『次期当主はメイドさん!?』中編

つづいて「当主メイド」の中編をば。
※2012/10/18 皐月紫龍さんによる挿絵追加


『次期当主はメイドさん!?』中編

3.はじめてのめいど

 紫のメイド服を着た葵は、廊下を歩きながら窓に映る自分の身体をチラチラと見ていた。
 (うーーん、なんて言ったらいいか……)
 似合っている。それを着ているのが高校2年生の少年だとは思えないくらいに。
 中学生くらいまでならともかく、高校生ともなれば男性は少なからず、いかつく筋肉質になり、手足が筋ばってくるものだ。
 無論、遺伝や運動その他の諸条件で多少の個人差はあるだろう。実際、葵とて一族の中ではあまり得手ではない方だとは言え、まがりなりにも桐生剣術の基礎くらいは修め、毎日素振りなどもしているのだ。
 普段、学ランなどを着ている時は、多少小柄ではあるが普通の少年に見えるし、裸になれば、その細い身体が、バランスよく鍛えられたしなやかな筋肉で覆われていることがわかるだろう。
 ところが、今のように身体の大半を覆う衣服、それも女物を着てしまうと、優しい印象の整った小顔と、華奢な体つきのために、完全に女の子に見えてしまうのだ。
 自分でも多少自覚はあったので、中学の頃から文化祭などで女装させられそうなイベントなどは巧みに回避してきた葵だったのだが……。
 (なんでだろう。ユカねぇの服を着ることにはあんまり嫌悪感がないんだよねー)
 さすがに自分から進んで着たいとは思わないが、自室で紫が着せてくるのには殆ど抵抗しなかったし、今もそれほど違和感はない。
 ひとつには、小さい頃から慕っている姉代わりの女性の着衣だから、というのはあるかもしれない。
 こうやって紫のタンスから取り出した彼女の下着を身に着け、昨日まで彼女が着ていたはずのメイド服をまとっていると、何だか優しい彼女の腕の中に抱きしめられているような、奇妙な安心感があるのだ。
 (それに……女性の服って、肌触りとか着心地がいいんだよね)
 幼い頃の遠い記憶が甦る。当時、紫の家で彼女のお古を着せられた時は、周囲の人がみんな「可愛い可愛い」と褒めてくれた。
 「そうしてると、紫ちゃんと葵ちゃん、まるで姉妹みたいね」と言われてうれしかった。
 (たぶん、僕は……ユカねえの「弟分」じゃなく「妹」になりたかったんだ)
 あるいは、紫の分身に──紫みたいな素敵な人に。
 そして、紫の服を着ている時だけは、その願いが叶うような気がしていた。
 けれど、大きくなるにつれ、それは単なる幻想に過ぎないと知り、その時から、葵は「紫の妹」であろうすることを諦めたのだ。
 「その願いが……まさか、こんな形で叶うなんてね」
 元に戻るまで、葵は自分達以外のすべての人に「六道紫」として扱われるのだ。
 いや、自分と本物の紫でさえ、人目がある時は、それぞれ今の「立場」にふさわしい言動をせねばならないだろう。
 それは、必ずしも容易ではないが、今の葵にとっては、単に「次期当主」の責務から解放されたという以上にワクワクするような状況だった。

 そうこうしているうちに、台所の前まで着た。
 なんとなくカチューシャの位置やエプロンのリボンを確認してから、意を決して葵は台所の扉を開けた。
 「お、おはようございまーーす!」
 途端に朝の厨房特有の熱気と食物の匂いが鼻をくすぐる。
 「あら、紫さん、今朝は珍しく遅かったわね」
 コンロの前で味噌汁の味見をしてたと思しき30歳くらいの女性──メイド長の牧島晴香が、ちょっとだけ驚いたような声を投げかけてくる。
 「す、すみません。目覚ましを止めてしまったみたいで……」
 あらかじめ考えておいた言い訳をする。
 「あらあら……たしかに春眠暁を覚えない時季だしね。あ、でも紫さんの場合は、遅くまでお勉強してたからかな?」
 穏やかな気性のメイド長は別段怒ってはいないようだ。
 そもそも、この朝餉の支度の手伝いは、紫が自主的にやってることなのだから、2、3日サボっても差し支えはないだろう。
 それでも、律儀に代理として葵を寄越す紫も紫なら、それに従う葵も葵、似た者同士の生真面目さんなのだろう。
 もっとも、目の前のメイド長には、今の葵は「紫」に見えているワケだが。

 「ええっと、今からだと何をお手伝いしましょうか?」
 紫の格好をした葵(ややこしいので、以下「ゆかり」と表記する)は、テーブルを見渡したが、すでにほとんどの料理は出来上がっているようだ。
 「うーん、あとは焼き魚だけだけど、それも焼き上がるのを待つだけだから……あ、お漬物を切っておいてくれる?」
 「はい、わかりました」
 味付けその他の難度の高い作業を任せられなかったことに「ゆかり」はホッとした。
 こう見えても(いや、見かけ通りという説もあるが)家庭科の成績は優秀なのだ。
 沢庵やキュウリ、茄子の漬物を切って盛りつけるくらいならわけない。
 流しのそばの調理台にまな板を置き、鼻歌混じりに包丁を使う「ゆかり」。
 1分と立たずに、皿には色鮮やかな漬物が盛り付けられていた。
 ──が、それをビックリしたような目で見るメイド長。
 「紫さん、腕を上げたわね。いつもは、いちいち確認しながらゆっくり丁寧に切り分けてるから結構時間かかるのに」
 「! あ、あはは……練習、したんですよ、これでも」
 忘れていた。紫の数少ない欠点……と言うか不得意なジャンルが料理だったのだ。
 無論、あの優等生で努力家の紫のことなので、料理が全然出来ないとか激マズな代物が出来上がる──ということはない。正確には、この屋敷に来た当初はそれに近かったのを、根性で克服したのだが。
 とは言え、掃除や洗濯、裁縫などに比べて、不得手な分野であることには変わらず、未だなみならぬ苦労しているようだ。あるいは、朝食の支度を手伝っているのも、その練習のつもりなのかもしれない。
 対して、手先の器用な葵の方は先ほども言った通り、家庭科や図画工作は得意とするところ。
 さらに、剣士としても、標準的な打ち刀を振るう紫に比べて、葵は小太刀や懐剣などの短めの得物を使う方に適性がある。包丁程度の刃物であれば、それこそ己が手の延長のように自在に操ることが可能だ。
 その気になれば、キャベツ丸一個の千切りを30秒フラットで終えられるという、あまり意味のない特技も持っているくらいだ。
 「まぁ、紫さんは、相変わらず頑張り屋ねぇ」
 一瞬ヒヤっとしたが、幸い普段の紫の性格から、怪しまれることはなかったようだ。
 「ん、お魚も焼けたわね。さ、お盆に並べて、旦那様達のおられる居間まで、運びましょ」
 「はい、わかりました」
 (あぶないあぶない……ユカ姉の普段の行動を詳しく思い浮かべて、それをなぞるようにしないと)
 内心、冷や汗をかきながらも、メイド長の指示に従い、配膳の準備をしていく「ゆかり」なのだった。

 食器を満載したお盆を両手で持ち、メイド長の晴香のあとに続く。
 ちなみに、「メイド長」という大層な肩書がついているものの、この屋敷に常勤するメイドは彼女以外にふたりしかいない。あとは、臨時アルバイトが水金と火木、土日にそれぞれひとりいる程度だ。
 紫は、まだ学生との二足の草鞋だし、葵直属ということもあって、厳密にいえば晴香の指揮系統には所属していない。
 もっとも、調理・清掃・裁縫といったメイドに必要な家事技能もさることながら、仕える相手を思いやり、快適な生活をサポートするという点において、先代メイド長である母の薫陶を受けた晴香は、非常に有能だった。
 その流れるような挙措と言い、的確に主の意を汲んで動くタイミングと言い、メイドとして見習うべき部分は多々ある。
 (……って、まじめなユカねえなら、考えるだろうな)
 実際、今まで給仕される側だったから気付かなかったが、紫の立場に立てば見えてくるものは色々あった。「ゆかり」としても、それだけでこの入れ替わりは実行してよかったと思う。
 また、前から思っていたように、やはり自分は人から指示されて動くなら、それなりに器用な働きを見せられるようだ。
 (何せ、これまで見てただけのメイドさんの業務を、それなりにしっかりこなせてるもんなぁ)
 いくら常日頃「見ていた」とは言え、また、彼が家庭科方面に秀でているとは言え、ぶっつけ本番に近い紫の代役を、こうもスムーズに果たせているのだ。やはり人間、適性というものはあるのかもしれない。
 ──もっとも、実は、そればかりが理由ではないのだが、幸か不幸か「ゆかり」はそのことに気付かなかった。

 座敷に入り、晴香と手分けして料理を卓上に並べ終えたちょうどその時、「あおい」──葵の格好をした紫が、部屋に入って来た。
 「おはようございます、葵様」「……ございます、「あおい」様」
 傍らの晴香に一拍遅れて「ゆかり」も頭を下げて挨拶する。
 「おはようご……おはよう、晴香さん、「ゆか姉」」
 どうやら「あおい」の方も、何とか間違えなかったようだ。
 チラッと「ゆかり」が目配せすると、「あおい」も小さく頷いた。
 程なく、この家の当主である葵の父、桐生院馨が姿を見せた。
 「「おはようございます、旦那様!」」
 今度は晴香と声を揃えて挨拶することが出来た。
 それにしても、自分の父親に対して「旦那様」と呼びかけるのは、何だか奇妙な気分だった。
 もっとも、今の彼は「ゆかり」なのだからコレが自然だし、考えようによっては、あの厳格な父を悪戯(ペテン)にかけているようなモノだから、これはこれで面白いかもしれない。
 今朝は紫が給仕をする当番のようだが、その程度なら普段の見よう見真似でもなんら問題はない。
 「ゆかり」はメイド服のスカートの裾さばきに気づかいつつ、楚々とした動作で馨と「あおい」への給仕を済ませた。
 朝の食卓は、いつも通りほとんど会話らしい会話無しで進んだ。重苦しい沈黙、というわけではなかったが、当主の馨が食事中の会話をあまり好まないので、こればかりは仕方がない。
 もっとも、ここに葵の母にして馨の妻たる夕霧がいれば、まったく様相は異なったのだろうが……。
 いかにも淑やかな大和撫子風な外観に似合わず、夕霧は気さくで話好きなタチだった。彼女がそこにいて笑うだけで、この厳格な屋敷の空気も、随分と明るく華やいだものに変わったものだ。
 「──紫くん?」
 馨に呼びかけられて、一瞬追憶に入りかけていた「ゆかり」は自分を取り戻した。
 「へ!? あ……何でございましょうか、旦那様?」
 かろうじて、「メイドのゆかり」らしい態度を保持する。
 「いや、そんなに畏まらないでくれたまえ。以下の話は、「葵付きの侍女」としてではなく、「我が姪にして葵の従姉」たる君への話だと思って聞いてくれ」
 意外な馨の言葉に、「ゆかり」のみならず「あおい」もまた、驚きに軽く目をみはる。
 しかし、その後に告げられた彼の言葉はさらにふたりに当惑をもたらすものだった。

 朝食後ふたりを執務室へ招き、楽にするように言うと、馨は話を続けた。
 「実は、夕霧の容体がだいぶ安定してきてな。今すぐというワケではないが、ひと月後くらいに退院して、自宅療養に切り替えて様子を見ることになる」
 桐生院家当主たる馨のその言葉は、その場にいる誰にとっても朗報であり、緊張していた「ゆかり」と「あおい」は、ホッと胸を撫で下ろした。
 「お…おばさまが!? それはおめでとうございます」
 かろうじて「お母さん」と言うのを堪えた「ゆかり」こと葵が、晴れやかな笑顔を見せる。
 「よかった。長かったね、お…父さん」
 こちらも「おじさま」と呼ぶのを間一髪言い直す「あおい」こと紫。
 「うむ。アレがいない間、おまえたちにも色々苦労をかけたな。とくに、葵」
 普段の「厳格な当主」としての顔ではなく、珍しく「我が子を慈しむ父親」の表情になって、息子(に見える紫)に馨は声をかけた。
 「? 何でしょう?」
 「昨日、その件でアイツに怒られたよ」
 「「!」」
 夕霧の体調がよいこともあって家族の近況報告などをしていた際、自分の仕事の一部を葵に「当主見習い」として代行させていると言ったところ、こっぴどく叱られたらしい。
 いわく、「子供は勉学と遊ぶことが仕事」、「そもそも、カヲルさんだって当主の仕事を始めたのは大学時代の、しかも成人後」、さらに「息子の体調不良に気づけないようでは父親失格」。
 「いちいちもっともで耳が痛かったぞ」
 苦笑しつつも嬉しそうなのは(別に罵られるのが好きなマゾだからではなく)、妻とのコミュニケーションを十分に行うことができたからだろう、たぶん。
 「そういうワケで葵、今預けている仕事はともかく、今後新しく仕事を預けることは──少なくとも高校在学中はしないでおこうと思うが、どうだ?」
 そう問われた「あおい」(=紫)は、素早く頭を回転させる。
 「そうですね。仕事を減らしていただくという点については、正直ありがたいです。
 ですが、我がままを承知で言えば、重要度の低い仕事を今の半分程度任せていただけるなら、半人前のボクでも何とかなります」
 傍らで聞いている「ゆかり」(=葵)などは「えっ!?」と思ったのだが、何か考えがあるのだろうと、この場は自分を演じる従姉に任せる。
 「ほぅ……いいのか?」
 「はい。その代わりと言ってはナンですが、正式にゆか姉──紫サンをボクの秘書兼相談役として任命してもらえませんか?」
 「──なるほど、独力では無理でも二人三脚ならば、と言うワケだな。ふむ。ワシとて、金勘定の面では弟の輝の助けを借りているわけだし、信頼できる腹心を持つのも、当主の度量か。
 どの道、紫くんに関しては、卒業したらそれに近い立場になってもらうつもだったのだから、少し早まるくらいはいいだろう。それと……」
 謹厳実直な馨にしては珍しく、いたずらっぽい光が目で踊っている。
 「これは、夕霧や輝夫婦とは内々に話し合っていたことなのだが……紫くん、君は葵のことをどう、思っているのかね?」
 あまりに直球な質問に、顔にちょっと困ったような表情を浮かべつつ、内心では「ちょっと」どころではないパニックに陥る「ゆかり」。
 「えぇっ!? そ、それは……そうですね。従弟であり、もっとも親しい幼馴染であり、大切な弟、というトコロでしょうか」
 立場を入れ替えていることもあり、とりあえず無難なコトしか言えない。
 当然、その程度の答えでは、当主は満足しなかった。
 「ふむ……では、葵、お前の方はどうなんだ?」
 「ゆかり」としては、「あおい」の方も、当然、それに類する無難な返事をすると思っていたのだが……。
 「──幼馴染のイトコ、というのはもちろんですけど、それ以上に、守りたい、そして共に歩んでいきたい、大事な人です」
 その言葉は、明確にそれ以上の関係──恋人、いやむしろ「伴侶」という関係を視野に入れたモノだった。
 「ほほぅ、言うではないか!」
 息子(実は、姪っ子)の漢らしい物言いに、ニヤリと笑う馨。
 「紫くん、葵はこう言ってるが、キミの気持ちはどうなのかね?」
 「あの、その……こ、光栄です」(ポッ)
 今なら、仮に例の認識変換が行われていなかったとしても頬を染めて恥じらう葵の姿は「女の子らしく」可憐に見えたことだろう。
 「はははっ! うむ、ふたりとも両想いなら、問題ないだろう。実は、盆で一族が集まる際に、紫くんを正式に葵の許婚とすることを発表しようと思っているのだ」

 上機嫌な馨とさらに2、3言葉を交わしてから、ふたりは執務室を出て、葵の私室へと戻って来た。
 「ふぃ~、やっぱり緊張したわね」
 さすがの学園一の才媛も、やはり一族当主の迫力の前では、少なからずプレッシャーを感じるらしい。無論、「今のふたりの状態」も関係しているのだろうが。
 「そりゃ、ね。でも、ユカねぇ、あんなコト言って良かったの?」
 「あら、アオイちゃんは、わたしと結婚するのは嫌なのかな?」
 「そんなワケないよ! 僕にとってはユカねぇは憧れだし……。でもユカねぇなら、桐生院家を出て行っても自由に生きられるし、僕よりもっといい男性(ひと)だって見つか……ムグッ!」
 言い募る「ゆかり」の唇を、「あおい」が自らの唇で塞ぐ。
 そのまま長い口づけを交わすふたり。
 いつの間にか、「ゆかり」が「あおい」の胸にすがるような格好になっている。着ている服もさることながら、「あおい」に「ゆかり」が抱きしめられていることもあって、まるで本当に「男」と「女」のように見えた。
 ようやく、ふたりの唇が離れた時、思いがけないキスに頬を染め、目を潤ませている「ゆかり」の瞳を、「あおい」が覗き込んだ。
 「馬鹿。そのつもりがあるなら、2年前にこの家で学生兼業メイドになろうなんて思うはずないじゃない。言ったでしょ、「守りたい、そして共に歩んでいきたい、大事な人」だって」
 「! ありがとう……すごく、うれしい……」
 よりいっそう真っ赤になりつつ、それでも素直にそう答える「ゆかり」を見つめながら、「あおい」はニヤッと人の悪い笑みを浮かべる。
 「──そう言えば、小さいころのアオイちゃんの口癖は、「ぼく、ゆかおねーちゃんのおよめさんになる」だもんね♪」
 「はぅわッ!」
 それは葵にとって、遠い日の思い出したくない記憶のひとつ、いわゆる黒歴史というヤツだ。
 当時は、「けっこんする」と言うことの意味もよくわかってはおらず、ただ、好きな人と「けっこん」するには「およめさん」になればいいのだ、程度の知識しかなかったため、そんな言葉を漏らしてしまったのだ。
 「……お、お願いだから、忘れて、ユカねぇ」
 「だ~め。それに、今の状態なら、ソッチの方が自然でしょ、「ゆか姉」?」
 都合良く、この立場入れ替わり状態をネタに「あおい」にからかわれる「ゆかり」なのだった。

 「ところで、どうするの、コレ?」
 「ゆかり」の立場になっている葵は自らが着ているメイド服をつまんで、紫──「あおい」に改めて聞いてみた。
 「今晩、もう一回、アレを使って元に戻る?」
 「今晩は無理ね。あの鳥魚相換図って、一度使ったら最低でも中一日は空けないと使えないらしいから。たぶん、魔力だか霊力だかが溜まるのに時間がかかるんじゃない?」
 「ああ、そう言えばそんな注意書きもあったね。でも、24時間なら昨日より少し遅めに寝ればいいんじゃないの?」
 「その時間の計算が、「使用者が朝目覚めた時」からのカウントだったら? 溜まりかけた力を無駄に浪費するだけだったら意味ないでしょ。それに……」
 ふと真面目な顔になって「ゆかり」の肩に両手を置く「あおい」。
 「さっき、叔父様とああいう話になったけど、アオイちゃんも精神的にはまだ疲れてるんでしょ。明日までこのまま、わたしが残りのお仕事を処理してあげるから、アオイちゃんは「ゆかり」としてのんびりして頂戴。
 今朝も言ったけど、「ゆかり」の仕事の方は今日の5時までで、明日はお休みだから」
 「えーっ、そんなぁ……ユカねぇに悪いよ。明後日からは学校あるのに」
 精神的ストレスが主体の葵と異なり、メイドと女子高生を兼任している紫は身体を休める時間が必要なはずだ。
 「いいからいいから。弟分のピンチを救えないなんておねーちゃん失格でしょ。それに、実際問題として、さっき叔父様にああいうタンカ切った以上、「あおい」が真面目に仕事に励んでみせないと不自然だし」
 正論と感情論を交えて説得されては、押しの弱い葵に抗するすべはない。不承不承うなずく。
 「……わかった。今回は、ユカねぇにお願いする」
 「アハハ……もぅ、そんな顔しない。
 ──じゃあ、これからボクは部屋に籠るから、「ゆか姉」はメイドのお仕事、頑張ってね」
 部屋のドアから送り出しつつ、「ゆかり」のほっぺにチュッと軽くキスする「あおい」。

 許婚のそんな愛情表現に、つい舞い上がってしまった「ゆかり」は、ボーッとしたままフラフラと歩き出し、気が付けば紫の部屋のベッドに腰かけていた。
 「あれ、いつの間に……」
 そう思いながら立ち上がる。
 ふと傍らの姿見を覗き込むと、そこには幸せそうに顔を上気させた「メイド娘」が映っていた。
 「や、やだ……あおい様にキスされたって、わかっちゃうかな?」
 とくにキスマークなどがついてるワケでもなかったが、このまま台所に行ったら晴香さんあたりには見透かされそうな気がする。
 自分の気を落ち着ける意味も込めて、「ゆかり」は鏡に向かって髪と服装を整え、軽くリップを引く。
 「……これでよし、っと」
 時計を見ると早くも10時半を回っている。そろそろ昼食の手伝いをしに台所に行ったほうがいいだろう。
 パタパタと忙しく「自室」を出て台所に向かう「ゆかり」は、だから気づいていなかった。

 自分が、ごく自然に「あおい」のことを「あおい様」と呼んでいたことを。
 とくに気負うでもなく、ごく自然に「女の子としてのみだしなみ」を整えていたことを。
 そして──詳しく教えられたワケでもない今日の紫の予定が頭に入っていたことに。

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4.適材適所

 その後のゆかりの働きぶりは、いつもにもまして勤勉で素晴らしいものだった。
 「自室」を出て、最初に向かった台所では昼食の用意の手伝いをする。と言っても、野菜の皮むきなどの下拵えが主なのだが、朝以上に巧みな包丁さばきにメイド長が感心したくらいだ。
 昼食の配膳と給仕も「メイドとして」完璧にこなしてみせる。
 あおい達の食事が終わってから厨房で昼食をとり、ひと息入れたのち庭の花壇に水を撒き、雑草を抜いて手入れする。
 そのあとは進んで風呂場の掃除を引き受ける。
 ストッキングを脱ぎ、メイド服の袖を肘までめくりあげて、柄付きブラシで桐生院家の大浴場を丁寧に掃除する様は、誰が見ても「生粋のメイドさん」だったろう。

 「ふぅ……あ、そろそろ、あおい様にお茶を持って行って差し上げないと!」
 風呂掃除が終わっても、休む暇もなく、本来の「主」の世話に戻る。
 傍から見ていると忙しくて大変だろうと思えるのだが、本人はこういう「家の中のお仕事」が好きらしく、あまり苦にならないらしい。
 優れたメイドの必須技能である「美味しい紅茶」を淹れ、ティーポットとクッキー、そしてふカップをふたつ銀色のトレイに載せる。そのトレイを手に、ゆかりは「自室」で仕事をしているだろうあおいの元に向かい、扉をノックした。
 「どうぞ~」
 中から許可があったのを確認してから、ゆかりは扉を開いた。
 「失礼します」
 トレイを提げ持ちつつ、軽く会釈して葵の部屋に入る。

yukari
【イラスト:皐月紫龍】

 「あおい様、あまり根を詰めないほうがよろしいか、と。そろそろご休憩なされてはどうですか?」
 ゆかりの言葉に、ようやくあおいは机から顔を上げ、振り向いた。
 「──そうだね。ちょっと休憩しちゃおうかな。よかったら、一緒に雑談につきあってよ」
 あおいの言葉にニッコリ微笑むゆかり。
 「はい、ありがとうございます♪ 実は、そう言っていただけると思ってました」
 カップをふたつ持って来たのは、それが理由である。
 「本日はダージリンのファーストフラッシュにしてみました」
 透明度の強い液体から爽やかな香りが立ち上る。
 「あ、いい匂い……紅茶淹れるの上手いなぁ」
 「恐縮です」
 お茶とお菓子、そして他愛もない雑談を、しばし楽しむふたり。

 「それにしても……フフッ」
 会話が途切れた際に、フッと苦笑するあおい。
 「? どうかしましたか、あおい様?」
 「いやいや……すっかり、わたしになりきってるなぁ、と思って。ね、「ゆか姉」」
 「!!」
 途端に真っ赤になるゆかり──こと本物の葵。
 「か、からかわないでよ~、ほかの人にバレないように、必死なんだから」
 「あはは、ごめんごめん。でも、さっきまでの仕草とか言葉づかいとか、わたしなんかよりよっぽどパーフェクトなメイドさんに見えたよ?」
 まぁ、その辺りはふたりの本来の性格の違いだろう。
 紫は、文武両道な学校一の才媛で、前任者からの指名と全校生徒9割以上の信任を受けた生徒会長でもある。
 ここ1年ほど前から葵付きの侍女をやっているとは言え、本来はむしろリーダーシップをとって他の者を引っ張り、あるいは新たな企画を実現させるようなことを得意としている。
 対して葵は、性格的に言えばどう見ても補佐役向きだ。強引なリーダーの気がつかない部分をフォローし、あるいは裏方として支える方が性に合っている。
 さらに言えば、経営者になるより料理人や園芸家の方が絶対に適職だ。小学校のころの作文で、将来の夢として「コックさんかお花屋さん」と書いたのは伊達ではない。
 このふたりの悲劇は、生まれる親を間違ったところだろう。
 もし、紫が本家の娘で、葵がその弟筋の生まれであれば、有能な女当主と気が利く秘書(あるいは執事ないし婿?)として、極めてスムーズに一族やグループ会社の運営に当たれただろう。
 あるいは、葵が家を離れて、コックになるなり花屋を営むなりの選択も許されただろうに。
 「でも、まぁ、仕方ないよ。誰だって生まれは選べないんだし……それに、僕にはユカねぇがいてくれるし」
 「うん、その点だけは、安心してくれていいわ。わたしから離れることは絶対ないから……ついでに言うと、アオイちゃんを逃がす気もね」
 ニヤッと笑う様子は、何と言うか「おとこまえ」な感じで、葵の服を着て男装していることもあって、下手な男よりよっぽど「カッコよく」見えた。
 思わず、ポーッと見とれてしまう、ゆかり。
 「ん? どうかした?」
 「──い、いえ、何でもありません、あおい様」
 「そ。ならいいけど。じゃあ、そろそろボクは仕事に戻るよ。あとひと息でキリのいいところまでできそうだし」
 「はい、承知致しました。では、お夕飯になったら、またお呼び参りますね」
 ゆかりはカップ類を片付けてトレイに載せ、両手を腰の前で揃えて深々と一礼すると、トレイを持って葵の部屋を出た。
 台所に戻りながら、ふと物思いにフケる。
 (それにしても、私なら今日一日掛けても終わらないくらいの量があったはずなのに……さすがは、あおい様、手際良くお仕事片付けてらっしゃいますね)
 そんなコトを考えながら、些細な違和感を感じる。
 「あら? 何かヘンな気が」
 台所の前まで来たところで首をひねっていたゆかりだったが……。
 「あ、紫さん、ちょうどいいトコロに。この瓶のフタがちょっと堅くて。開けてみてもらえないかしら?」
 メイド長に頼まれて我に返る。
 「あ、はい、いいですよ~、貸してください」
 そんな風に、メイドとしての業務に呑み込まれてしまったが故に、結局「彼女」は違和感の正体に気がつかなかった。
 葵の部屋で本物の紫に指摘されるまで、そして今も、自分が特に意識せずに「あおい付きのメイド、ゆかり」として振る舞っていることに。

 結局、朝方聞かされた夕方5時の勤務時間めいっぱい……どころか、それを軽く1時間はオーバーした6時半頃まで、ゆかりは夕食の支度を手伝うことになった。
 「ごめんなさいね、紫さん。もうとっくに勤務時間は終わってるのに……」
 「いえ、気にしないでください、晴香さん。私が好きでやってることですから」
 ニッコリ微笑みながら、手を動かすゆかり。本物の「紫」も優等生らしく如才ないから同様の行動をしたかもしれないが、ゆかりの場合は、コレが素だ。
 元々人の良さと人当たりの良さに関しては天性のものがあるのだ。さらに言えば、気配りも上手い。あおいが半ばフザけて「いいお嫁さんになれる」と言うのもむべなるかな。接客業やサービス業の現場に於いては、得難い才能と言えるだろう。
 「本当にありがとう。配膳はあたしがやるからいいわ。紫さんは……そうねぇ、葵様にそろそろお夕飯だって知らせておいてもらえるかしら。あ、紫さんの分は台所に用意しておくから」
 「はい。それじゃあ、お先に失礼しますね」
 ゆかりはメイド長に一礼してから、台所を出て「葵の部屋」へ向かう。
 コンコンと軽くノックすると、すぐに中から「どうぞ」という返事が返ってきた。
 「失礼します。ゆかりです」
 断った上でドアを開けて中に入り、キチンと頭を下げてから「自らが仕える主」に要件を報告するゆかり。
 「晴香さんから、「そろそろお夕飯の支度ができました」とのことです」
 真剣な顔つきで机に向かっていたあおいは、ゆかりのその言葉を聞いて、ようやく顔を上げてコチラを見た。
 「あれ、もうそんな時間なんだ。ついさっき、ゆか姉とお茶を飲んだばかりだと思ったのに……」
 「あれから、優に3時間は経ってますよ。そろそろ7時前ですから。
 あおい様の集中力はいつもながら感心しますけど、先ほども申しました通り、根を詰め過ぎると身体に悪いですよ?」
 「いやぁ、ついついのめり込んじゃって」
 心配そうなゆかりの視線にポリポリと頭をかくあおい。
 一見したところ、普段の桐生院邸と変わらない光景に見えなくもない。
 だが、もし神の視点を持つ者がその場を目撃すれば、いつもと異なるその「奇妙さ」について、すぐに気付いたことだろう。
 無論、ふたりのキャスティングが入れ替わっているからだが、そればかりではない。
 本来のふたりの関係は、「弱気で頼りない従弟・主と、しっかり者の才女な従姉・メイド」なのだが、今はそれが本来の各人の個性に沿って「意思が強く負担を苦にしない従弟・主と、心配性の可愛らしい従姉・メイド」に微妙に改変されているのだ。
 しかも。
 「うん、わかった。すぐに行くって、晴香さんには言っておいて」
 「はい、かしこまりました」
 ゆかりとあおい──いや、葵と紫のどちらも、その光景になんら違和感を感じておらず、現在の役柄を平然と演じていることこそが、異常の証であった。

 「あ、そうだ! ゆか姉、このあとは暇……だよね?」
 一礼して部屋を退出しかけたゆかりを、あおいが呼びとめる。
 「ええ、勤務時間はこれで終わりなので、お夕飯をいただいて着替えたら、手は空くと思いますけど」
 「じゃあ、ちょっと相談したいことがあるから……そうだなぁ。9時過ぎにでも、来てもらえる? あ、それとコレは仕事じゃなくプライベートだからね」
 「──わかりました。それでは、また後で」
 悪戯っぽく笑うあおいの言葉に、ほんの少しだけ胸をときめかせながらも、ゆかりは平静を装って返事する。
 あおいの部屋を出たゆかりが、台所へ足を運ぶと、すでに晴香が用意した使用人向けの夕食が並べられてあった。
 配膳と給仕をしているメイド長の晴香を待とうかと思ったのだが、ほかならぬ本人から「冷めちゃうから先に食べてて」と言われてしまっては是非もない。
 ありがたく、賄いとは思えぬ美味な夕食を、ひと口ひと口、丁寧に味わうように口にする。自分が料理する際に味付けなどを参考にするためだ。
 無論、食べたあとの食器を自分で洗い、乾かしておく気配りも忘れない。
 現実問題としては、桐生院家の台所には食器洗いマシンや乾燥機もあるので、ひとり分の洗い物が増えてもさしたる手間ではないのだが、こういうのは心がけの問題だ。
 このあたりの行動をごく自然できてしまあたりが、このゆかりが「本物」よりメイド適性の高いゆえんなのだろう。

 夕食後、自室──もちろん紫の部屋だ──に戻ったゆかりは、まずはメイド服のエプロンを外して、洗濯かごに入れた。
 続いて胸元のボタンを外し、紺色のワンピースも脱ぎ捨てる。とは言え、こちらは、別途専門の洗濯業者にクリーニングに出すため、普通の汚れものと一緒にするわけにはいかないが。
 白のスリップと黒のパンティストッキングという、ある種のフェティッシュな趣味のある人間が泣いて喜びそうな格好のまま、特に気負うでもなく箪笥を開けて普段着を取り出すゆかり。
 朝方、あれほど女装することに抵抗を示していたのが嘘のようだ。

 もっとも、何も知らない人間がここにいれば、いまのゆかりを(「本物」に比べて、やや胸元は寂しいが)まぎれもなく16、7歳の少女、それもかなりランクの高い美少女だと思い込んだことだろう。
 元々の優しい女顔な容貌や華奢な肢体もさることながら、仕草や雰囲気自体から、どことなく女らしさが醸しだされていたからだ。

 ゆかりが選んだのは、オフショルダー気味なニットのスプリングセーターと、タータンチェックの赤いミディスカートと言う組み合わせだった。
 本物の紫からすればごくありふれた選択だが、ほかならぬゆかりがこの組み合わせを選んだという点は、なかなか興味深い。
 いくらメイドとして働いているとは言え、そこは年頃の女の子。紫とてワードローブの数は、同年代の少年と比べれはかなり多い。
 その中には、生成りのダンガリーシャツやジーンズといったマニッシュな服もあったし、実際に紫がそれらを着ている場面を葵も見たことはあるはずなのだ。
 それなのに、あえて普段の紫らしい──いや、むしろよりフェミニンな服装を選んだゆかりの真意は……はたしてどこにあるのだろうか?

 「──あれ?」
 着替えを済ませてドレッサーの前に座り、少し乱れた髪を櫛で整えたあと、鏡を覗き込みながら唇にリップを塗っているところで、ゆかりはふと我に返った。
 「なんで、ぼく、こんなコトを……」
 戸惑いながらも手は止まらず、淡い色つきのリップで口元を彩る。
 微かに困惑した表情を浮かべながら、身だしなみをチェックするゆかり。
 「えーと……うん、問題なし。……じゃなくて!」

 記憶が飛んでいるとか、体が意に反して勝手に動くとか言う訳ではなく、今まで自分がやっていた行動自体は、ちゃんと覚えているし理解もしている。
 最初は普段の紫になりきるべく演技をしていたはずなのに、気が付いたら意識せずとも、「桐生院家のメイド」としてごく当たり前のように働いていたのだ。
 より厳密には、普段の紫と完全に同じ行動をとっていたワケではない。ないのだが、それでも「彼女」なりに現在の「立場」にふさわしいと思われる行動をとっていたのは確かだ。

 それは、考えようによってはヒドく危険で恐ろしい事のはずなのだが……どういうワケか危機感や恐怖心といった切迫した感情がいっこうに湧いて来ない。
 むしろ、そうあること──紫に代わって「メイド」あるいは「あおいの従姉」として行動するのが、ごく自然なことのように思えてくるのだ。
 いや、むしろ、紫に代わって新たな自分なりの「ゆかり」像を築きあげていくことに、密かな喜びさえ感じている。
 自分達以外の誰にもふたりの「入れ替わり」に気付かれず、周囲の人間に「紫」として扱われる度に、自分は背筋がゾクゾクするような興奮を感じていたのでは……。
 
 ──ボーン、ボーン、ボーン、ボーン、ボーン、ボーン、ボーン、ボーン、ボーン!

 ゆかりの耳に、屋敷の1階玄関前にかけられた振り子時計の鳴る音が聞こえてきて、思索に沈みかけていた「彼女」の心を浮き上がらせた。
 「あ、いけない! そろそろあおい君の部屋に行かないと」
 あおいとの約束を思い出したゆかりは、あわてて思考を切り替え、「従弟」の部屋へと向かう。
 そしてその結果、「彼女」が予想外な事態の進行を止める貴重な機会は、失われてしまったのである。

 ──コン、コン

 銀盆を手にした「少女」が、桐生院邸の葵の部屋のドアを軽くノックする。
 「あの……ゆかりです。入ってもいいですか、あおい君?」
 「ゆか姉? どーぞー」
 「部屋の主」の許可を得て扉を開け、ゆか姉と呼ばれた「少女」は中へ足を踏み入れる。
 「ごめんね、わざわざ来てもらって……あ、コーヒー、持って来てくれたの?」
 「ええ、この時間ならその方がいいかと思って……あら?」
 あおいと呼ばれた「少年」は、どうやら未だ書類仕事をしていたらしい。もっとも、夕食前にはまだ半分くらいあったはずの書類の山は、驚くべきことに残りわずかになっている。
 「お仕事、だいぶ片付いたんですね」
 「うん、思った以上にはかどったよ……これなら、なんとかなりそうかな」
 驚嘆と感心を等分に込めたゆかりの言葉に、何でもないという風にうなずくあおい。
 「?」
 「うん、今日中に片づけて、明日はのんびりしようかと思って」
 「それはいい考えですね。何かお手伝いできることがあれば……」
 と目を輝かせるゆかりの様子に苦笑するあおい。
 「いや、あとちょっとだからいいよ。それにしても……また、なりきってる?」
 「え? ……あ!!」
 眼の前の「従弟」に指摘されて、初めて「彼女」──「ゆかりとして振る舞っている葵」は、ハッと我に返った。
 「え、えーと……そのぅ……」
 真っ赤になって言い訳しようとする葵を不自然なほどニコヤカに見つめる紫。いわゆる「生暖かい視線」というヤツだ。
 「あははは、そんなに、わたし──六道紫として振舞うコトが気に入ったの?」
 「い、いや、別にそういうワケじゃ……」
 否定の言葉が尻すぼみになるのは、実のところ満更でもないからだろう。
 「ま、元からアオイちゃんは流されやすいほうだしねぇ。それに下手したらわたしよりよっぽど「良妻賢母」の資格アリだし♪」
 「はぅぅぅ~」
 意地が悪い(けれど的確な)紫の言葉に、耳まで赤く染めて恥らう葵の様子は、たしかに「可憐な少女」の風情たっぷりだ。今の紫から見て、抱きしめたいほど愛らしい。
 ──というか、気がついたら、実際にギュッと抱きしめていた。
 「え? え? あの、ユカね……」
 「うーん、やわらかくて、あったかくて、いい匂いがする……絶好の抱き心地だね!」
 その様子は、傍目から見れば、少女と見まがう(って言うか生物的には♀な)美少年が、同い年くらいの美少女(ただし性別は♂)を情熱的に抱擁しているようにしか見えなかった。
 最初こそ戸惑いの声を漏らしていた葵も、すぐに自らを支える腕のぬくもりに安らぎ、いつしか目をトロンとさせて、心地よい抱擁に身を委ねながら、最愛のイトコの顔を見つめている。
 「もぅ! そんな顔されたら我慢できなくなるよ!」
 耳元でそうささやくと、情熱的に「彼女」の唇を奪う。無論、「彼女」も抵抗せずにソレを受け入れた。

 ウブな恋人同士の拙い抱擁と接吻が一段落したところで、あおいはゆかりにこの部屋に招いた本題──「明日、ふたりで出かけないか」という提案を伝えた。
 「えっと……それってもしかして……デートのお誘いですか?」
 「うん、そのつもりだけど。嫌かな?」
 少しだけトーンの下がった許婚の声に、慌てて首を横に振る。
 「ううん、そんなことない。むしろ、うれしいです!」
 その後、時間や行き先について簡単な打ち合わせをしたのち、ゆかりは部屋を辞した。
 これ以上、あおいの前にいたら、また妙な雰囲気になりそうな気がしたからだ。というか、ほぼ絶対になることは間違いない。そうしたら、行き着くトコロまで行ってしまう公算も高い。
 もともと幼馴染で、ゆくゆくは結婚して夫婦になる身とは言え、正式に恋人同士になったばかりの、その日の内に抱かれる(性的な意味で)というのは、さすがに抵抗があった。
 (そりゃ、あおい君と結ばれること自体が嫌ってワケじゃないですけど……ちょっと早すぎますよね?)
 ポポッと頬を赤らめながら、弾むような足取りで「自分の部屋」に帰るゆかりの頭からは、その時すでに「自分が本来は桐生院葵である」という事実は、先程指摘されたばかりだと言うのに、すっかり消えうせているのだった。


-後編につづく-
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非公開コメント

甘くて幸せ

やっぱりアオイちゃん可愛いです。アオイちゃん可愛いです^^
良家の子息なのに家事が得意で好きなんておいしすぎます。
でも紫さんと立場を交換しちゃうとアオイちゃんが年上になっちゃうんですよね?
年上なのに可愛いだなんて素敵過ぎです^^
はっ!?もしやアオイちゃんて今流行りの愛され系の発展系、ペット系女子です?
むむむ、凄い女子力だw

Re: 甘くて幸せ

>さーにんさん

いつもコメントありがとうございます。
こんな辺境之地(まいなーぶろぐ)でも、こうやって見ていたくださる方がいるというのは、心の支えになります。
変化後の「あおい」は確かに「年上・でも可愛い・天然・家事上手」と女の子として見るとかなり無敵のスペックですね。

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Author:KCA(嵐山之鬼子)
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