山の彼方の空遠く

予告しておいて、コロッと忘れていた表題作を投下。
原作的作品にインスパイアされて書いたオマージュ作品その2。2なのに1より先にココへ掲載(笑)。 
長らく元作品の詳細を私自身も忘れていたのですが、偶然コメントから情報を確認できました。感謝です。 
ブログのコメント返しにも書きましたが、本作は色々な面で「北の国」との同工異曲的な作品となっております。また、ゲーム「マージ~MARGINAL~」の影響も受けているかも。
ただし、両作品とは異なり、微鬱テイストなので、その点にご注意を!

山の彼方の空遠く

 「ねー、けいごぉ~、本当にだいじょうぶ?」
 「うるさい! 俺に言われたって知るかよ!」
 仁科慶吾(にしな・けいご)と双葉伊織(ふたば・いおり)は、今年同じ大学に進学したばかりの幼馴染だった。
 大学一回生の夏休みに入った直後、免許取りたての慶吾が運転する車で、軽井沢へと男ふたりで気ままなブラリ旅に出かけたのだ。

 もっとも、いくら特定の目的地がないからと言って、地図も持たないと言うのは少々フリーダム過ぎたかもしれない。
 「だから、僕はあの道を左に行こうって言ったのに……」
 「そのひとつ手前で、お前の言うとおり右に曲がったから、こんな山道に出たんだけどな!」
 いつの間にやら道に迷い、夕暮れが迫る中、残り少ない燃料に焦りを覚えつつ、彼らは人気の絶えた山間の細道を走り続ける。そして、完全に日が沈む頃には、すでに燃料計は「E(empty)」を示していた。
 携帯も通じない山中で「こんなところで立往生&野宿か」と覚悟を決めかけた時……。
 「あ! あれ!!」
 伊織が指差す林の向こうには、人家の灯火らしき明かりが見えたのだった。

 見知らぬ他人の家に迷惑をかけることは、正直あまり気が進まなかったが、背に腹は代えられない。ふたりは車を降りて明かりの方へと向かった。
 近づくにつれてその建物の威容が明らかになる。
 「ふわぁ~」
 「これは凄いな」
 そこには、こんな山中にはふさわしくないほど瀟洒な洋風の山荘が建っていた。いや、「山荘」という言葉の持つひなびた雰囲気とはかけ離れており、むしろ「洋館」と呼ぶ方が正しいのかもしれない。
 
 やや気遅れしながらも、一夜の宿を貸してもらおうと、慶吾は重厚な玄関の扉についた呼び鈴を鳴らす。
 微かにベルの音が邸内から聞こえたのち、三呼吸ほどしてから、扉が開いた。
 「──どちら様でしょう?」
 中からは、メイドの格好をした若い女性が姿を顔を覗かせている。
 ふたりが来訪した要件を告げると、「しばし、お待ちください」と言い残してメイドは中へと引っ込んだ。おそらく、主の意見を聞きに行ったのだろう。
 ほどなく、先ほどのメイドが戻って来た。
 「奥様の…お許しが出ました……こちらへ」
 応接間に通されたふたりは、ルクスリアと名乗る女主人から、一晩泊めてもらうことを快諾される。
 「こんな山の中でしょう? めったにお客様も来ないから、退屈してましたの」
 ルクスリアは、その洋風の名前とは裏腹にどう見ても日本人然とした顔立ちや髪の色をしていた。
 妖艶な美人ではあるがその年齢の見当がつきにくい。瑞々しい肌や声の張りを見る限りでは20代前半とも思えるが、物憂げでそのくせ思慮深い瞳の色や、威厳に満ちた仕草を見ていると30代後半くらいにも感じられる。
 長い髪を後ろでひとつに結い上げ、着ている服は大正時代の上流階級が好むような時代がかった大仰なドレスだが、年齢不詳の彼女には不思議とよく似合っていた。
 ルクスリアの話では、この山荘には、ほかに5人のメイドが住み、女主人である彼女に傅いているらしい。
 「みんな若くて可愛い娘たちばかりだけど……手をだしちゃダメよ、慶吾くん」
 冗談混じりに流し目を送るルクスリア。
 暗に「女に手が早そう」と言われて苦笑いする慶吾と、「だったら僕は?」と不満げな伊織。
 「あら……だって、伊織さんの場合、むしろウチのメイド達に食べられちゃいそうだし」
 「ハハハ、違いない!」
 美形とは言えないまでもそれなりに整った顔立ちとがっちりした体躯を持つ慶吾と異なり、伊織は線が細く、顔つきも幼い。
 ひと月後に19歳の誕生日を控えているものの、いまだ俗に言う「ショタ」っぽい印象は免れなかった。
 実際、中学高校時代は、年上の女性からオモチャにされかけることが多々あり、その度に慶吾に助けを求めていたくらいだ。
 「ふたりともひどいよ~!」
 うふふ、あはは、と陽気な笑いが山荘の応接間に響いたのだった。

 さて。そんなこんなで夜も更け、ふたりは女主人に就寝の挨拶をした後、先ほどとは異なるメイドに客間へと案内された。
 隣り合ったふたつの部屋は、どちらもさほど広くはなかったが、清潔に掃除され、調度やベッドも整えられており、なかなか快適そうだった。
 違いと言えば、向かって右の部屋の壁紙が落ち着いた紺色で、左が明るい桜色だったことくらいか。深く考えることもなく、慶吾が右、伊織が左の部屋を選んだ。
 「一時はどうなることかと思ったけど……ルクスリアさんがいい人で助かったな!」
 「本当だね。それに、僕、一度でいいからこんな雰囲気の別荘に住んでみたいと思ってたんだ!」
 「ほほぅ、念願が叶ってよかったじゃねぇか。
 そうだ、どうせなら、夏休み中、バイトさせてもらったらどうだ? お前だったら、ここのメイドさん達に混じって働いてても、違和感ねーだろうし」
 「もうっ! しまいには怒るよ、慶吾!!」
 「スマンスマン。じゃあな、伊織、おやすみ」
 「うん、おやすみなさーい」
 そう挨拶して左右の部屋に分かれるふたり。

 * * * 

 ──その夜。
 見かけは豪華だが、やはり施設はそれなりに老朽化しているのか、伊織の部屋のエアコンが機能不全を起こしてしまった。完全に壊れたわけではないが、細々と送風することしかできないようだ。
 だからと言って、こんな夜中に館の人間に修理を頼むのも気が引ける。やむなく、伊織は我慢しようと思ったのだが……。
 「うぅ~、こりゃ、ダメだぁ~!」
 山中とは言え、さほど標高が高くないせいか、夏の夜は寝苦しい。
 室内の蒸し暑さに耐えかねた伊織は窓を開け、そのまま寝入ってしまった。
 (ルクスリアさんは、「虫や蛇がいるから窓は開けっ放しにしないで」って言ってたけど……大丈夫だよね?)
 ところが、運の悪い事は重なるもので、深夜になって窓から侵入した大きなムカデが、腹を出して寝ている伊織の胸部──両腋からやや乳首寄りの場所2ヵ所に噛み付いたのだ!
 深夜の山荘に、伊織の絶叫が響き渡ったことは言うまでもない。

 こういう場所で暮らしているだけあって、メイド達は手際良く伊織の咬み傷(いや、この場合は「咬まれ傷」と言うべきか?)を治療してくれた。
 「災難だったな、伊織」
 「うん、まぁ、半分は自業自得だけどね」
 いつも陽気な伊織も、ショックのせいか、さすがにおとなしい。
 「それにしても、毒性の弱いムカデでよかったじゃねーか。これがマムシとかなら、今頃目をあてらんねーぞ?」
 「こ、怖いこと言わないでよ。そんなの死んじゃうよ」
 「──心配ご無用です、慶吾さま、伊織さん。当館にはマムシ抗毒素血清の用意もございますし、奥様は医学の心得もおありですので」
 ((そ、それって、マムシが出るってことかーー!?))
 治療にあたっていたメイドのひとりが涼しい顔をして告げたが、むしろ全然安心できない慶吾と伊織なのだった。

 さて、早めに治療したことがよかったのか、伊織は、アナフィラキシーショックなども起こさずに済んだ。
 しかしながら、咬んだムカデが大きく(全長50センチ以上あった)、当然体内に入った毒も多いだろうこと、また咬まれた場所もリンパ腺に近いことなどから、念のため数日間は安静にしておくべき……と言うのが、女主人の看立てだった。
 女主人は、伊織が治るまでこの館に滞在してよいと鷹揚に許可をくれたので、ふたりも恐縮しつつ、その厚意に甘えることにした。
 「とは言え、エアコンの壊れたこの部屋で寝てたのでは、むしろ病状が悪化するわね……そうだ!! アケディア、アワリティア! メイド部屋の端っこが、確か空いてたわよね? 伊織さんをあそこにお連れして」
 ……などという騒ぎの結果、伊織は使っていないメイド部屋のひとつに急きょ移されることになったのだった。

 さて、怪我をしてベッドで安静の伊織の処遇はそれでいいとして、起きて行動している慶吾の方には、ひとつ問題があった。
 一泊程度の気軽な旅のつもりで出かけてきたため、とくに着替えの用意などしていなかったのだ。
 この山荘は主人以下皆女所帯のため、体格のいい慶吾が着れるような衣服はない。
 仕方なく慶吾は、自分が着てきた分と、少々小さいが伊織が着てた分を着回すことでどうにか凌いでいた。
 ベッドで寝ている伊織は、ここで借りた浴衣のような寝巻姿なので、当面服は必要なかったからだ。

 そして、山荘に滞在して三日目の朝が来た。
 メイドのイラによれば、伊織の回復は順調で、今日からベッドを出てもよいとのこと。
 しかし、昨日から降り続いている雨のせいで、山道が危険なことになっているとのことなので、怪我人を抱えて無理に辞去するのは得策ではないだろう。
 ニコニコと「いつまで居てくれてもいいのよ?」と言ってくれる女主人の言葉に、申し訳ないが当面は甘えるほかはない。
 せめてもの恩返しにと力仕事を買って出た慶吾だったが、やがて倉庫の荷物を整理しているところで、背後に人の気配を感じた。
 「その……お昼ご飯……」
 振り返れば、メイドのひとりが手に昼食の載ったトレイを持ってきてくれたようだ。
 「ああ、そう言えば、もうそんな時間か……」
 今更のように空腹を感じた慶吾は、有り難くトレイを受け取ったが、ふと俯き加減のそのメイドのことが気にかかった。
 (ありゃ……こんな娘、この山荘にいたっけ?)
 山荘の住人は、女主人のルクスリアとメイド長のスペルビア。その下に、アケディア、アワリティア、イラ、グラの4人だったはず。
 メイドたちは、外見も国籍もバラバラだが、その全員が若くて美人という点だけは一致している。
 すでに、その全員と一通り面識があるはずなのだが、目の前の少女には見覚えがなかった。いや、ないはずなのに、どこかで見覚えが……。
 「! お、お前、まさか!?」
 「え……えへへ、どう、かな?」
 慶吾の目の前で、メイド服に身を包み、頬を染めてはにかむ伊織の姿があった。

 * * * 

 自分が着てきた男物の服を慶吾に一時的に譲ったことで、せっかくベッドから出られるようになっても、伊織は着るものがなく困っていた。
 療養中、世話をしてくれたふたりのメイド達は、伊織の窮状を知ると、部屋の隅でしばし相談した後、部屋を出て、すぐに戻って来た。
 「伊織さん、これを……」
 それは、彼女達と同じメイドの制服だった。
 なんでも、以前、この山荘で働いていた「インウィディア」と言うメイドが着ていた代物らしい。
 もちろん、伊織は気が進まなかったのだが、ここ数日、ふたりのメイド、イラとグラには世話になっている恩がある。
 これまでの人生経験で、自分にこういう女物の衣服がそれなりに似合ってしまうこと、そして、そういう服を着た自分を見ると特定の女性達が喜ぶことも(不本意ながら)理解していた。
 (まぁ、お世話になったお礼だと割り切るか……)
 あきらめ気分で差し出されたメイド服に袖を通した伊織は、しかし以前無理矢理女装させられたときとは、まるで異なる着心地に驚いていた。
 「え? な、なに、これ、すごく着やすい。それに……気持ちいい」
 メイド服はたった一ヵ所、胸の部分を除いて伊織の体にあつらえたようにピッタリだったのだ。
 「よく、お似合いですよ、伊織さん」
 「すごーい、本当に女の子みたーい!」
 メイドたちの驚きと称賛の声を聞きながら、伊織は夢うつつな気分で鏡の中に映る自分の姿をみつめていた。
 そこにいるのは、黒を基調としたシンプルながら女らしいメイド服に身を包んだ、ひとりの少女にしか見えなかった。
 「何を騒いでいるのかしら?」
 「あっ、奥様!」
 イラの言葉に、ハッと我に返った伊織は、カッと頬が赤くなる。
 (よりによって、奥様に、こんな格好をしているところを見られるなんて……)
 しかし、当の女主人は、メイド姿の伊織を見ても咎めだてすることもなく、むしろ上機嫌で声をかけてきた。
 「あらあら、可愛い新米メイドさんだこと。でも、ちょっと胸元がさびしいわね」
 「そうですよね! せっかくだから、胸に何か入れましょう!」
 「ブラジャーを着けて詰め物すれば……」
 女主人の反応に気をよくしたのか、イラとグラもここぞとばかりにアイデアを練り始める。
 病み上がりかつ元々女の子に強く出られないタチの伊織は、黙ってそれを見ているしかない。
 さらに通りがかったメイド長のスペルビアまでも巻き込むに至り、「伊織メイドさん化計画」が、当人の思惑をよそに進行してしまうことは避けられなかった。

 「え、し、下も履き替えるんですか……?」
 「ちょ、こんなパッド、一体どこから……」
 「か、かつらまで!? なんでこんなものが……」
 「お化粧は結構です……あーん、もぅ、結構ですって!」
 「──こ、これがワタシ?」

 結局、その後も伊織は「似合うから♪」という理由で、山荘にいるあいだはメイド服を着ることを了承させられてしまった。
 また、病み上がりと云う事情から、力仕事に精を出す慶吾とは別に、新米メイドとしての簡単な仕事を任される。
 その際、メイド服の前の持ち主にちなんで「インウィディア」の名で呼ばれることに。どうやら、メイド達の呼び名は、芸名とか字名のようなものらしい。
 当初は抵抗感があったものの、上司にあたるメイド長や同僚のメイド達が、とても優しく親切だったため、伊織は徐々にメイドとしての暮らしに慣れていった。
 あとにして思えば、この辺りから、徐々にふたりの歯車が狂い始めたのだろう。

 * * * 

 ──数日が過ぎた。
 一日中ウィッグと女物の衣服を着けて生活し、化粧まで完全にものにした「インウィディア」こと伊織は、すっかりメイド達の輪の中に馴染んでいる。
 そんな友人の姿を横目で見ながら慶吾は微かな疑念にとらわれていた。

 ふたりが山荘で「なんちゃってメイド&執事見習」な生活を始めて一週間ほど経過したある日、山荘に街の業者の配達トラックが到着した。なんでも、週に一度、食料品をはじめとした物資を補給してくれているらしい。
 「このトラックに着いていけば、街まで辿り着くことができるぞ!」
 なぜかあまり気が進まぬ様子の伊織を説得して車に押し込み、山荘の人々への別れの挨拶もそこそこに、慶吾は半ば強引に出立した。

 ──ところが。
 10分と経たないうちに、すぐ前方を走っていたはずのトラックを、どういうわけかふたりは見失ってしまう。
 麓に通じる道も見出せないまま、ふたりは山道をさすらうハメになった。残り少なかったガソリンの最後の一滴までを消耗して完全に動かなくなった車を降り、遠くに見える人家の灯りを頼りに辿り着いたその先は……まぎれもなく、あの山荘だった。

 結局、元の山荘に舞い戻ってしまった慶吾と伊織。
 ほかに方策もなく、次にトラックが来る日まで、これまでどおり見習いメイドと執事モドキの生活に戻ることになったのだが……。
 その日以来、慶吾は突発的な記憶の混乱に悩まされることとなった。
 自分の元の住所や肉親の顔、学校の友人達の顔、ひどい時には自分の名前さえ、とっさに思い出せなくなるのだ。
 その度に、なんとか記憶の糸を手繰り寄せ、必死に自分が何者で、どうしてこの山荘に居るのか、しっかり自己認識するよう努めた。

 そうして2、3日すると、謎の記憶異常はパタリと止まった。
 ホッとひと息ついた慶吾だったが、ふと今度は幼馴染のことが気にかかる。

 ──自分のことでいっぱいいっぱいだったが、アイツは? 伊織の方は?

 改めて話してみたところ、どうやら事情は伊織も同様だったらしい。
 慶吾と違うのは、その異常が完全に進行し、彼が「伊織!」と呼びかけてもとっさに反応できず、「メイドのインウィディア」としてのアイデンティの方が確固たるものになってるらしいことだ。
 この山荘に来る前の記憶もひどくあやふやな状態に陥っているらしい。
 ここまでくれば、お人好しなふたりも、さすがにこの山荘に何か異常な力が働いていることを理解できる。
 もはや一刻の猶予もなかったが、「脱走」の好機はなかなか訪れなかった。

 そんな時、近々ルクスリアの誕生パーティが催されるということを、偶然慶吾は耳にした。
 その際、メイド長以下のメイド達は女主人に対し、改めて終生の忠誠を誓約し、また、ルクスリアからは主従の契約の証として接吻を賜ると云う儀式が行われるのだと云う。
 また、この儀式には伊織こと「インウィディア」も参加し、晴れて正式なメイドに昇任するということも。
 (冗談じゃない! 伊織をそんなメに遭わせてたまるもんか!)
 義憤に燃える慶吾は、しかし気付かなかった。
 物陰から哀しそうに自分を見つめるふたつの目があったことに……。

 * * * 

 問題の誕生パーティを翌朝に控えた蒸し暑い夜。
 ふと、夜半に目を覚ました慶吾は、嫌な予感を感じてこっそり部屋を抜け出した。
 彼の予感は的中し、メイド達に囲まれて、なぜか黒いローブを羽織った伊織が地下室への階段らしき場所を降りていくところを目撃する。
 メイドたちに気付かれない様に後をつけ、たどりついた地下の一室を覗き込んだ慶吾だったが、そこで目にした光景に、大きな衝撃を受けることとなった。

 そこには、ローブを脱ぎ捨て一糸纏わぬ姿となった伊織の姿があった。
 腰まで伸びた栗色の長い髪と、対照的に無駄毛の見当たらない白い肢体。
 中学生の女の子程度に膨らんだバストと、ほっそりとくびれたウェスト。
 そして形よく丸みを帯びたヒップと、そこからスラリと伸びた華奢な脚。
 ──その姿は完全にひとりの(そして極めて美しい)少女と言ってよかった……そう、ただ1ヵ所、股間にわずかに残る突起物を除いて。

 祭壇のような場所の前に立つルクスリアは、慈しむような優しい視線で伊織の全身を見つめると、部屋の中央に据えられた豪奢な革張りの椅子に腰かけるよう、伊織に命じた。
 催眠術か、あるいは薬でも盛られたのか、ぼんやりとした目で「奥様」の命令に従う伊織。
 伊織が椅子に腰かけた瞬間、椅子の背面から現れた蔓のようなものが、その体を拘束する。

 固唾を飲んでその様子を見守っていた慶吾は、ふと背後に気配を感じたと思った瞬間、ふたりのメイドにガッチリと押さえつけられしまう。
 ルクスリアが、悪戯っ子を見つけたような目で、慶吾に微笑みかける。
 「あらあら、慶吾くん、覗きは紳士として恥ずべき行いよ?
 ……でも、ちょうどよかったかしら。インウィディアを「女」にするのに、張形か蔓を使うつもりだったけど、せっかくですもの。
 やっぱり女の子の初めては、好きな男性(ひと)に捧げるべきよね?」

 それからの小一時間ほどは、慶吾にとって悪夢のような光景だった。
 裸にされ、ルクスリアの手で軽くしごかれるだけで、慶吾の欲棒は固く屹立してしまう。
 その状態のまま、椅子に足を広げて座らされた伊織の前まで連れて来られる。
 「ま、まさか……待て! 待ってくれ!!」
 「ふふ、女性を待たせる殿方は嫌われるわよ。えいっ!」
 こんな異様な状況下で、なぜかいまだ萎えない慶吾の分身が、伊織──インウィディアの委縮したペニスの付け根に押し付けられる。

……
…………
………………

 やがて、初めての女としての絶頂とともに、ついには失神した伊織を目の前にして、慶吾は唇を噛みしめた。
 (ちくしょう……)
 意地でも射精しなかったことが、せめてもの彼の抵抗の証だった。
 見たことがない程上機嫌なルクスリアは、気を失った伊織の髪を優しく撫でると、慶吾を連れ出すようにメイドたちに命じた。

 * * * 

 処罰や監禁を覚悟していた慶吾だが、意外なことに、とくに軟禁されるでもなく、自分の部屋に戻される。
 (チッ、それだけ逃げられないってタカをくくってるワケか……)
 それでも彼は、逆転の意思は捨てていなかった。
 翌朝、誓約の儀式がグラまで終わり、いよいよ「インウィディア」、つまり伊織の番となろうとしたその瞬間!
 部屋のすぐ外で様子をうかがっていた慶吾が走り出て、伊織の腕を掴むと一目散に玄関を出て山荘から抜け出したのだ。

 メイド達の気配を背後に感じつつ、意を決して山を駆け降りるふたり。
 すり傷だらけになりながら、それでも麓を目指して林を駆ける二人は、ようやく麓の町並みが見える場所まで辿り着いた。
 ここまでくれば安心と更に一歩を踏み出そうとしたその瞬間……だが、メイド姿の伊織があたかも透明な壁に突き当たったかのように前に進めなくなってしまった。
 「くそっ、どうなってんだよ、コレは!?」
 半ばあきらめの表情になった伊織を、それでも"こちら側"に連れ出そう焦る慶吾。しかし、押しても引っ張っても、どのような手段を講じても伊織を「脱出」させることは叶わない。

 そんな膠着状態が十数分も続いただろうか。
 ふと気配を感じて空を見上げれば、山の稜線を背に、見慣れぬ黒衣をまとったルクスリアが禍々しい装いに似合わぬ、聖母のような微笑を口元に浮かべながら浮遊していた。

 やはり、魔女の類いだったのかと、震えを押し殺してキッとルクスリアを睨む慶吾だったが、彼女は意外な言葉を彼に投げてきた。
 「素晴らしいですわ、旦那様」
 「旦那様? まさか、俺のことか?」
 「ええ、その通りです。貴方は、我々の張り巡らせた陥穽をことごとく打ち破り、乗り越え、誘惑に負けず、現世への帰還を果たしました。
 わたくしは、あの山荘──福真殿の仮初の主、真なる主人を待ち続ける者です。
 貴方には望むならふたつの取るべき道があります。
 ひとつは、このまま現世へと復帰し、元の暮らしに戻る道。
 もうひとつは、わたくしたちと共に山荘に戻り、その真なる主となる道。
 後者を選んだ場合、メイドたちはもちろん、わたくしも貴方に妻として従います。
 ああ、無論わたくし以外の者を妻とされるのも自由です。その場合、わたくしはメイド長として貴方に誠心誠意お仕えすることを誓いましょう」
 「……こいつは、伊織はどうなる?」
 慶吾の問いに、ルクスリアは緩やかに首を横に振った。
 「残念ながら、その者が選べる道はひとつだけです。わたくしたちとともに山荘に戻り、メイドのインウィディアとして仕えることのみ」
 「な!? ふざけん……「いいよ」なに!?」
 怒号を発しようとしたところで、慶吾は傍らの伊織に引きとめられた。
 「ねぇ、慶吾。ボクは決して、強制されて嫌々あの館に戻るわけじゃないんだ。むしろ、あそこで働くことがボクの天職なんじゃないかって思ってる」
 「馬鹿野郎、それはこいつらに洗脳されたから……「違うよ」 え?」
 「こんな体になるずっと前から考えてたんだ。このままメイドとして働くことがボクの性に合ってるって。慶吾だって、それは認めるでしょう?」
 「……」
 沈黙が雄弁に肯定の意思を示していた。
 山荘に泊った始めての夜に、長年の幼馴染に言ったことは、冗談ではあったがある意味本心でもあったからだ。
 世話好きで気配り上手で、控えめかつ甲斐甲斐しい伊織。もし、彼が最初から「彼女」であったなら、確かにその選択をもう少し素直に認めることもできたろう。
 「だからって……」「でもね」
 言いかけた慶吾の言葉を、珍しく伊織が途中で遮る。
 「慶吾には、たぶんあの館は似合わないと思うんだ。だから……」
 目にいっぱい涙を溜めながら、伊織は……「伊織だった少女」は告げる。
 「だからね、慶吾とは、ここでバイバイ」

 ──ドンッ!!

 力いっぱい突き飛ばされた慶吾の体は、夏草に覆われた斜面を転がっていった。
 「な……いおりィーーーー!」
 数秒後、なんとか体勢を整えて元いた場所を見上げた慶吾の目には、ルクスリアに抱擁され、涙を流しながら、それでも安らいだ表情を浮かべるインウィディアの姿が映った。
 ほどなくふたりの姿は、そのまま空気に溶けるように消えてしまう。
 (さよなら、ボクの最初で最後の「ご主人様」……)
 茫然と立ち尽くす慶吾は、耳元で聞こえた少女のささやきに意識を取り戻し、近くの立木を殴りつけることで、やり場のない怒りをこらえることしかできなかった。

 * * * 

 ──十年後。
 「日常」に帰還した慶吾は、在学中に書いたホラー小説が大当たりして、一躍人気作家の仲間入りをしていた。
 功成し遂げ、少なからぬ財産を得、社会的な地位や名声も確立した慶吾だが、どうしてもその内に満たされないものを抱え続けていた。
 心の隙間を埋めるべく、何人かの女性とも交際したが、どれも長続きせず、30歳を目前にした現在でも独身のままである。

 そんなある日、当面の締め切りをすべて片づけた慶吾は、「取材旅行」と称して愛車のハンドルを握り、気ままなひとり旅に出かけることにした。
 こうやって、細い山道を車で走っていると、あの日のことが鮮明に思い出される。
 (! まさか!?)
 場所は全然違う。
 あの時は信濃路近くだったが、今走っているのは東北道からの枝道だ。

 しかし、その一方で、理性とは別の次元で慶吾は確信していた。
 このまま走り続ければ、あの山荘にたどり着くだろうことに。
 躊躇いはなかった、そのままアクセルを踏み込む。
 やがて、車は山中にそびえる山荘の門の前に止まった。
 車から降りて、懐かしいような苦しいような複雑な目で館を見つめる慶吾。
 意を決して玄関へと向かう慶吾の前で、ドアが開き、中からどこか見覚えのあるメイドが姿を現した。
 「お帰りなさいませ……ご主人様」
 慶吾は無言のまま、きつく目の前の美少女を抱きしめるのだった。

-FIN-
--------------------------------------------
#以上。作者としては、このあと慶吾とインウィディアこと伊織がそれなりに幸せに暮したと思いたいところです。
ちなみに、この山荘、実は元・とある魔族(フェレース家じゃないですよ、念のため)の人間界における拠点のひとつだったり。故に、メイドさんの名前は七つの大罪に対応してたりします。もっとも、元の持ち主は魔界に帰って久しいのですが。
なお、館自体が「GS美神」の渋鯖1号や「めいどさんすぴりっつ」のフィエナみたく自我を持っており、それが実体化したのがルクスリアである……という裏設定は何の役に立つんだか。
あ、これまた余談ですが、慶吾と伊織のふたりは、「北の国」のふたりと同じく孟宗館大学の新入生です。まぁ、慶吾はともかく伊織は他のSSで出てくる機会はないでしょうが……。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

KCA(嵐山之鬼子)

Author:KCA(嵐山之鬼子)
Pixiv、なろう、カクヨムなど色々書いてます。感想などもらえると大変うれしいです。
mail:kcrcm@tkm.att.ne.jp

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード