思い出す──自分が本当は何者なのかを。
 「ぅ、ぁ……な、なんで……どうして……」
 頭を押さえてうずまる“時雨”に落ち着いた声がかけられた。
 「──苦しそうですね、時雨さん」
 俯いていた姿勢から顔を上げると、そこには大淀と明石、ふたりの司令部付艦娘が立っていた。
 「……しぐ、れ……ち、ちがう、ぼくは……」
 「いいえ、アナタは時雨──白露型駆逐艦娘の次女の時雨さんです。ほら」
 明石が差し出した手鏡に映る顔は、確かに長年見慣れた自分の顔……のはずだが、何かが違った。
 「……目が……碧い?」
 南の海を思わせる鮮やかなコバルトブルーの瞳が、鏡の中から自分を見つめ返している。
 「ほら、“艦娘と言えども女の子”なんですから、身だしなみには気を使いませんと」
 背後から歩み寄った大淀が、優しい手つきで「背中まで伸びた後ろ髪」を緩い三つ編みにして、先端付近を紅いリボンで結わえてくれる。
 碧眼と三つ編み、その特徴を持った艦娘を“彼女”はよく知っていた。
 「──しぐれ」
 その名前を口にした瞬間、朦朧としていた意識がたちまちクリアーになる。
 「そう、僕の名前は時雨」
 そうだ、自分は「白露型駆逐艦2番艦の艦娘・時雨」だ!

 「ちゃんと“思い出し”ましたか、時雨さん?」
 「うん、ありがとう、明石、大淀。どうやら、まだちょっと寝ぼけてたみたいだ。疲れがたまっているのかな」
 「ここのところ激戦が続きましたから無理もないですよ。特に時雨さんは、秘書艦との兼任ですし」
 「艤装とかの修理なら私がばっちり直してあげるけど、時雨本人はそうもいかないんだから、気を付けてね」
 「心配かけてごめんね。もう大丈夫だから」
 先ほどまでの苦悶が嘘のようにスッキリした顔つきで、時雨はふたりの艦娘と笑顔で会話する。
 「あ、そういえば、提督は今日から半月間、海軍本部の方へ出張なさっているそうですよ」
 「え……そう、なんだ……」
 あからさまに落胆した表情になる時雨を、ニヤリと笑って明石がからかう。
 「おやおや、愛しの提督さんと離れ離れになるのが、そんなに寂しのかな?」
 「! も、もぅ、からかわないでよ」
 顔を真っ赤にして身をひるがえすと、秘書艦の定位置である執務机横のサブデスクにつく時雨。
 「ほら、ふたりとも、提督が不在でも仕事はたくさんあるんだからね!」
 「はいはい、仰せのままに秘書艦殿」
 「あはは、初々しいですね~」

 ──その後、この鎮守府に於いて時雨は、優秀な秘書艦にして駆逐艦娘のエースとして活躍し、“提督”からケッコンカッコカリを申し込まれることになるのだが……それはまた別のお話。

  * * * 

 「明石、これで良かったんでしょうか?」
 「最善とは言えないだろうけど──でも、あのままじゃあ、ウチの鎮守府は有能な秘書艦にして第一艦隊の旗艦と前途ある提督の両方を失っていた公算が強いわ」
 深夜、執務室の隣にこしらえられた明石の工作室兼備品購入店で、部屋の主である明石とその同僚の大淀が密談している。
 「深海棲艦の攻撃が激化している今、できればそれは避けたい……というのが本部の意向よ」
 「! もしかして、退役した時雨さんの装備類を提督が簡単に手に入れられたのも……」
 「ええ、賭けだったけどね。提督がアレに手を出すか、出したうえでソレが適合するか──本部の分析では、彼が“そう”なる確率は決して低くなかったらしいけど」
 今のあの時雨は、“以前”の時雨の艦娘としての能力と記憶をそのまま引き継いでいるのだから、海軍本部の“賭け”は成功したと言えるだろう。
 指令系統に関しては、もうすぐこの鎮守府に新たな提督が送り込まれてくる予定となっている。
 「それにしても、あの“時雨”さん、髪型や目の色はともかく、身体そのものは元の提督のままなんですよね? どうして、夕立さんを始め、誰も気づかないんでしょう」
 「ああ、それね。そもそも艦娘は同じ艦娘を、容姿じゃなくその身に宿った“軍艦としての魂”で識別している割合が大きいのよ。そして、“あの”時雨の装備は間違いなく“以前”のものと同じだからね」
 「だから、事情を知っている私たちでも、意識しないと気が付かないんですね」
 「それに、今はまだ外見は元の男性のままだけど、この先、艤装との適合が進めば……いえ、なんでもないわ」
 「なるほど。聞かなかったことにします」

-おしまい-
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