『Nervous-Breakdown』(上)

 「立場交換スレ」にてつい先日まで連続7日間投下を行っていた作品。諸々の事情でスキップした部分が多いため、改めてこちらで3回に分けてリライトしたものを掲載します。
 ちなみに、私立咲良学院の制服はエルフの『下級生』の卯月学園のそれをイメージしています。メインキャラふたりも、東雲市歌は同作の緑谷麻紀、土曜日以降の折原邦樹は持田真歩子(ただし無乳)のルックスを念頭において読んでいただけると幸い。


『Nervous-Breakdown』



 私立咲良学院──中高一貫教育を掲げ、偏差値、進学率ともに県内で中の上程度に位置する、俗にいう“中堅校”である。
 旧帝大や早慶クラスに進学するような成績優秀者や、甲子園、花園ないしそれに類する全国大会に出場するようなスポーツ選手はほとんどいないが、中途退学者や自殺者を出すようないじめ等もあまり見受けられない。
 私学であるためか生徒の家庭も比較的裕福な層が多く、同時に、いわゆる“名門”、“金持ち学校”と言えるほど上流階級や富裕層の子女が通っているワケでもない。
 総体として見れば、リベラルでそこそこ環境的に恵まれた学び舎と呼んでもよいのだろうが、しかしながら、そのような場所でも、そこに通う子供たちの間にまったく諍いがないなどいうことは、やはりあり得ない。
 たとえば……。

 放課後のその教室では、ひと組の生徒が教壇を挟んで対峙していた。
 ひとりは、男子の制服である紺色のブレザーをビシッと着こなした“少年”。
 メタルフレームの眼鏡をかけてはいるが野暮ったい印象はなく、スクールネクタイをウインザーノットに結び、天パなのか緩やかにウェーブした髪をエアーマッシュのスタイルに整えるなど、なかなかのオシャレさんだ。
 もうひとりは、男子と対照的なワインレッドの女子制服を着た“少女”。
 白ブラウスの上に葡萄色のボレロを着て、首元には青いリボンタイ、ボトムはかなり短めのフレアスカート──という咲良学院の女子制服は可愛いと好評なのだが、“彼女”のようにスラリと長身な生徒には特によく似合う。
 ただ、如何にも教科書通りの着方というか、自分を魅力的に見せようという気配が見受けられないのが、少々残念だ。この学校は、よほど大きな改造でもしない限り、多少制服を着崩しても寛大なのだが……。
 そろそろ下校時間が迫り、夕陽も西に落ちかかった黄昏時の教室には、「彼と彼女」のふたりを除いてほかに人影はなかった。

 「──ねぇ、もうこんなコトやめようよ」
 「おやおや、“こんなコト”って一体何のことかな?」
 哀しげな、あるいは懇願するような“彼女”の言葉に対して、“彼”の方はニタニタとニヤニヤの中間のような、あまりタチのよくない笑顔を浮かべてトボケている。
 「そ、それは……」
 “彼女”には答えられない。
 ひとつには、“彼女”自身にもいったい何が自分たちに起きているのか、正確に把握できていないからであり、また、もうひとつには「それ」を起こしているのが“彼”だと断言できるだけの根拠を持たないからだ。
 いくつかの状況から、ほぼ間違いないだろうと推測してはいるものの、決定的な証拠と言えるようなモノは存在しない。

 「フフッ、言いたいことはそれだけかな? じゃあ、オレは帰るよ」
 「ま、まっ……」
 「待って」と言いたかった。でも、仮に相手が待ってくれたからといって、何を話せばいいというのだ? 
 その思いが、制止の言葉を尻すぼみにさせる。
 「ククク……じゃあな、“シノノメ”さん、また明日~」
 「!」
 “彼”にそう呼びかけられた時、“彼女”の背中に電流のような震えが走った。
 風邪の引き始めに感じる悪寒を何倍にも強くしたような気持ちの悪さと、それとは相反するフワフワと身体が宙に浮いているような心地よさ。
 それらを同時に感じた“彼女”は、苦悶とも悦楽ともつかない喘ぎを漏らしそうになって、それを懸命に自制し、しゃがみこんで自分の身体を抱きしめるようにしてうずくまる。
 十数秒か、あるいは数分か、ハッキリしないがしばしの時間が流れ、ようやく“彼女”──シノノメさんと呼ばれた“少女”が平静を取り戻して立ち上がった時、すでに“少年”の姿は教室になかった。
 「ぅぅ…けっきょく、誤魔化されちゃった……」
 意気消沈した表情で唇をかみしめていた“少女”だったが、ハッと何事かに気付いたらしく、慌ててボレロの胸ポケットから生徒手帳を引っ張り出した。
 もどかしげにページをめくり、最後の見開きにプリントされた学生証を確認する。
 「う、そ…………」
 絶句する“少女”。
 そこには、制服を着た“彼女”自身の顔写真が貼付され、「中等部二年C組 東雲市歌(しののめ・いちか)」とプリントされていた。
 何もおかしな点はないはずだ──“彼女”が、本当に“東雲市歌”であるならば、の話だが。
 「あぁ……ついに、名前まで…………」
 そう。
 ガクリとうなだれ、よろけながらかろうじて近くの椅子に座り込む“少女”は、本当は東雲市歌などという名前ではない。それどころか“少女”ですらないのだ。
 全体に細身で、身体の線が出にくい制服を着ているため、パッと見には気づきづらいが、注意深く観察すれば“彼女”の肩幅が14歳の女の子にしてはかなり広く、全体にがっしりした骨格をしていることがわかるだろう。
 胸は貧乳を通り越した無乳とも言える状態で、ハイソックスとスカートの間に垣間見える足のラインも、綺麗ではあるが女性にしては少々直線的過ぎる。
 “彼女”がバレー部所属であることを勘案すれば、あるいはそれほど不自然なことではないのかもしれないが……。
 「いったい、どうしてこんなコトに……」
 力なくつぶやく“彼女”、いや“彼”は、この悪夢が始まったときのことを思い出していた。


罪負いし火曜日

 キッカケは……たぶんだけど、ちょうど一週間前の火曜日。
 僕が、彼女──東雲市歌さんに投げかけた言葉にあるんだと思う。

 今、客観的にかつての僕、折原邦樹(おりはら・ともき)の言動を見返すと、「無神経でKYなガリ勉メガネくん」としか言いようがないと思う。
 言い訳させてもらえるなら、僕は子供のころから運動音痴で体格もあまりよくない。ならばその分、頭脳面で頑張ろうと思って真面目に勉強や読書に励んでいるうちに、周囲からは「根暗」とか「無愛想」とか言われるようになっていた。
 当然、あまり友達もできないから、ますます内にこもるようになって、さらに……という悪循環。唯一の救いは、それなりに成績が上がったことくらいだけど、それだって開●とか駒●を目指せるほどのものじゃない。
 たぶん、僕自身、本心では自分の現状を決して肯定的にとらえていなかったと思う。
 それなのに、ちっぽけなプライドにしがみついて、周囲のクラスメイト、とくに運動能力に秀でた(そして成績がイマイチだった)人へバカにしたような発言を繰り返していた。
 誰だって、そんなヤツと友達になりたくないよね?
 だから、僕はますますクラスで孤立し、ごくわずかな例外を除いて友人と呼べる人間さえいなくなっていったんだから……まったく、自業自得だ。

 思えば、そんな僕にとっては、多少のからかい混じりでも気さくに声をかけてくれる、同じ小学校出身の東雲さんは、口を開けば互いに皮肉や悪口の応酬とは言え、数少ない「肩肘張らずにつきあえる相手」だったんだろうな。
 あ、一応断っておくと、男女の恋愛めいた感情は互いに皆無だった。あくまで、ケンカ友達(と言えるかは微妙だけど)的ポジションってだけ。

 ただ、ある意味、僕はそれに甘えすぎていたのかもしれない。
 その日の放課後、部活の美術部での活動が終わって帰る時、同様にバレー部の練習を終えた東雲さんとバッタリ昇降口で顔を合わせることになった。
 そこで、いつも通りの言い争い──ならよかったんだけど、もう覚えていないくらい些細な原因で虫の居所が悪かった僕は、彼女につい無神経なことを言っちゃったんだ。
 具体的には、あまり洒落っ気のない東雲さんが、珍しく髪に可愛らしいカチューシャを着けて、いつもは外しているリボンタイをキチンと結んでいたのを鼻で笑った。
 「そんなモン、キミに似合うわけないだろう……まったく、男女がヘンに色気づいちゃって」
 ……うん、今思い返しても、男として、いや人間として最低だよね。
 それを聞いた彼女は、珍しく言い返して来ない──どころか、目に涙を浮かべてキッと僕を睨むと、走って校門から帰っていった。
 その直後、彼女の友人から、その日の東雲さんは憧れていた男子バレー部の先輩に告白しようと目いっぱい気合を入れてたんだと聞かされて、さすがに罪悪感が沸いてきたんだけど……。
 「ぼ、僕は悪くないぞ、正直な感想を言っただけなんだから!」
 そう自分に言い訳しつつ、僕もそのまま逃げるように帰宅したんだ。


始まりは水曜日

 家に帰っても気がとがめて勉強もロクに手につかず、早めにベッドに入ったものの、何か嫌な夢を見てあまり熟睡できなかった、その日の翌日。
 朝、登校して教室に入るとクラスの女の子たちが僕を見てヒソヒソと何かささやいている──ような気がする。
 (やっぱり昨日のことは知られてるのか)
 仏頂面の下に憂鬱な気分を押し隠して、僕は自分の席に座ろうとしたんだけど……。
 「ちょっと、折原くん! なんでそこにアンタが座るのよ!」
 「え?」
 いきなり、隣席のクラスメイトの女子にとがめられて、僕は目を白黒させる。
 「えっと……ここは僕の席」
 「だよね?」と続ける前に、激しく否定される。
 「んなワケないでしょ! そこは市歌の席よ!!」
 「え? え?」
 ワケがわからない。
 僕は、本の読み過ぎのせいか目が悪い。
 と言っても、0.5と0.3だから某野比家の長男みたく裸眼だとロクに見えないという程じゃないけど、学校ではメガネをかけてることが多いから、担任の先生が配慮して一番前のこの席にしてくれたはずなんだけど。

 「──何騒いでんの?」
 と、その時、僕が今一番会いたくない人物が姿を見せた。
 「あ、市歌! ちょっと聞いてよ。折原くんが市歌の席にさぁ……」
 これ幸いとばかりに、彼女の友人である山田さんが状況を説明する。
 「ふーん……もしかして、折原、昨日のこと謝ろうと思って待ってたの?」
 東雲さんは、ちょっと顔色が悪かったけど、すでに平静は取り戻しているみたいだった。

 ──その時、僕が彼女の言葉を肯定して素直に謝罪すれば、もしかしてその後“こんなこと”にはならなかったのだろうか?

 「え、いや、その、えっと……」
 口ごもる僕の様子を見て、東雲さんは落胆したように視線を逸らした。
 「別にいいよ、謝んなくて。アタシなんかが付け焼刃で可愛いカッコしたって似合わないのは事実だしね」
 意外に理性的な東雲さんの言葉に、僕はほんの少し救われたような気がしたけど、その言葉には続きがあった。

 「──でも、アンタのことは許さない」

 いつも明るく威勢のいい東雲さんとは思えないほど、彼女の瞳は昏く、その声にも怨念のようなものが籠っていた。
 「!」
 「それだけ。さ、もうどっか行って。ここは“アタシの席”なんだから」

 その後、ほかのクラスメイトにも確認したんだけど、誰もが口を揃えて、僕の席だったはずの場所を“東雲さんの席”だと言うので、僕は残った席──昨日までは東雲さんがいたはずの席へと座るしかなかった。
 教室の窓際の一番後ろというこの席は、人によっては絶好の居眠りスペースとして歓迎するみたいだけど、僕みたいに目が悪く、真面目に授業を受けたい人間にとっては最悪の場所だ。

 「おはよー、早速だけど出席をとるよ~!」
 そうこうしているうちに、担任の斉藤菜月先生が教室に入ってきてHRを始めた。
 斉藤先生は英語の担当で、まだ若くて美人でしかも優しいという、ある意味理想的な教師なんだけど、反面ちょっとドジで頼りないところもあるんだよね。
 HR後、教室から出ようとする斉藤先生をつかまえて、席のことを聞いてみたんだけど、案の定、先生も僕の席は教室の一番後ろだと認識していた。
 しかもそれだけでなく、先生の持っている座席表にも、中央最前列が東雲さんで、窓際最後尾が僕だと書き込まれていたんだ。
 「折原くんは目が悪いみたいだから何とかしてあげたいとも思うけど、あまり特定の生徒だけヒイキもできないから……ごめんね」
 「──いえ、大丈夫です」
 僕はスゴスゴと“自分の席”に戻るしかなかった。
 その途中で、なぜか東雲さんが後ろを向いて僕の方を見ていたような気がした。


愚か者の木曜日

 訳がわからないまま、それでも座席の位置以外はとくにいつもと変わりのない一日を送って帰宅した、その次の日。
 僕は、昨日の“ハプニング”が、さらに続く“異変”の序曲にしか過ぎなかったことを思い知らされたんだ。

 その前の晩同様寝苦しい一夜を過ごして熟睡できなかったせいか、一時間目の数学の授業が始まっても、僕はどうにも頭が働きが鈍いのを感じていた。
 寝不足のうえ、黒板から遠くて板書が見づらく、先生の声も幾分聞き取りづらいこともあって、いまひとつ授業に集中できてないのが自分でもわかる。
 (こんなんじゃダメだ!)
 そう思うんだけど、5月の連休が終わったばかりとあって気候もよく、窓際のこの席では、ついうたたねしたい誘惑に駆られてしまう。

 「それじゃあ、この問題を……そうだな。折原、わかるか?」
 「は、はいッ!」
 重いまぶたと必死に戦っていた僕は、思いがけずに数学の高梨先生に当てられて、慌てて立ち上がる。
 黒板の前に歩み出て、チョークを手に、いざ数式を解こうとしたんだけど……。
 授業をよく聞いてなかった上に慌てているせいか、どうにもこうにも問題の解き方が浮かんでこなかった。
 「ん? どうした、さすがに学年3位の折原でも、この問題は難しいか? うん、じゃあ座れ」
 幸い元々かなり難度の高い問題だったらしく、先生はさして不審に思うことなく、僕を席に戻してくれた。
 「それじゃあ……ほかに誰か、わかる人はいるかな?」
 先生の口ぶりには、「ま、いないだろうな~」というニュアンスが込められていたんだけど、その中でもひとり手を上げる生徒がいたんだ。
 「──はい、先生」
 「おっ、東雲、もしかしてコレが解けるのか!?」
 高梨先生が驚くのも無理はない。
 東雲さんは、運動神経は抜群だけど、勉学の成績の方はお世辞にも良いとは言えない、女の子に対してはどうかと思うけど「脳筋」という言い方がさほど的外れではないタイプの生徒のはずなんだ。
 「解ける、と思います」
 普段は先生の目を盗んで居眠りするか、せいぜいやる気がなさそうにノートを取ってるくらいの東雲さんが、こういう場面で積極的に手を上げたうえ、さらに黒板の前で難解な数式をサラサラと解いてみせるなんて……。
 「午後から雨、いや雪でも降るのでは!?」というのがクラスメイトの一致した感想だったろう。
 「ふむふむ……うん、正解だ。よく予習してあるな。感心かんしん」
 劣等生だと思っていた生徒の思わぬ進歩の跡を見れて、高梨先生は上機嫌だったけど、僕はそれどころじゃなかった。
 (どうしよう……わからない)
 東雲さんが黒板に書き連ねた数式の意味が、なぜか巧く理解できないんだ。
 (きっと寝不足で頭が回ってないせいだよね)
 そう無理やり自分を慰めてはみたものの……。

 数学だけじゃなかった。
 2時間目の理科も、3時間目の国語も、4時間目の社会科も、教科書に書かれていることや先生の説明の半分くらいしか理解できないんだ。
 「よぉ、折原、なんか調子悪そうだな」
 同じ小学校の出身で、クラスの中では比較的僕と親しい大鳳(おおとり)くんが昼休みにそんな風に声をかけてくれるくらいには、僕は顔面蒼白になっていたらしい。
 「あ、うん。その、ここ2、3日、なんだか寝つきが悪くって……」
 「お前、見るからに神経質(ナーバス)そうだからなぁ。男なら、あんまり、細かいことは気にせず、ドーンと構えてみろよ」
 「ハハッ、うん、まぁ、がんばってみるよ」
 力なく笑ってみせる。

 「すごーい、いつの間にそんなに頭よくなったのよ、市歌?」
 「ふふっ、たまたまよ、たまたま」
 「ねぇねぇ、次の英語の授業の宿題なんだけど……」
 「ああ、それはね……」
 「なぜか急に勉強ができるようになった」東雲さんを中心に女子が盛り上がっている光景から目を背けて、僕は重い腰を上げてパンを買いに学食へと歩き出すのだった。


壮健なる金曜日

 原因不明の学力低下は午後になっても直らず、その日の放課後、僕は初めて美術部の部活をサボった。
 こんなグチャグチャな気持ちのままスケッチブックに向かっても、まともな絵が描けるとは思えなかったしね。
 (家に帰ったら、落ち着いて1年生の頃の教科書を見てもう一度復習してみよう……)
 そう思っていたはずなのに、いざ帰宅して自分の部屋に戻ると、なぜか机に向かう気が起きず、大鳳くんから借りてたラノベを読んだり、1階の居間に降りて家族と一緒にテレビを見たりしてダラダラ過ごしてしまった。
 けど、そんな風にリラックスしたのがよかったのか、その晩は久しぶりにぐっすり眠って疲れをとることができたんだ。

 そして、翌日の金曜日。
 今日は朝の1時間目から体育がある、運痴な僕にとってはユウウツな日だ。
 いや、そのはずだったんだけど……。

 ──カキーン!

 「おぉ、スゴいじゃないか、折原。2打席連続ヒット、それも二塁打と三塁打なんて」
 体育の授業の軟式野球で、まさかの大活躍。
 打撃や走塁だけでなく、守備でも右中間を抜けるライナー性のヒットに飛びついてアウトにしたり、そこから素早く3塁に送球して2塁ランナーを刺したりと、自分でも信じられないくらい軽快に力強く身体が動いた。
 もちろん周囲の男子も驚いてたけど、大鳳くんや更科くん(去年からのクラスメイトで、趣味が合うから割とよく話すんだ)は、笑って褒めてくれた。
 おかげで、普段なら少しでも早く終われと思いながら受ける体育の授業を、思いがけず楽しい気分で過ごすことができた。
 (スポーツするのって意外に楽しいかも……)
 我ながら現金だとは思うけど、ここ2、3日、暗い気分過ごすことが多かっただけに、ちょっとしたことでも凄くうれしく感じられたんだ。

 けれど──そんな僕のウキウキ気分は、着替えて教室に帰ったところでたちまち霧散してしまった。
 僕ら男子とは分かれて別の先生に体育の授業を受けていたはずの女子のクラスメイトたちが先に教室に帰ってきていた。
 それ自体は(普通は女子の方が着替えが長いから)珍しいけど、有りえないわけじゃない。
 でも、なぜか何人かが東雲さんの(元は僕のもののはずの)席に群がり、その真ん中に、手首に包帯を巻き、おでこに絆創膏を貼った東雲さんがいたんだ。

 「東雲ぇ、大丈夫なの?」
 「あ、うん、保健室で湿布してもらったから、もう平気」
 「でも、運動神経抜群の市歌があんなドジするなんて珍しいね。バレー程じゃないけどバスケも得意なのに」
 「なんか、動きも鈍かったし……もしかして、あの日?」
 「そういうワケじゃないんだけど……」
 「あ、もう男子帰って来たみたい。じゃあ、東雲さん、ケガしてるんだから今日は無理しちゃダメよ!」

 (え、あの東雲さんがパスを受け取り損ねてまともに顔面でボールを受けた!? しかも、それくらいで手首を痛めて捻挫??)

 その時、僕の心の中に荒唐無稽な疑念が浮かんできたんだ。
 (──まさか! そんなバカなことあるわけないよ)
 そう、そんなコトがあるはずがないんだ。
 「僕と東雲さんの身体能力というか運動神経が交換された」なんて非常識なことが。


仕着せの土曜日

 その日の夜、奇妙な夢を見た……気がする。

 ──ねぇ、どうしてこんなコトを?
 「わからないの?」
 それは……。
 「ふぅん、答えられないんだ。だったら続けるしかないよね」
 続けるって……いったい何をする気?
 「もちろん、アンタに実感してもらうのよ。アタシの──“ガサツで可愛くない体育会系女子”の立場と気持ちを」
 !!

 * * * 

 「……それはっ!?」
 翌朝目が覚めた時、僕はベッドの上にガバッと半身を起こして何かを言おうとしていた。
 してたんだけど……言いかけた言葉は目が覚めると同時に脳裏からスルリとこぼれ落ちてしまった。
 「はぁ、はぁ……何だったんだろ?」
 何か不思議な夢を見たような気がするんだけど。
 「まぁ、くよくよしてても仕方ないよね。そろそろ起きなきゃ」
 「花柄模様のベッドカバー」のかかった布団から出て、「オレンジ色のナイティ」──太腿の半ばくらいまでの長さの上着(チュニック)の下にふくらはぎまでの七分丈ズボンを着た格好のまま、軽く伸びをする。
 「ん~、ヘンな夢を見たけど、身体は快調かな。あ、でも、寝汗でベトベト……シャワー浴びなくちゃ」
 「ロココっぽい装飾のある(もちろん本物じゃないけど)クリーム色の洋服ダンス」から、替えの下着──「シンプルなサーモンピンクのショーツとハーフトップブラ」を取り出して、お風呂場に向かう。

 「お母さん、ちょっと寝汗かいたから、シャワー浴びるね」
 「そう。でもそろそろ、ご飯ができるから、なるべく早くしなさい」
 「はーい」
 台所で朝食の支度をしている母さんとそんなやり取りしてから、脱衣場に入り、ナイティを脱ごう──として、はたと気づいた。
 「え!? なんで、こんな格好してんの?」
 鏡の中には、どこかで見たような女の子……じゃなく、女物の寝間着を着た、自分の姿が映っている。
 元々あまり体格のいい方じゃないのと、いつの間にか襟が完全に隠れるくらいの長さに髪が伸びているせいで「ショートカットのボーイッシュな女の子」に見えないこともないけど……。
 「ね、寝てる間に、悪戯で誰かにこんな寝間着に着替えさせられたのかな?」
 念のため、昨晩寝る前のことを思い出してみる。
 (えーと、昨日は……急ぎの宿題とかなかったから10時までテレビ見てて、それからお風呂に入って、ダッツのアイス食べたあと、ベッドの上でマンガ読んでて……11時半過ぎに眠くなってそのまま寝ちゃったんだっけ)
 風呂から出た時に、寝間着に着替えたはずで……。
 「その時、このお気に入りのナイティに着替えたんだから──うん、何も問題はない……わけないじゃない!」
 絶対におかしい。
 そもそも、僕は普段、家ではTシャツとショートパンツを部屋着にしてて、寝るときもその格好で布団に入ってた──はずだ。なぜか、その辺りの記憶があやふやであまり自信はないけど。

 「ともきーー、何騒いでるの? シャワー浴びるならさっさとしなさい」
 「! は、はーい」
 母さんから、そんな風に急かされたので、とりあえずパパッと寝間着を脱いで風呂場に飛び込む。
 「良かった……ちゃんと“ある”」
 下着まで女物だったから、もしやと危惧してたんだけど、裸になってみると股間(ソコ)にキチンと長年の“相棒”が鎮座ましましていてくれたのは不幸中の幸いと言うべきか。
 ただ、風呂場の鏡に映る自分は、髪の毛が幾分長くなっただけじゃなく、肌の色もなんだか白くなってるような気がする──まぁ、元々インドア派だから、そんなに日焼けはしてなかったんだけど。
 「オッパイは──うん、全然ないな」
 シャワーを浴びながらペタペタと自分の胸に触ってみたところ、こちらは特にいつもと変わりなく真っ平らなままだった──腹立たしいことに。 
 (中学2年生になったんだし、そろそろちょっとくらいは膨らんできても……って、なんでだよ!)
 下手な小学生以下の、貧乳を通り越して無乳なことに、落胆を覚え……かけて、慌ててブンブンッと首を振る。
 (しっかりしろ! 何歳になったって、僕の胸が膨らむはずがないじゃないか)
 「だいたい、私は女の子なのよ……って、えっ!?」
 自分では「僕は男の子なんだから」って言ったつもりなのに、なぜか口からはそんな言葉が飛び出していた。
 「私(僕)は……女の子(男の子)、だよね?」
 何度か試してみても、やはりそうなってしまう。思った通りの言葉が口に出せないというのは地味に恐ろしく、背筋に震えがくる。

──ガチャ!
 「ともき、いつまでもグズグスしてると遅刻するわよ。制服もここに置いておくから、早く上がってご飯食べなさい!!」
 けれど、ちょうどその時、風呂場の向こうの脱衣場に母さんが入って来て、声をかけてくれたので、何とか立ち直ることができた。
 「あ、うん、わかったー」
 とりあえず考えるのはあとにしよう。
 手早くシャワーを浴びて汗を流し、タオルで身体を丁寧に拭いてから、脱衣籠に用意された(というか自分で持ってきた)ショーツとブラを手に取る。
 心の戸惑いとは別に身体は自然に動き、形状的にブリーフと大差ないショーツはともかく、これまで一度も着たことも手にしたことすらないはずのブラジャーも、ごく自然に身に着けることができた。
 綺麗にアイロン掛けされた制服のブラウスを羽織り、男物とは逆についたボタンも手間取ることなく上からはめていく。ネクタイとは異なるリボンタイの結び方も指が覚えているようだ。
 ワインレッドのフレアスカートと学校指定の白いスクールハイソックスを履き、スカートと同じ色の上着(ボレロ)を着れば、少なくとも見かけだけは立派に私立咲良学院に通う“女生徒”ができあがった。
 (こんなの、おかしい、はずなのに……)
 鏡に映る自分の姿を見て、僕は困惑する。
 違和感があるからじゃない──逆に違和感がなさ過ぎるのが問題だった。
 女装、それも女子の制服を着るなんて、生まれて初めての経験のはずなのに、なぜか鏡の中の姿を当たり前のように感じてしまうんだ。

 そして、それは自分だけの話じゃなかった。

 リビングにいた母さんも父さんも、女子の制服を着た僕の姿を見ても何も言わなかった。通学カバンを手に玄関から出た時、偶然顔を合わせた隣家のオバさんもそうだ。
 学校に着いても、クラスメイトのみんなも、女装してる僕を見ても囃子立てたりしない──それどころか、周囲は皆、僕のことをナチュラルに女子生徒として扱ってるみたいだった。
 そのおかげか、最近僕を敵視していたはずの山田さんや有方さん(どちらも東雲さんと親しい女子生徒だ)達の態度が、普通の反応に戻ったのは有り難かったけど、逆に大鳳くんや更科くんとは微妙に距離が空いちゃった気がする。

 そして、問題の東雲さんだけど……。
 東雲さん──昨日までは“東雲市歌”という女生徒だったはずの存在は、当たり前のように男子制服のブレザーを着て、教室の一番前の席に座っていた。
 クラスの男子とも、ごく自然に「男子中学生らしく」会話をしてる。
 「(ニヤッ)」
 ほんの一瞬だけこちらの方を見て、東雲さん(それとも東雲くん?)が笑ったような気がした。それも、「明るく笑いかけた」とかじゃなくて、「馬鹿にしたように嘲笑う」って感じで。

 (嗚呼、やっぱり……)
 それを見た時、僕は確信したんだ。
 この奇妙な現象には、間違いなく彼女(彼?)が関わっているのだと。


 * * * 

 その日は土曜日だから授業は午前中で終わりだったけど、午後からの半休をとても素直に喜べるような心境じゃなかった。
 心ここにあらずという状況なのが自分でもわかるけど、頭でわかっていてもこればかりは、どうにもならない。

 「なぁ、なんか調子悪そうだけど、大丈夫か?」
 そんな僕のことを心配して、わざわざ声をかけてくれる大鳳くんは、とてもいい人なんだなと思う。
 「今日は部活休みなんだろ? 更科と駅前のカカロットシティに行くつもりなんだけど、よかったら気分転換に折原もどうだ?」
 「えっと……」
 本当は家に帰ってじっくり考えたかったけど、こんな状態で帰ったら、母さんたちを心配させるかもしれない。それなら……。
 「うん、ありがと。じゃあ、私もご一緒するね(僕も一緒に行くよ)」
 口から出る言葉が自動的に女の子っぽいものに変換されるのは、この半日でもうあきらめた。
 「おりょりょ、鈴太郎くぅ~ん、もしかして俺ってばお邪魔かな?」
 更科くんがニヤニヤしながら大鳳くんの肩に手を回して何かを囁いている。
 「ば、バカ、そんなんじゃないって、寛治。俺は、ただ小学校時代からの友人としてだな……」
 「HAHAHA! わかってるって、イッツ・ジョーク、イタリアン・ジョークあるネ!」
 そんな他愛もない彼らのやりとりを見てると、沈んでいた僕の気持ちも「クスッ」と笑うくらいの余裕は取り戻せたんだ。

 その日の午後は、ホントに楽しかった。
 ファーストフード店でランチを摂ってから、ゲームセンターで対戦ゲームやメダルゲームに興じて、そのあとはCD&DVDショップで試聴したり、大画面で流れる映画のPVを見ながらあーだこーだ言ってみたり……。
 たぶん、大半の中学生にとっては、ごくありふれた日常なんだと思う。
 それでも、親しい友達が数えるほどしてかいない僕は、放課後こんな風に誰かと遊びに行くなんてことは殆どなかったから、とても新鮮てせワクワクする時間を過ごせたんだ。
 たぶん、大鳳くんと更科くんのふたりが気を使ってくれてたおかげってのもあるんだろうけど、それでも、ここ数日で久しぶりに嫌なことを忘れてリラックスできたんだ。

 けれど、5時ごろふたりと別れて家に帰ると、僕は嫌でも今の“現実”を認識させられることになった。
 「ともき! 連絡も寄越さずにどこ行ってたのよ!」
 まずはいきなり母さんから叱られてしまう。
 (え、なんで? まだこんな時間だよ!?)
 確かに僕は土曜日は家に帰ってお昼を食べることが多いけど、外食したり寄り道したりすることもたまにはあったし、これまでは別に何も言われなかったのに……。
 母さんのお小言の内容を聞く限り、どうやら僕が「女の子」だから、そのあたりの基準が厳しくなってるみたい。
 「ごめんなさい、お母さん(ごめん、母さん)」
 内心「今どきはウチのクラスの女子だって6時ごろまでは平気で遊んでるけど」と思いつつも、反論すると自分がその“女子”の範疇であることを認めるみたいな気がしたから、僕は素直に謝った。

 せっかくの楽しい気分に水を差されたような心境で、自分の部屋に戻った僕は──だけど、そこでもあまり楽しくない“現実”を突き付けられることになる。
 今朝は急いでたから気づかなかったけど、ベッドカバーやタンスに加えて、壁紙やカーテンも、昨日までの僕の部屋とは全然違っていて、なんだか落ち着かない。
 制服を脱いで着替えようと思っても、洋服ダンスの中には(予想はしてたけど)女の子向けの服しか入ってないし。
 それでも、何とか無難にシンプルなトレーナーとジーンズを捜し出して着替えられたから、ようやくひと心地ついたかと思ったんだけど……。
 「あ、あれ? 本棚の中身が全然違う」
 本棚そのものは昨日までと同じ木目調のシンプルなデザインの代物だったけど、並べられているのは、『華と梅』や『マルガリータ』といった少女マンガ系コミックが7割で、『ウラン文庫』なんかの少女小説系が2割。
 残る1割はティーンの女の子向けの雑誌類で、参考書なんかの類いはどこにもなかった。
 「もしかして、これが東雲さんの本棚の傾向なの?」
 勉強が苦手そうな東雲さんらしいって言えば言えるけど──いや、今はそれが僕のものになってることが問題だよね。
 ほかにも部屋の中を色々探ってみたんだけど、ゲーム機は携帯用の3BSだけで、ソフトも4、5本しか見つからない。
 ケータイがjPhoneなのは変わってないけど、ダウンロードされてるアプリは女の子が喜びそうな恋愛系ゲームばっかりだ。
 (困ったなぁ、これじゃあ、暇がつぶせそうにないや……)
 「仕方ない。宿題でもやろっと」
 皮肉なことに、気を取られる娯楽になりそうなモノがないおかげか、忘れかけていた「学校の宿題をする」という選択肢が僕の脳裏に浮かんできたので、悪銭苦闘しつつプリントの空欄を埋める作業に専念する。

 「──で、できた!」
 普段なら軽く1時間程度で終わる量なのに、晩ご飯を食べたあともしばらく終わらず、結局宿題は夜10時くらいまでかかってしまった。
 「ともきーー、お風呂入りなさい!」
 「はーい」
 タイミングよく、階下から母さんが声をかけてきたので、僕は替えの下着とパジャマを持って、お風呂場に急いだ。
 「はぁ、気持ちい~」
 いつもはカラスの行水で済ますんだけど、今日は色々あって精神的に疲れてるせいか、湯船につかるのが妙に心地よく感じる。おかげで、次に入る番の母さんに急かされるまで、お風呂でのんびりしちゃった。

 で、お風呂から上がったあとは、アイス食べて居間でテレビ見てたら、あっと言う間に寝る時間になったので、そのまま歯を磨いて寝る準備をする。
 (ふぅ……このまま寝たら、また何かが変化してるのかな?)
 これまでの数日間の状況から考えると、その線が濃厚だろう。
 (でも──どうしたらいいかわかんないし、仕方ないよね)
 どの道、「寝ない」という選択肢はない。もしかしたら睡眠ではなく、日付が変わることを契機に「変化」が起こるという可能性もある以上、仮に徹夜しても無駄骨に終わるかもしれないからね。
 東雲さんがアヤしいとは言え、まさかこかんな時間に押しかけて行って問い詰めるわけにもいかないし。

 (それに……なんだか、すごく眠い、んだ……)
 精神的なアップダウンに翻弄されたのに加えて、昼間、大鳳くんたちとはしゃいだ反動か、どうにも睡魔の誘いに抗えない。
 結局、僕は、ベッドに入ってすぐに、思い悩む間もなく眠りに落ちていくことになったんだ。

つづく
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