『アウフヘーベン ~対律止揚~』2

 そして二話の前編部分投下。
 もっとも、後編部分がいつになるのか、はたして書くのかすら定かではありませんが。


『アウフヘーベン ~対律止揚~』

第2章:汚染(けがれ)> 前編
 
 
 茂みの中をかき分けて進みながら、少女が少年の名前を呼ぶ。
 「……ケイン王子ぃ」
 
 ──ガサゴソ……。
 
 「…………ケーイーンッ!」

 ──ザワザワ……。
 
 「………………ケ~イ~ちゃんってば!!」

 ──サザザッ、ズサッ……。
 
 茂みを抜けると同時に、少女の視界に目当ての人物の姿が入ってきた。
 「あれ、どうしたの、レイ?」
 少年──この国の第一王位後継者であるケイン王子は、胸元に小犬くらいの大きさのモコモコした生き物を抱きしめたままノンビリと振り返った。
 
 「どうしたじゃないわよ。終わったわよ、赤竜の解体。竜細工師も驚いてたわ。こんな大きな竜を、よく3人だけで倒せましたね、って」
 「3人って言っても、ほとんどレイとスピカの活躍じゃないか。ボクは後ろで見てただけだよ」
 「何言ってるの、精神力の消耗で倒れる寸前まで、私たちに防御力場と耐火炎の魔法、重ねがけしてくれてたじゃない」
 レイは優しい眼差しをケインに向けた。
 「ケイちゃんの援護があったから、私たちは攻撃に集中できたんだよ」
 
 ふと、レイの視線がケインの胸元でかわいくもがいている生き物に止まる。
 「ケイちゃん、その子、もしかして……」
 「うん、ドラゴンの幼生体。たぶん……ボクたちが殺した竜の子どもだと思う」
 ケインの目に昏い陰が宿った。

 「きっと、この子が生まれたから、あの竜はあんなに狂暴になってたんだ」
 子を守るために母親が見せる過剰防衛反応──赤竜の突然の狂暴化も、それ故であったのなら、確かに納得がいく。
 「ごめん、キミからお母さんを奪ってしまって……」
 子竜の頭を撫でながら、ケインが悲しげにつぶやくのを見て、レイはいたたまれなくなって目を逸らした。
 (この人は優し過ぎる……他人(ひと)の痛みに敏感過ぎるわ)
 
 「ねぇ、レイ……この子を城で育ててやるわけにはいかないかなぁ?」
 ややあって、ケインがおずおずとそう切り出してきたときも、だからレイは驚かなかった。
 たぶん少年なら、そう言い出すと思っていたから。
 「──たぶん、みんなは反対すると思う。今は小さくても、成長すれば何が起こるかわからないし……」
 「そう…だよね……」
 やっぱり、と少年がうつむくのに、言葉をかぶせる。
 「でも! 私は、ケインの味方だよ!! ケインを信じてるから。ケインがその子を助けたいって思った、そのケインの優しさと強さを!!」
 
 はじかれたように、ケインが顔を上げる。
 「──そんなんじゃないんだ。冷静に考えれば、みんなのほうがきっと正しいんだ。
この子から親を奪っておきながら、その罪悪感をごまかしてるだけなんだ。
多分ボクのやってることは偽善なんだ。でも……」
 珍しく早口でまくしたてるケインを、少女は穏やかな目で見つめた。
 「──でも、その子に生きててほしい?」
 「……うん」
 決心を込めてうなずくケインを見ていると、レイはなぜか涙腺が緩んでくるのを感じた。だが、それは決して不快な感覚ではなかった。

 ──そうだ、あの時、私は彼が誇らしかったのだ。弱者の悲しみと己れの弱さから目を逸らさない、その強さが。それが茨の道だと知りつつ、なお己れの信じる道を選ぶ勇気が。

 ──だから、せめて私だけは、彼の味方になろうと思った。彼の身を守る楯、彼の真情を理解する親友、傷ついた彼の心を抱きしめる恋人として……。

 ──それなのに……。
 
 ──ソレナノニ……。
 
 * * * 
 
 重い目を開き、懐かしい顔が目に飛び込んできた瞬間、レイはすべてを──全身を苛む痛みも、900年の歳月も忘れて、彼の胸にすがりついていた。
 「ケイちゃん!! やっと逢えたんだ……寂しかったよォ」

 「ええっ!? あのその、えーっと……」
 「ちょ、ちょっとレイ、離れなさいよ」
 「あれ……スピカ? どうしたの、そんなカッコして。それにいつのまに髪を伸ばしたの?」
 「──しっかりしなさい、レイ!! 自分の手を良く見て!!」

 (エッ、じぶんの手……?)
 ミサトの声に、反射的に両掌に視線を落とす。血の通っていないような、爪の先まで真っ白な、色素の欠落した手。
 
 「……そう」
 歓びに輝いていた顔が、一転していつもの無表情へと劇的な変化を遂げる。

 「ええっと、あの……」
 「……あなた、誰?」
 眼前の少女の変貌ぶりに、少年は戸惑っている。 
 確かに、レイがケインと見間違うの無理はなかった。

 年のころは16、7歳か。同じ年頃の少年たちと比べてややきゃしゃな骨格をしており、繊細な顔立ちとあいまって、どこかはかなげな印象を与える。 髪の色こそ、彼のほうが濃いが、その顔立ちといい、全身の雰囲気といい、 在りし日のケイン王子にそっくりだった。
 
 「ぼ、ぼくは……」
 「ねえ、レイも無事意識を取り戻したようだし、アンタたち、もうひきとっ
てもらえない?」
 まるで少年の台詞を聞かせまいとするかのように、アスカが横から割り込んできた。

 「アスカ!」
 咎めるようなミサト声に、アスカはフイと顔をそむけると、無言のまま席を立った。
 「ごめんなさいね、シンジくん、カヲルくん」
 すまなそうなミサトの言葉に、銀髪のほうの少年が軽やかに微笑った。
 「気にしてませんよ。大事な人が大ケガして、彼女も気がたってたんでしょう。
さぁ、僕らはそろそろおいとましようか、シンジくん」
 「……え? う、うんそうだね」
 
 レイに気をとられていた少年──シンジも、ようやく我に返り、ちょっと赤面しながら辞去の挨拶を述べる。

 「それでは、僕たちはこれで失礼します」
 「さようなら。あの、レイ…さん、お大事に」
 シンジがレイの名前を口にした刹那、さわやかな微笑の影で一瞬カヲルの瞳が、キラリと光ったことに、気付いたものはいなかった。
 
 * * * 
 
 ──どうして?
 どうしてなの、レイ?
 どうして、あんなヤツにそんな笑顔を向けるのよ!?
 あいつが……あんたの王子様、なの?
 
 ……認めない。
 今さらノコノコ出てきたからって、あたしは絶対にあんなヤツのことなんて絶対認めないんだから!!


 物心ついたときの、アスカの最初の記憶は、両親の恐怖と嫌悪の視線で彩られていた。
 幼いころから、彼女の知能指数および運動能力は同年代の子どもたちのそれを大きく上回っていた。
 わずか3歳にして有名私立中学校の入試問題に満点で解答し、戯れに教えられた体操競技で高校レベルでもなかなか見られぬような高度な演技をこなしてみせる。
 
 単にそれだけであれば、早熟な天才児として、むしろ両親の自慢の種でさえあっただろう。
 だが……やはり母方から受け継いだ巫女の血筋故か、幼いころのアスカは常人の目には見えぬはずのもの──他人の心や未来、あるいは物の怪、魔性といった人外の存在の類を見ることができたのである。
 
 いや、見えてしまうといったほうが良かっただろうか。なぜなら、それは決してアスカ自身が望んで目にしていたわけではなかったのだから。
 知能は高いとは言っても、そこはやはり子ども、見たままを素直に両親に話す。
 明日は雨が降るだの、庭の花壇に妖精がいただの、他愛のない事柄であればまだよいが、知人の生死や水子の存在を言い当てられては、周囲もいい気はしない。
 いつしか両親とて我が子のことをどこかうそ寒く感じるようになる。
 
 人一倍敏感なアスカがそんな視線に気づかないはずがない。
 彼女が、小学校にあがるころには、すっかり他人に心を閉ざした自閉症児のようになっていたのも無理からぬことであったろう。

 そんなアスカも唯一祖母──その頃は叔母だとばかり思っていたが──であるミサトのまえでだけは、比較的心のうちを見せてはいた。
 だが、何せミサト自身が、ある意味で一般社会と隔絶した特異な存在である。決して必要以上の救いの手をさしのべようとはせず、ただ、学校に行かずに自宅へやって来る孫の頭を優しく撫でてやるだけであった。
 
 それでも、あまりの両親の無関心ぶりに業を煮やしたミサトは、アスカを正式に家に引き取ることを、彼女の両親に申し出る。両親は反対しなかった。
 (パパ、ママ、あたしを捨てるの?)
  薄々覚悟していたとはいえ、さすがにショックを受けるアスカ。
 さらに心を閉ざす日が続く。
 
 そんなある日、アスカはレイと出会うのである。
 「──ああ、アスカ、このお姉さんは、レイといってあたしのお友達なの。レイ、これがあたしの……」
 と、一瞬言い淀んだ挙げ句、いかにも渋々という感じで言葉を継ぐミサト。
 「……孫のアスカ。仲良くしてやってちょうだい」

 (────キレイな人……)
 初めてレイと顔を合わせたときのアスカは、彼女の白い肌と赤い瞳、そして青銀の髪の強烈なコントラストに目を奪われていた。
 「あ、あの……」
 「……あなたがアスカね。仲良くしましょう」
 そう言ってひっそりと笑いかけるレイの笑顔をアスカは一生忘れないだろうとその時思った。
 
 思えば、彼女の微笑みを見たのは、それが最初で最後だったかしれない。
 
 レイはどちらかと言えば無口で無愛想なほうだったが、アスカが望めばいろいろなことを教えてくれた。
 彼女が旅してきた世界中の様々な土地の話、身を守るための護身の術、学校で教える勉強もそれ以外の知識も何でも……。

 アスカの持つ能力についても、決して心配するような類のものではないと穏やかに諭してくれたのもレイだった。
 実際、8歳の誕生日を迎える前後から、アスカの不思議な"力"は急速に弱くなり、それから1年とたたずにまったく使えなくなっていたのだが。
 
 レイにいろいろなことを教わるにつれ、アスカは自信をつけ、自閉症めいた部分は消え、代わりに生来の勝ち気さが表に出るようになった。
 小学校を卒業するころには、容姿端麗、文武両道の天才少女として、同級生はおろか、教師や周囲の大人からも一目おかれる存在になっていた。
 
 それでも……中学を卒業を控えたいまになっても、アスカの心のなかで本当に大切な存在はレイだけだった。
 
 無論、祖母であるミサトにも親しみは感じているが、思春期を過ぎた身としてはさすがに身内に対してはある程度の距離感が生じる。まして、幼少時にあれほど自分を悩ませた"力"の源泉がミサトの家系にあったと知ってしまった今では、なおさらである。
 行き場を失った"想い"は、ただひとりの少女に集中する。彼女にとって、姉であり、母であり、心を許せる唯一の親友である赤眼の少女に……。
 
 ──そうよ、レイはいつだってあたしのそばにいてくれた。
 ──あんな軟弱なヤツになんか、絶対渡さないんだから!
 
 * * * 
 
 「……わたし、どうしたの?」
 少女はベッドの上にうずくまったまま、何度目かの自問を繰り返していた。
 
 あれから3日、常人ならば完治に何ヶ月もかかるであろう重傷も、不死の体を持つレイにはすでにほとんど痕跡すら残していない。
 場所こそ特定できないでいるが、新たな使徒の気配も微かに感じる。
 常日頃なら、"狩り"──使徒の抹殺に動いていてしかるべき時期であった。
 
 それなのに、あれ以来、レイは街に出ることすらせずに自室で漠然とした物思いにふけっているのだ。
 
 (なぜ? 狩りはわたしの使命のはずなのに)
 (…あの少年のことが気になるの? あの、ケインによく似た少年が……)
 答えは自分でも分かっていた。それを認めるのを避けていただけ。
 
 (…そう、気になるの。もしかしたら、ケインの転生かもしれないと一縷の望みを抱いてしまうから)
 (…名前しか知らないあの少年、そう、"シンジ"といったかしら?)
 (シンジ……そういえば、碇神父の息子の名前が、確かシンジだったはず。第三新東京に呼び寄せるとも言っていたし……彼なの?)
 
 そこまで考えてはたと気がつくレイ。
 (……仮に彼に会えたとして、わたし、何を話せばいいの? 何を話すつもりだったの?)
 ほんの僅かだが、頬を紅潮させるレイ。心なしか表情もやわらかい。
 (…でも、とにかく、彼に会いたい……)

 一瞬の躊躇の後、心を決めると、レイはPスーツの上にいつもの私服を着込み始めた。
 (…とりあえず、お礼を言おう。彼がケインの転生かどうか確かめるのはその後の話)
 
 久しぶりにゆっくりと眺める街角は、どこか見慣れぬようで、それでいてどこも変わっていないような、不思議な感慨をたらした。
 
 (……あれから800年。おかしなものね。これほど時が経ち、街の景色や道行く人々の姿が変わっても、ケインへの想いだけは変わらないというのは)

 そんなことを考えるうちに、いつの間にか目指す教会の前まで来ていた。
 「フム、レイではないか」
 礼拝堂の前に立っている顔見知りの男がレイに声をかけてきた。
 
 碇ゲンドウ、この教会の預かり主である。
 黒い詰襟の神父服(カソック)を纏い、聖書を手にしてはいるが、その倣岸不遜で不敵な雰囲気は、敬虔な神の僕というより、悪魔払いに熟達したエクソシストといった趣きがある。
 事実、表向きはともかく、彼の裏の顔はそれに近いものであった。

 バチカン直属異端審問官組織ネルフにおける司教の位を、極東で唯一持つ男。
 日本、およびその周辺での"使徒"対策に関しての全権を法王より任された人間。
 
 それが、現在のゲンドウの正体だった。
 その役職上、当然レイと面識はある。いや、もっと進んで使徒せん滅のための協同作戦をとったことすらあった。
 
 「……碇神父」
 「傷はもういいのか、レイ」
 「……?」
 どうしてそれを……と、もの問いたげな顔をしたレイに向かって口元をニヤリと歪めるゲンドウ。
 
 「先日、シンジのヤツが服を血だらけにして帰ってきたのでな。てっきりケンカでもして来たのかと思って、「よくやったな」と誉めてやったのだ。そしたら、言い訳がましくお前のことを説明しおったわ」
 父親、しかも平和と友愛を説くべきカソリックの神父が息子がケンカしたことを、ふつう喜ぶだろうか? もっとも、このゲンドウという男がふつうという言葉とはほど遠い存在であることは、レイも十分理解していた。

 「まぁ、「おまえには失望した!」と言ってやると、しばらくいぢけていたようだがな。問題ない」
 このような親の下で育つ子は不幸である。
 「それにしても、レイ、今日は何の用だ?」
 「……シンジ、くんに」
 先日のお礼を……と言い終わるの待たずに、ゲンドウはポムッと手を打った。
 「ウム、そうかそうか。シンジなら、離れの2階の部屋にいるぞ」
 「……そう」
 くるりと身を翻し、無言で離れに向かおうとするレイを、ゲンドウが呼び止める。
 
 「あ~、レイ?」
 ここでまたも、あの"ニヤリ笑い"が炸裂する。
 「シンジは、17歳にしてはかなりオクテだ。ロクにやり方もしらんだろうから、お前がリードしてやったほうがよいぞ」

 どうやら完全に誤解しているようだ。
 完全に毒気を抜かれた態のレイは頭を軽く振り、そのまま無言でシンジがいる部屋のほうへと立ち去る。
 
 レイが姿を消した途端、ひどく気難しげな表情を浮かべるゲンドウに、いつの間にか傍らに現れた金髪の修道女(シスター)が声をかける。
 「どうやら、無事"邂逅"は済んだようですわね」
 「ああ……だが、"魔術師"の覚醒が遅れている。このままでは間に合わん」
 「いかがいたしましょうか?」
 「問題ない。それも予測の範囲内だ。そのときのためにすでに手はうってある」
 「では、"女教皇"の封印を?」
 「ウム。"女帝"に連絡をつけておけ」
 
 もちろん、レイは自分が立ち去ったあと、そんな会話が交わされたなど
とは知る由もなかった。
 
 * * * 
 
 教会の裏手に建てられたプレハブの離れ。その外壁に取り付けられた階段を登りながら、レイは自分の口中がカラカラに乾いていることに気づいた。扉の前に立ち、ノックしようとしても手が震える。
 (……私、変……緊張、しているの?)

 ふと、見え覚えのある筆跡で「シンちゃんのお部屋(は~と)」と書かれたピンクのネームプレートが目に入った。間違いなくゲンドウが書いたものだ。
 脱力しながらもいくぶん緊張がほぐれる。レイはぎこちない手つきで、扉を叩いた。
 
 「はい……どなたですか?」
 (…声まで……あの人にそっくり…なのね……)
 返事を待たずにドアが開いた。

 「────あっ、キミは……」
 「……入って、いい?」
 「うっ、うん。どうぞ……」
 戸惑いながらも部屋にレイを招き入れてくれるシンジ。
 「……お邪魔、します」
 知識としては知っていても、普段は口にすることのない挨拶の言葉が、ごく自然にレイの口から滑り落ちた。
 
 部屋の中は、勉強机、ベッド、S-DATコンポに本棚といった、普通の高校生の少年らしい雰囲気でまとめられていた。幾分家財が少な目なのが、控えめなシンジの性格を表している。
 部屋の隅に立てかけられた楽器のケース──大きさからしてチェロだろうか?──が目を引いた。

 レイはぼんやりと室内を見回しながら、心の中でシンジに言うべき言葉を模索していた。
 辺りに不自然な沈黙が落ちる。

 「──あの、レイ、さんだっけ? どうしてこ……」
 「綾波レイ」
 「へ?」
 「……綾波レイ。それが日本(ここ)での私の仮名(なまえ)。だから、"レイ"でも"綾波"でも好きなように。私も"碇くん"と呼ばせてもらうから」
 本当はあの人の声で「レイ」と呼んで欲しかった。けれど同時にそう呼ばれることが恐くもあった。あの人が還って来たと錯覚しそうで……。

 「……ここへ来たのはお礼を言うため」
 「お、お礼だなんて…そんな」
 何を照れているのか、顔を赤くして言葉を続けるシンジ
 「ケガしてる人に対して、当たり前のことをしただけだし、そもそもボクは葛城姫のところへ運んだだけで、全然たいしたことしてないし……」
 「それでも、碇くんが来てくれたから私は助かったわ。ありがとう……」

 ありがとう。感謝の言葉。本心からこの言葉を口にしたのは、いったい何百年ぶりだろう。
 
 「あ、いや、えーと……そうだ!あんなひどいケガだったのに、もう出歩いてもいいの?」
 「……平気。もう、治ったから」
 「な、治ったって……」
 「……そういう、体質だから」
 不審げなシンジの視線が痛かった。僅かにうつむきながら、囁くような声で続ける。なぜかシンジには本当のことを知っていてほしかったのだ。

 「…私は、そう簡単に死なない、死ねないの……大昔に、不死の呪いをかけられたから」
 チラリとシンジのほうを見上げ、小首をかしげる。
 「…信じられない? 私はこれでも900年以上生きてるの」
 「ぼ、僕は……その、ゴメン、やっぱりすぐには。でも、綾波さん自身がそう言うからには信じられるような気もする」
 「…ありがと」
 いまのレイにはそれで十分だった。
 
 つかの間、会話が途切れ、部屋の中に沈黙が落ちる。レイにとってそれは決して不快なものではなかったのだが、シンジは何か話題を探そうとあせった。
 何か話さないと、彼女が帰ってしまう……そんな強迫観念に駆られてしまう。
 この紅瞳の少女──としか見えない女性──がなぜだか気になるのだ。
 
 「あの、さ。"ケイちゃん"って誰?」
 苦し紛れに思いついた話題だったが、同時に気にかかっていたのも確かだった。
 先日、目を覚ましたレイが口にした名前。

 「………」
 「あ、いや、言いたくないんなら別にいいんだ」
 「……ケイちゃん、ケインは」
 一瞬の躊躇いの後、レイは言葉を続ける。
 「…私が、かつて騎士だったころ仕えていた国の王子。私の幼なじみであり、 従兄でもある少年。私が……私が一生かけて、守る、はず…だった人……」
 鋼のような自制心で表情にこそ出さなかったものの、レイの心は彼のことを思うだけで、いまだキリキリと締め付けられるように痛んだ。
 「「はずだった」ってことは……?」
 「ええ、若くして、亡くなったわ──不幸な事故で」
 
 シンジにケインの凄惨な死に様を伝えるのは、はばかられた。世間の──ましてや裏の世界の汚れた部分などろくに知らないだろうこの少年に、それを告げるのはあまりに酷だ。

 「…似てるの」
 再び沈黙が部屋に満ちる前に、レイが言葉を漏らす。
 「似てるって……僕がそのケインって人に?」
 コクリとうなずくレイ。
 「……背格好も、顔立ちも、雰囲気も………こうして、はっきり目覚めていても、勘違いしそうなくらい……」
 懐かしげな視線を向けられ、シンジは目を逸らした。他人の空似だと断じてしまうには、その視線に込められた想いはあまりにも重かったから。
 
 「そのぅ……よくわからないけど、輪廻転生だっけ?ひょっとして、僕はそのケインって人の生まれ変わりだったりするのかなぁ?」
 半ば思い付きでシンジが口にした言葉に、レイは困惑した素振りを見せる。
 「……わからないの。でも、碇くんと話していると……」
 
 ──コン、コン、コン!
 
 ノックの音とともに続くレイの言葉はかき消された。

 「やぁ、シンジくん、入ってもいいかな?」
 「あ、カヲルくん? どうぞ」
 ドアを開けて入ってきたのはプラチナブロンドの少年。

 「シンジくん、もう用意はいいかい?」
 「用意って……あっ、そうか。買い物に行く約束してたんだっけ」
 「ヒドイなぁ、忘れてたのかい?」
 などと言いながらも、笑みを崩さない少年。
 
 「おや、こちらは先日の……」
 「……碇くん。私、帰るわ」
 おおよその事情を察して、立ち去ろうとするレイ。
 「あ…ゴメン。その……また、来てくれるかな?」
 シンジの言葉に振り向かずに答える。
 「…ええ、あなたさえよければ、いつでも」
 
 ドアを閉め、階段を2、3段下ってからふと立ち止まり、フッと溜め息をつくレイにさわやかな声がかけられる。 

 「おやおや、"青銀の闘姫"でもそんな表情をすることがあるんだねぇ」
 「!!」

 振り返ると、「カヲルくん」と呼ばれていた少年が、ドアにもたれて立っていた。
 「……どうして、それを?」
 「"呪われの女騎士"にして使徒狩人たる、綾波レイ。失礼だがキミはもう少し自分の立場というものをわきまえたほうがいいと思うよ」
 カヲルが挙げたのは、"裏"の住人ならともかく、一般人ならおよそ無縁なはずのレイのふたつ名だった。

 「……あなた、何者?」
 ルビーの瞳が投げかける鋭い視線をダークブラウンの瞳が平然と受け止める。
 「自己紹介がまだだったかな? 僕は渚カヲル、シンジくんの通う市立第一高のクラスメイトさ。このあいだ、シンジくんと一緒にキミを運んだのも僕だよ」
 「……そう。あなたにも、お礼を言ったほうが、いい?」
 「別に構わないさ。感謝の言葉は本心から出たものでない限り意味はないからね。そうそう、キミにひとつ忠告があるんだ。できれば、まだ、あまりシンジくんに近づいてほしくないんだけど」

 まるですべてを見透かしているかようなカヲルの言葉に違和感を感じる。
 「……あなたに、そんなこと言われる」
 「確かに、筋合いはないけどね。理由はわかるだろう?」
 「………」

 高まる緊張感を、扉が開かれる音が破った。
 「お待たせ……って、どうしたの、カヲルくん、綾波さん?」
 
 きょとんとした顔のシンジにカヲルが屈託まむない笑みを向ける。
 「いや、何でもないよ。じゃあ、行こうか、シンジくん。綾波さんも、
よく考えておいてくれたまえ」
 レイのほうを気にしつつ、カヲルに引っ張られて行くシンジ。
 レイは彼の背中を見つめながら、言葉をかけることできなかった。

 * * * 

 「──で、そのまま引き下がってきたっていうの? キィーッ!!」
 
 葛城家、ミサトの部屋。
 あのあと、何ということはなしにこの部屋に足が向いていたレイは、教会であった出来事をミサトに問われるままに話していた。
 
 「ああ、もう、じれったいわねぇ。どうして、そこでせめてデートの約束ぐらいしてこないのよ。レイ、そんなんじゃ、あのナルシスホモ少年に、シンジくん、取られちゃうわよ?」
 まるで我がことのように身をよじって悔しがるミサト。
 「……取られる? なぜ?」
 軽く首を傾げるレイを見て、ミサトは深い溜め息をつく。
 「まぁったく、900年も生きてるクセに男と女の機微のひとつもロクに知らないんだから。ま、これまでは王子様一筋だったんだから、無理もないけど」

 ミサトの言葉に考え込むレイ。
 (男女間の機微?)
 (私は……碇くんを男として、異性として意識している?)
 (そう……そうかもしれない)
 (けれど……これは裏切り? ケインに対する想いの?)
 (でも、もし、彼が本当にケインの生まれ変りだったら……)
 
 思考のループに落ち込みかけるレイを見て、ミサトが慌てて声をかける。
 「でも、シンジくん……あの子はちょーっちマズいわね」
 「何?」と目線だけでレイが問う。
 「ホラ、知ってるでしょ。魔族が好む肉体、黄金律のことを」
 「…碇くんが?」
 
「そう、それもとびっきり極上のね。使徒はもちろん、普通の魑魅魍魎にとっても
格好の獲物でしょうよ」
 
あの少年が、魔の餌食になる……。
 
(なぜだろう、そう考えただけで胸が苦しい……)
 
(彼をそんな目に逢わせたくない…)
 
ついと立ち上がると、いつにない熱心さを込めてミサトのほうを見やる。
 
「ホラホラ、そんな恐い顔しなくても、対策ぐらい教えてあげるわよ。そうね、
とりあえずは、教会の回りに感知系の結界でも張ってみたら? あの腐れ神父
のことだから、自宅に一応の霊的防御ぐらい施してるとは思うけど、何かあった
ときにすぐ駆けつけられるってのは、悪くないでしょ」
 
「……そうするわ」
 
レイは挨拶もせずに玄関へと向う。
その時、2階から自分を見ているアスカの視線があったことにも気づかずに。
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No title

有馬が好きなキャラだったのでゲンドウにはちょっと期待。
アスタもかわいかったなぁ

Re: No title

> 有馬が好きなキャラだったのでゲンドウにはちょっと期待。
> アスタもかわいかったなぁ

こちらのゲンドウさんはかなり「イイ性格」になる予定でした。むろん、善人という意味ではなく(笑)
アスタ、いいですよね。普段はロリ人形で本体は妖艶なお姉さまとか。
コッチでは、その役目はリツコさんェ……。

No title

…ここまでですか。残念。
どちらの元ネタにもはまった前世紀人間としては
興味深いSSなんですが。
(『AliveZ』は中断したままですけど…)

ビジュアルと虚無的な言動、
他者との関わりの薄さからすると、
確かに主役は彼女になりますね。

使徒の二番手~六番手を演じるのが
誰と想定されていたのかも気になるところです。
(え、まさか「六つ星衆」どころか第17までだったりしますか?)


Re: No title

書きたい気分もないではないのですが、さすがにわかる人が殆どいないとモチベーションが薄くて。
「アンビ」は早すぎたラノベ的作品(厨二的意味で)だと思ってます。

>ビジュアルと虚無的な言動、
>他者との関わりの薄さからすると、
白子(アルビノ)という語が、普通に出てきましたからね。

>使徒の二番手~六番手を演じるのが
>誰と想定されていたのかも気になるところです。

実は、一ノ星と六ノ星を除く他の六ツ星衆は、すべてレイの
サエルーナ時代の同僚を核にして生れた存在だったり。

二ノ星(フェンリル相当)が「闘神」マルスこと(鈴原)トウジ、
三ノ星(マハ相当)が「鉄壁」アイギスこと(霧島)マナ →盾騎士
四ノ星(パウヴ相当)が「弓聖」ソードこと(相田)ケンスケ
五ノ星(ドゥルジ相当)が「哀惜」バンシーこと(山岸)マユミ →僧侶

六ノ星クドルシュチス相当が誰かは……説明不要ですよね?(笑)
プロフィール

KCA(嵐山之鬼子)

Author:KCA(嵐山之鬼子)
Pixiv、なろう、カクヨムなど色々書いてます。感想などもらえると大変うれしいです。
mail:kcrcm@tkm.att.ne.jp

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